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 いきなり、区大会の走り幅跳び選手として抜擢された。てっきり、何かしら…
──第15回:区大会(後編)

2012.06.27

 いきなり、区大会の走り幅跳び選手として抜擢された。てっきり、何かしらで怒られると思っていたから正直ホッとしたが、同時に「なんかおかしなことになってきたぞ」っと動揺もした。

 ついこないだ行なわれた体育祭の走り幅跳びで、僕は思いのほかいい記録を出してしまい、学年で1位になってしまった。M先生曰く、「中1で5m超えたらそこそこいけるぞ」ということだった。僕はその時の体育祭で5mを超えた。そんな僕にM先生は、少しながら期待を込め、また陸上部代表として、区大会に出て欲しいということだった。

 「はい。頑張ります」。断る理由もなかったし、なにより普段寡黙で何も言わないM先生が、僕に少なからず期待してくれているのがうれしかった。僕の他にも、各学年から男女ひとりづつ、短距離、長距離、高飛び、砲丸投げなどの各種目代表が陸上部とは関係なく、体育の授業や体育祭の記録をもとに選ばれた。

 「よし、やってやろうではないか。幅跳びはオレにまかせろ」。後日、競技用のちゃんとした陸上スパイクをゲットするために上野へ向かった。お母さんから手渡された1万円を手にして…。

 悩みに悩み、“Mizuno ランバード”のスパイクを買った。たしか、8千円くらいだった。白ベースで、エメラルドグリーンのラインが入っているヤツ。いま思うとかなりダサい配色だったが、当時の僕は、そのスパイクを手に入れ完全に陸上選手気取りになってしまった。やる気スイッチが入ってしまったようだ。形から入るのも大事だと、その時強く感じた。

 M先生から呼び出された次の週から、毎日真面目に部活に出た。スケボーはしばらくお休みした。

 練習では、5mを超えるか超えないか、というラインをいったりきたり。助走と踏み切りがバシッと合えば5mを超えるのだが、やはり百発百中とはいかない。本番はひとり2本。1本はミスしてもいい。とりあえず、もう1本は確実に自分の全力の記録を出そう、そう意気込み、その後も練習に励んだ。

 区大会当日。その日は平日なので、メンバーに選ばれていない他の生徒達は通常通り学校がある。つまり、僕ら区大会の選抜メンバーは学校が休みだった。学校嫌いな僕だったから、本来なら「ラッキー!!」と思えるありがたいことだが、その日はいつも通り学校へ行きたかった。なぜなら、めちゃくちゃ緊張していたからだ。前日からまともに食べることができなかったし、つねに胸が締め付けられている感じが辛かった。僕はこの感覚が大嫌いだ。いまでもそう。スケートの大会には今まで何回か出たことがあるが、その時も同じ感覚になる。小心者の証拠である。

 他のメンバーもそれなりに緊張している様子だったが、時たま笑みがこぼれている。一方、僕は笑う気力もなく、おそらく目が死んでいたに違いない。あいかわらずM先生は寡黙だった。「こんな時こそ下ネタで、オレの心をほぐしてくれよ。どうせ今朝も朝立ちしたんだろ?」 そんな心境だった。

 会場は想像以上にデカかった。観客席もあり、かなり本格的な陸上競技場だ。区大会だから当たり前かもしれないが、なんせ初めての経験なので、すべてに圧倒されてしまった。しかも会場に集まっている他の学校の選抜メンバーを見ていると、逃げ出したい気持ちでいっぱいになってきた。もう、いかにも「オレたち本気で陸上やってます」みたいな猛者たちばかりだったからだ。身長、体格、風貌が僕とまったく違う。彼らのほとんどは、太ももの大腿四頭筋がくっきりと浮き上がり、うねりをあげていた。僕が唯一彼らに対抗できたのは、僕が履いている“Mizuno ランバード”の輝きだけだった。

 開会式を終え、さっそく各競技が始まった。メインのトラックでは、短距離、長距離、トラックの内側では、砲丸投げ、走り高飛びなどが会場を盛り上げているなか、我ら走り幅跳びは、会場の隅の砂場で地味に競技が進められた。

 僕を含め、男子走り幅跳びの選抜は20人くらいだった。当たり前だか、みんな知らない人たちばかりだ。ただ、共通しているのは東京都北区立の中学校の生徒たちということだけ。話を交わす相手などいるわけない。みんな順番に並び、自分の出番をひたすら待っている。

 僕の出番は、最後から2、3番目くらいだった。最初の1本目の出番がくるまで、恐ろしく長く感じた。

 やっと僕の出番がきた。あいかわらず心臓バクバク状態だったが、助走ラインに立った瞬間、不思議と冷静になれた。「もういいや」。なんとなく吹っ切れた。

 がしかし、1本目はまったく踏み切りが合わず、審判の旗が上がった。ファール。ただ、自分としては、調子は悪くないと感じた。「あと1本ある。まだ大丈夫。踏切さえ合えば5mは超えられる」。

 他の選手でちらほら5m越えを出しているヤツが出てきていた。どうにか自分もそこに食い込みたい。とりあえず、順位よりは5mを越えることが僕の目標だった。

 2本目。ラストチャンス。緊張はもうなかった。自分のゼッケンナンバーが告げられ、再度助走ラインに立った。

 思い切り助走し、踏み切り板に足を合わせ、大きく踏み込んだ。踏み切りはしっくりきた。高く飛びスピードも充分にあった。踵を全力に前に出し、勢いよく砂に着地した。

 「バサッッッ!!!」

 かなり飛んだ。が、着地した次の瞬間、僕が振り下ろした手が砂に触れてしまった。

 「やばい、終わった」。

 振り返ると、踵が着地した位置の、数十cm後方に、はっきりと僕の手のついた跡が残った。手さえつかなければ、確実に5mは超えている。

 測定員はメジャーで図り、記録員に数字を告げた。

 「5m17cmです」。

 嘘!? なんで!?

 どうやら、測定員は、僕が手を付いたことに気がついていなかった。踵の着地地点で測定していた。

 僕はキョトンとしていた。どうやら、他の測定員も測定ミスに気がついていない様子だった。

 記録掲示板にも、5m17cmの数字が表示された。そして、かすかにどよめきの声が上がった。

 「オッー!!!」。

 観客席から見ていたM先生を含め、我が中学校の出番を終えた他の種目のメンバーたちからの歓声だった。

 僕は迷った。本当はそんな記録ではない。手が付いたのだ。偽りの記録である。

 「どうしよう。測定員に本当のことをつげようか」。

 時間にして0.5秒くらいだったが、本気で悩んだ。そして決めた。

 僕は満面の笑みをつくり、M先生、そして我が中学のメンバーに向け、大きく拳を振り上げカッツポーズをした。

 僕は、東京都北区立陸上大会の走り幅跳びで、2位になった。

 いまでも、僕は何も悪いことはしていない。と思っている。

完。

DESHI

旅とドトールと読書をこよなく愛する吟遊詩人。 “我以外はすべて師匠なり”が座右の銘。

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