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日本スケートコミュニティ、最大の誤算。
世界の裏窓に忍び寄る、クイックフィート。
──SHINTARO HONGO / 本郷真太郎

2019.07.22

Video_A Haters Production / Photo_Shinsaku Arakawa / Special thanks_DC Japan、Kyle Ke

[JAPANESE / ENGLISH]

VHSMAG(以下V): まずはスケートボードとの出会いから。父親がスケーターだったんだよね?

本郷真太郎(以下H): そう、お父さんの影響でスケートを始めました。スケートボードは家にずっとあったんですけど、初めは座って遊んだりしてました。ちゃんとテールを叩き始めたのは小4くらい。

V: ホームスポットは?

H: うみかぜ公園。小学生の頃からYudai TV(藤ヶ崎雄大)とか守重琳央とかとずっと滑ってました。このふたりとはずっと一緒にいる感じです(笑)。

V: 昔は自宅にセクションがあったんだよね?

H: そうです。小5くらいのときに家の前の庭にバンクを置いたりとか…でも家の中にランプがあったのは中学生の頃だったと思います。もともと外にランプがあったんですけど、近所の苦情が理由で家の中に作ろうってことになって…超タイトなミニランプ(笑)。

V: 家の中にランプを作ったお父さんがすごいね。

H: お父さんがペンキ屋だから大工系というか、いろんなものを作ったりしてて。当時は家にセクションがいっぱいありましたね。低いレールや超タイトなバンク、小さいスパインだったり。こういった小さいランプのおかげでストリートスポットでの対応力が養われた気がします。

V: 今のメインスポンサーはDCだよね。そもそもチームに加入したきっかけは何だったの?

H: アメリカに行ったときにブランドン(・ターナー)の繋がりでいろいろ知り合って、その中にDCのチームマネージャーのジミー(・アストルフォード)がいたんですよ。それでジミーがDC Japanに話をしてくれてチームに参加することになりました。

V: じゃあ逆輸入的な感じだ。ブランドンはお父さんがもともと仲良かったんだよね?

H: そうです。ブランドンが昔日本に住んでて、そのときに一緒に滑ってたみたいです。本当に超近所に住んでたみたいで。オレはまだ生まれてなかったですけど。ブランドンがまだ全然スケートが上手くなくてお父さんが高校生とかだった時代の話。

V: DC Japanに加入してアメリカで本国のチームと一緒に動いたこともあったよね。

H: あれは昨年の初めのほうの冬だったかな。そのときに初めて会ったライダーもいたけど、もともとウェス(・クレマー)とかT・ファンクとかは知り合いでした。TWSのパークでチームセッションをしたんですけど、そのときにトラックが折れちゃって。その場でウェスにトラックをもらって撮影しました。


 

V: 6月末からDCのグローバルチームのヨーロッパツアーに参加してたよね。どんな経緯でツアーに参加することになったの?

H: もともとDCのジャパンツアーが予定されてたんですよ。それに参加する予定だったんですけど、いろいろあって行き先が変わって。それでDC Japanに渡航費を出してもらって参加することになりました。

ひとりで考える時間が莫大にあったから、自分と向き合うことができた

V: 世界トップの錚々たるメンバーばかりだよね。ツアーはどうだった?

H: いや〜…。日本出るとこの最初から話していいですか? まず成田に着いてチケットを発券しようとしたら全然できなくて…。係の人に聞いたら「羽田発です」って言われて。羽田行きのバスが出てるということで、チケットを買おうとしたらデビットカードの磁気が壊れてて。デビットカードで2ヵ月生活する予定だったから…初っ端から緊急事態になっちゃって(笑)。とりあえず羽田で現金を下ろしまくって全部ドルに両替しました。だから2ヵ月間、その現金だけで過ごしてました。急いでたから保険も入れなくて…。

V: 出国前に大ピンチだ。

H: そうなんですよ。それでLA経由でサンディエゴに着いて、間もなくあごをパックリ切っちゃって。スケートパークのボウルでターンしたら滑っちゃったんですよ。擦りむいただけと思ってたら血がめっちゃ出てて。「保険入ってねぇし病院行けねぇー!」みたいな。ずっと絆創膏を貼ってました(笑)。サンディエゴにはヨーロッパのツアーの前に1ヵ月半くらいいたのかな。ブランドンの家に泊めさせてもらってました。プッシュで15分くらいのところにスケートパークがあったから最高でしたね。

V: いい環境だね。

H: 携帯はアメリカでパケット使いたい放題のサービスを使ってたんですけど、2週間くらいしたら圏外になっちゃって。そこから日本に帰るまでずっと圏外でした(笑)。「これじゃツアーに備えるも何もねぇ」みたいな…。ステイ先にWi-Fiはあったんですけど、自分の部屋まで電波が届かなくて。だから携帯を使うときはリビングで立ちながらだったり、外のベンチだったり。でもそんな状況が逆に良かったかもしれないです。ひとりで考える時間が莫大にあったから。ひたすら本を読んだり、思ったこととかひらめいたこととかをノートに書いたりとか。自分と向き合うことができたと思います。2ヵ月まともに日本語もしゃべれないし。日本に帰ってときは「日本語楽しー! どんどん日本語出てくるー!」って感じでした(笑)。

V: まだヨーロッパにすら着いてないのにいろいろありすぎだね(笑)。

H: ヨーロッパに行くまでになんとかお金を作らないとだめだから、サンディエゴのパークでハスリンしてました。それでいざヨーロッパ。この時点で手元に$500くらい。ロンドンに着いてまず$300くらい両替してみんなと合流しました。それでみんなと一緒にスケートショップに行ったんですよ。そしたらみんなPolarのパンツを履いてて。「それかっけー! オレも欲しー!」って黒のカーゴパンツを買いました。まだ予算に余裕があると思ったから。それでお金を払って財布の中を見たら残りがなんか少ないんですよ。要は空港の両替で1万5000円くらいボラれてて…。思い返すと、まったく用紙に書かないでお金だけ渡してたんですよ。「これでいい? これでいい?」ってやたら聞いてくるなって思ったら…完全なカモですよね(笑)。

V: 散々ですな…(笑)。

H: コミュニケーション能力がないし、カーゴパンツを返品するわけにもいかないし…。いきなり金欠みたいな(笑)。最初に行ったボルドーはよかったんですけど、ルクセンブルクでユーロが尽きちゃって。$200くらいあったんですけど、銀行でもなぜか両替できなかったんですよ。そのときにホテルで書いたメモがあって…それが超ヤバくて(笑)。

V: 読んで(笑)。

H: 「朝起きると残りが15ユーロと小銭だけだった。寝る前に“朝食をとるために早起きしよう”と考えていたため、8amに起きて朝食をプレートに乗っけてから“15ユーロです”と言われ、15ユーロを失った」。

V: もうお金ないじゃん(笑)。

H: その日は撮影がなくて湖に泳ぎに行くっていうから「やった!」って思ってたら、その湖に入るのに5ユーロかかるって言われて…。小銭全部なくなって「もう歯ブラシ買うお金もねぇ!」って(笑)。

V: 最悪だね(笑)。

H: 「両替すれば200ユーロくらいあるけどこのホテルではできないため、次の空港で両替する。それに着替えもないため3日目のパンツで寝ている。このホテルでは充電器を借りるのにもお金がかかるため、今は携帯の充電が1%しかない」。

V: この時点でほぼ一文無しでしょ? よくサヴァイブできたね。

H: ジョン・ガードナーがチームマネージャーとして来てたんですけど、いろいろ相談して助けてもらいました。ごはん代を出してもらったりとか。お金を自由に使えないのは辛かったです。携帯を使えないストレスはもうヨーロッパにいたときにはなかったんですよ。アメリカでずっと使えなかったから慣れちゃってて。

V: ホテルの部屋はどうだったの? T・ファンクがルームメイトだったんでしょ?

H: T・ファンクと一緒だったのはボルドー、ルクセンブルク、アントワープ。だからほぼずっと一緒でした。最後のベルリンはティアゴ・レモスとティアゴ・ロペスと一緒でした。ずっとポルトガル語で話してて…。「まったくわかんねぇー!」って(笑)。でもみんな自分が英語をしゃべれないこととか気にしてゆっくり話してくれたり、わかりやすいように話してくれたりして助かりました。

V: ツアーの期間はどれくらいだったの?

H: 全部で2週間。今思うと短かったような気もしますけど実際は長かったですね。毎日楽しかったです。

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V: T・ファンクはどうだったの? 好きなスケーターでしょ?

H: T・ファンクの英語はスラングが多くて聞き取るのが難しかったです。最終的には「Yo buddy!」みたいな感じ(笑)。とりあえずみんなXXXXXなんですけどそれにもついて行って(笑)。楽園でした。

V: いろんな意味でサバイバルスキルを身につけた旅だね。ヨーロッパツアーを振り返ってどう?

H: 自分の人生に大きな影響を与えてくれたツアーでした。撮影がメインのツアーで自分はそんなに映像を残せなかったんですけど、そんなことを気にしてるヤツなんていなかったから実際気にならなかったです。一番の収穫はみんなと仲良くなれたことですかね。また次に繋げることができたかなと思います。

V: 今回のツアーで学んだことは?

H: とりあえずみんなキャラが濃すぎっていうか個性が強くて。スケートのスタイル、スキルや魅せ方ってその人の個性が影響するのかなって。もっとこの人たちに影響されたいというか…意識をもっと近づけたいと思いました。だから次のツアーも参加したい。この人たちのいいところを全部欲しいと思いました。今回の旅でいろんな経験をして自分が豊かになったような気がします。

V: なんかたくましくなって帰ってきた感じがするね。前よりも堂々としてるというか。

H: たしかに堂々とできるようになったかもしれないです。みんなハチャメチャだったし、何しても誰も何も思わないというか。人は人といった感じでみんな受け入れるし。自分の意見を持ってそれを突き通すし。そういうのを学んだかもしれないですね。周りの視線なんか気にしてもしょうがないなって。

V: 今回のツアーで印象的だった出来事は?

H: ボルドーで過ごした週末がハンパなかったです。外に向けてDJブースがいたるところにあって、外なのに音をガンガンに流してて。知ってる曲が流れるとみんな歌い出したりとか。ウェスとなんとかホテルまで歩いて戻る…みたいなのを2回くらいやってました。ベルリンでも一緒に遊んで大騒ぎしたり。

V: ツアーのインスタ動画をアップしてたよね。

H: あれはツアーの思い出を全部詰めた動画ですね。あれを観ると楽しかったときのことを思い出します。曲もツアー中にみんなが流してたものを使ってて。あの動画はかなり気に入ってます。本当にみんなめちゃくちゃでした。ベルリンの4日間は毎日パーティ。DCのバスでスポットを回ったり。日本とまったく違うと思ったのは、空港の手荷物引取所でエヴァンとジョンが滑ってたとき。荷物が回ってくるターンテーブルでグラインドしたんですけど、それを見た人が拍手したり。日本だとニュースになりかねないですよね(笑)。

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V: 今回のツアーの映像はどうなるの?

H: 秋にオンライン公開されるみたいです。ヨーロッパの動画を出すらしいです。

V: 世界が近づいた感じがするね。では今回のパートについて。いつくらいから撮り始めたの?

H: 昨年の2月にひとりでサンディエゴに行ったタイミングでKEと座間ちゃんがLAに来たんですよ。そこで撮ったのが始まりです。そのときに(アンソニー・)アコスタがスポットを案内してくれたんですけど、どれも神ってました。後々ビデオで見るようになるスポットばかりで。あとは台湾でも撮影しました。今年の5月に撮影を終えたから合計で1年3ヵ月くらいですね。

V: 今回のパートで思い入れの強いトリックは?

H: このパートの撮影で最後に撮れたラストトリックがかなり思入れ深いです。もともと違うスポットでやっていたけどスポット変えたら速攻メイクできて、それでパートの撮影が終わりました。アメリカへの出発日が近づいててずっと不安だったけど納得いくのが撮れてスッキリしました。

V: なるほど。今回のパートは言葉で説明するよりも観てもらったほうが早いね。では最後に今後の活動予定は?

H: とりあえず車の免許を取りたいです。車がないとサンディエゴでは思うように動けないんで。あとは横須賀でYudai TVとシェアハウスしたいですね。ふたりで住めば周りと横須賀との繋がりも強くなると思うんで。これは実現させたいですね(笑)。

 

Shintaro Hongo
@shintaro_hongo

Date of birth :
April 29, 2000

Blood type :
A

Birthplace :
Yokosuka

Sponsors :
DC, Spitfire, Independent, Telepathy Wax

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