SLIDER 場外乱闘・番外編 BEAT

 「嫁と子供を連れて、アメリカに移住しようと思っているんです」。

 先日ファッション誌の撮影で一緒になったロケバスドライバーのNさんが、長丁場の現場帰りに不意に切り出してきた。聞くところによると、Nさんはロケバス歴10年以上のベテランで、年齢も30を越えている。1歳になる息子さんがいるとのことだ。早朝から夜までのロケで待ち時間も長かったので、僕がスケートボード関連の仕事をしていること、彼がコンビ二に行くときだけスケボーに乗ることなど、ざっくりとしたお互いのバックグランドは交換済みだった。新天地での生活に向けて、ビザの申請やら後片付けやらに追われる忙しい毎日を送っているとのこと。移住先はバーンサイドで有名な、オレゴン州のポートランドだそうだ。西海岸にしては雨が多い場所で、ガス・ヴァン・サントの映画の舞台に度々登場することでも知られている。
 なんでポートランド? 友人や関係者におそらく何度となく聞かれて説明したであろう問いかけをする。すると少しだけ間をおいてから「数年前に遊びに行ったときに気に入って…」と話してくれたものの、声のトーンに張りがないというか、少し自信なさげな印象を受けた。続けて、「実は英語もまったく話せないんですけど、タイミング的に今しかないと思って…」。短い期間ではあったが、アメリカで生活した経験がある自分でも、今からアメリカに移住するとなったら不安で仕方がない。というか、お恥ずかしながら今となってはその選択肢すらない。それでも僕はできる限りテンション高めに「ウワァ凄いですね、最高じゃないですか。最初は大変でしょうけど、最良の選択になるんじゃないですか! 言葉なんて気合いでなんとかなりますよ」と応えた。
 単身ならともかく、嫁と子供を連れて言葉もろくに通じない海外に移住って……内心「マジか!?」と思ってはいたけど、僕は彼の決意を後押しした。彼とはその日はじめて会った間柄だけど、彼が僕の口から聞きたかったのが、そういう言葉だと分かっていたから。
 それからしばらく沈黙が続き、僕を降ろしてくれる目的地が視線の先に見えてきた。ちなみに、なんで今の仕事や生活を放り出して、このタイミングでアメリカに移住しようと思ったのですか? 場の雰囲気の流れで、それとなく聞いてみた。

 「1歳になった息子に、アメリカでスケボーさせたくて」。

 彼の言葉は自分が想像していたのを遥かに超えた、衝撃的なものだった。もちろんそれだけが目的ではないだろうし、他の要因も沢山あるだろう。それでも彼の人生の大きな転機になるであろう決断の根っこに“スケボー”があることに、愕然とさせられたのだ。
 
 今日は長々ありがとうございました。アメリカで頑張ってきてください。おそらく彼とは最後となるであろう握手を交わし、山手通りと青梅街道の交差点で降ろしてもらう。マイクロバスがゆっくり左折していくのを見送る。車体には社名である “BEAT♪” と入っている。
 BEATとは、音を刻むという意味の他にも、負かす、進む、羽ばたく、というような意味を持つようだ。