Special columns written by skaters
スケート識者たちが執筆するスペシャルコラム
LAURENCE KEEFE

エンゲル係数高すぎスネークスタイルで、世界の秘境をスケボー片手に渡り歩くザ・トラベラー。合言葉は「旅の恥はかき捨て」。
ローレンス流、地球の歩き方。

第2回:アフガニスタン

 先週、アフガニスタンはカブールの非営利スケート団体であるSkateistanで自爆テロが起き、4名の子供スケーターが亡くなったとの記事が転送されてきた。これは誰にとっても辛いニュースではあるが、特につい3カ月前に彼らと実際に接していた僕にとって、とても心が痛む悲報となった。

 今年6月、僕はアフガニスタン北部バルフ州に伸びる砂漠道を爆走するジープの後部座席に座っていた。けたたましくサイレンを鳴らすジープの車内で、カラシニコフを手にした屈強な兵士に挟まれている。前方には我々のジープを先導する、マシンガンで武装した警察車両。そして後方にはアッタ・ムハメド・ヌル知事が所有するフルスモークの高級SUVが、ヨーロッパ、アメリカ、ロシア出身のスケーターを運んでいる。アフガニスタン北部の最重要都市であるマザーリシャリーフへ向かう途中に国連軍の兵士たちを目にしたが、もし彼らが僕らの足元にあるスケートボードを見たらどう思っただろうか? 僕はイングランド出身、25歳のスケーターだ。「僕はここで何をしているのだろう?」

 アフガニスタンに到着する1週間前、僕がこんな国に来ることになろうなんて思いもしていなかった。北京を出発し、ツルクメニスタンの首都であるアシガバードを目指すことがこのスケートトリップの目的だった。しかしウズベキスタンでその目的は変更を余儀なくされる。ツルクメニスタンの大使館から連絡があり、我々をインターネットでリサーチしたところ、プロとして写真や映像を撮ることに問題があったためビザの申請が拒否されてしまったのだ。するとガイドの友人がアフガニスタンで旅を終えるのはどうか、と提案してきた。彼の父親がアフガニスタン政府の人間であり、護衛を手配してくれるとのことだった。迷いながらも冒険への強い欲求に打ち負かされ、結局いちかばちかアフガニスタンを旅の終着地とすることにした。

 アフガニスタンでのはじめの数日間は、世界最古のイスラム建造物を見たり銃で遊んだりしながらスケートをしようとした。アフガニスタンではほとんどの人がスケートボードを見たことがないため、行く先々で大勢の人だかりができた。この国では’96年から’01年まで続いたタリバン政権が凧揚げまでを禁止していたため、とてもアメリカ的なスポーツを荒廃した路上で楽しむ僕らの姿が、彼らに興味深く映ったのは当然だろう。そして彼らの反応はポジティブなものが多く、中には「我々は数えきれない戦争を目にしてきた。そんなに楽しそうなものを見られるのはとてもうれしい」と話しかけてくる者もいた。しかし僕らは同じ場所に15分以上いないように事前に警告されていた。現地人の注目を必要以上に集めてしまったために護衛に緊張感が走り、僕らは急いで車に連れ戻された。マザーリシャリーフのモスクを訪ねたときもそうだった。僕らがアフガニスタンに到着する数ヶ月前にバグラム空軍基地の米兵がコーランを焼却したことをイスラム教徒が非難しはじめ、危険を察した護衛によって僕らはすぐさまその場を離れるように指示された。すべては安全のように見えたが、やはり心のどこかに、いつ何が起きてもおかしくないという危機感があった。多くの現地人が温かく迎えてくれているように見えたが、僕ら西洋人を招かれざる客と感じる者が存在するのは明らかだった。

 文化や言語の壁があるにもかかわらず、護衛とは気があった。彼らは銃を肩から下げながら、なんとかボードの上に立とうと楽しんでいた。そして毎朝、「ブロダー!(ブラザー)」と叫びながらホテルの前まで迎えに来てくれた。彼らは僕と手をつなぐことが好んだ。アフガニスタンでは、男同士が手をつなぐことは普通のことだそうだ。弾のつまった銃を持った男が手を握りたいと言ってきたらどうすることもできないだろう? そしてアフガニスタンで男に、アフガニスタンでeメールを使うことができるかと訊いたときに、僕は互いの文化の違いを再確認した。男はこう言い放ったのだ。「オレたちにとっては、カラシニコフがインターネットだ」

 マザーリシャリーフでの最終日、ついに僕らはアッタ・ムハメド・ヌル知事とご対面することができた。アッタはソ連軍が軍事介入するまで高校教師として教鞭を振るい、後に反政府勢力であるムジャーヒディーンの司令官に就任。そして’90年代にはアフマド・シャー・マスード率いる“パンジシールの獅子”とともにタリバン政権と戦い、現在はバルフ州知事を務めている。とにかく僕らはアッタの公邸に招かれた。そしてテレビカメラの前で緊張しながらビスケットをかじり、Skateistanを通してオープンされるバルフ州初のスケートパークについて語り合い、スケートデモを開催した。

 僕らはマザーリシャリーフを後にし、カブールへと向かった。まず無事にカブールまでたどり着けるかどうかが心配でならなかった。というのも空港が建設現場のように荒廃し、飛行機も最低20年前につくられたものだったからだ。そしてカブールでは何が待ち受けているのか。もう護衛も付いていない。しかし幸運にも僕らはSkateistanとのコネクションがあったため、急なお願いにもかかわらず宿泊先を提供してもらえることとなった。

 カブールはバルフ州とは違い、もっとオープンな印象を受けた。ブルカ(イスラム教徒の女性が外出時に着用する、全身を覆うベール)を着用していない女性が多く、通りも人が忙しなく行き交っている。また多くの外国軍が駐留し、建物も多くが壁に弾痕を残し崩れている。カブール国際空港は屈強な米兵で溢れかえり、駐車場にはマクドナルドの包み紙が落ちていたほどだ。またNGOやジャーナリストとして活動する外国人の数もバルフ州とは比べ物にならない。

 空港にはSkateistanの設立者、オリバー・パーコビッチが迎えに来てくれた。Skateistanというプロジェクトは、まずカブール市内にある空の噴水内で開かれたスケートスクールという形で始まったが、今では大理石の床に数々のランプが置かれたインドアパークを所有するまでに成長した。常時350名の子供がSkateistanでスケートや学業に励み、その内の40%が女性、そしてそのほとんどが読み書きをできないという。路上で働いていたため、ろくに学校に通い教育を受けることができなかったからだ。しかしその数名がSkateistanでスケートインストラクターとして働き始め、スケートスキルの上達も目まぐるしい。英語力もアフガニスタンで出会ったほとんどの大人よりも遥かに高く、自信に溢れ、社交的で誠実だった。このような子どもを傷つけようとする人間がいるなんて信じられないことだ。

 この旅は多くの経験を与えてくれ、いかに僕らが平穏な日常を当然に思っているかということに気づかされた。毎年のように命を落とす罪のないアフガニスタン人(または紛争地帯に住む人々)の身の上話を聞くことで、その地域の状況をよりよく知ることはできるが、同時にいくつかの疑問が浮かび上がる。アフガニスタンでの戦争は何かを成し得ることができたのだろうか? 2014年には国際治安支援部隊が撤退するとのことだが、はたしてアフガニスタンの未来はどうなるのだろうか? 家族の稼ぎ手である子どもたちが僅かな金銭のために路上でスカーフを売っている間に、宗教狂信者の手により爆死してしまう。僕らがそのような不安を日常的に抱える必要がないのは説明するまでもない。この旅が教えてくれたこと。それは僕らが日々送っている何気ない日常――それがいかに幸運なことであるかということだ。

アフガニスタンはカブールの非営利スケート団体、Skateistanをフィーチャーしたドキュメンタリービデオ『SKATEISTAN: TO LIVE AND SKATE KABUL』。紛争が絶えない地域でスケートボードと出会い、たくましく生きるアフガニスタンの子供たちの姿を描いている。
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