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やさしくて寡黙な性格ながら、ひとたびデッキに乗れば内に秘めた闘志がむき出しに。EMERICAのジャパンツアーのタイミングでジョン・ディクソンにクイックインタビュー
──JON DICKSON

2018.11.26

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photo by Tim Fielder, Special thanks: Sonik Distribution

VHSMAG(以下V): イリノイ州アンティオークで生まれ育ったんだよね。

ジョン・ディクソン(以下D): そう、アメリカ中西部。アメリカのど真ん中。

V: 地元のスケートシーンはどんな感じだったの?

D: 小さなスケートクルーがあった。近所の仲間と一緒にスケートにハマって町中で滑りまくっていた。アンティオークは小さな町。まだガキだったからごくたまにシカゴに滑りに行っていた感じ。だから地元では小さくまとまっていた。

V: 当時、影響を受けたスケーターは?

D: 今回、一緒に日本に来たEmericaチーム。『Baker 3』に影響されて育ったからBakerのみんなも。シカゴで言えばパトリック・メルチャー。ヤツもヤバい。

V: Birdhouseが初めてのボードスポンサーだったと思うけど、カリフォルニアに移ったのは?

D: 高2の頃にコンテストを通じて、フィギー(ジャスティン・フィゲロア)、コリン(・プロヴォスト)、クリス(・グレッグソン)、デイビッド・ロイたちと仲良くなってヤツらを訪ねるようになったのがきっかけ。まずは1週間カリフォルニアにステイして、地元に戻ってまた2週間ステイ。そして高校卒業を機に2007年に移住。

V: その頃にBirdhouseにフックアップされたの?

D: いや、当時はフロウチームの一員だった。そしてカリフォルニアに移ってから正式にチームに迎え入れられたんだ。

Emericaの連中とこうして一緒に活動できていることがマジでうれしい

V: Emericaにフックアップされたのは? もともとFallenだったよね。

D: Fallenが散ってしまったからね。当時は特にシューズスポンサーを探すこともなく流れに身を任せていた。ちょうど酒をやめた頃でスケートだけに専念していたんだ。そんなときに(ジョン・)マイナーと話していたら「Emericaなら何とかなるかも」って言ってくれた。驚いたよ。万が一、うまく行けばマジで最高だと思った。だから、Emericaの連中とこうして一緒に活動できていることがマジでうれしい。

V: Deathwishに加入したときはどんな感じだったの?

D: 小さなレストランでクリス(・グレッグソン)と飯を食ってたらヤツの電話にスラッシュ(ブライアン・ハンセン)から連絡が来た。「Deathwishのボードは欲しいか?」って。もうBirdhouseを辞めていたから「もちろん欲しい」って返事した。そうしてフィギーからDeathwishのボードをもらうようになったんだ。だからフロウチームからスタートして、Low Lifeツアーの最終日にムース(ルイス・デロスレイズ)と一緒にチームに正式加入。ホテルの部屋でみんなが待っててアナウンスされた。

V: リザード・キングとの“Deathwish Part 2”のパートもヤバかった。イントロのスラムも…。

D: あのスラムは見た目よりヤバくなかったけどね。確かに一瞬、気絶したけどすぐに目が覚めたし。大したことはなかった。でも一緒に撮影していたフィルマーが「病院に連れて行く」って聞かないんだ。仕方なく病院に行ったんだけど、そこがかなりスケッチーでね…。頭を打ったのに肘や首のレントゲンを撮ろうとするんだ。ぼったくりの救急病院だったんだよ。何にもないところを無理やり診察して治療費を保険会社に吹っ掛けようとしたんだろうね。だから金も払わずすぐに帰ってやった。

V: 最悪だね。ツアー中だったの?

D: いや、日常的なLAでの撮影だった。いつも一緒に動いているダリエン・ブラウンっていうロングビーチのフィルマーとのセッションだった。あれは偶然見つけたスポット。あのラインは一度メイクしたんだけど、Ss Bs 180が少しスケッチーだったから撮り直すことにした。そうして頭を強打してパックリ割れたってわけ。

V: 怪我するときは大抵そんな感じだね。では今回はEmericaのジャパンツアーでの来日となったわけだけどブランドとしての魅力は?

D: おそらく一番はチームだろうね。ソリッドな連中ばかりなんだ。わかるだろ? 一緒に活動できて光栄に思っている。シューズに関して言えばWinoが一番のお気に入り。リリースされてからずっとこれを履いているんじゃないかな。

Emericaの一員になるのがガキの頃からの夢だった…

V: ではEmericaで一番印象的だったプロジェクトは?

D: 『Made: Chapter Two』だね。あのビデオでパートを持てたこと自体ヤバいから。Emericaの一員になるのがガキの頃からの夢だった…。今はガキの頃にタイムスリップしたような感覚。

V: 撮影期間はどれくらいだったの?

D: 3、4ヵ月くらいかな。ちょうど断酒し始めた頃でスケートしかしていない時期だったし。ガキの頃みたいにスケートが楽しくてしょうがなかった。毎日スケートをしていたよ。

V: レイノルズやスパンキーも酒をやめたよね。なんでみんな酒をやめるの?

D: 酒に流されて間違った方向に進んでしまうから。余計なトラブルにも巻き込まれてしまう。いろいろとペースを落とす必要があったんだ。生活を変えなければならない時期だったんだと思う。

V: なるほど。そういえばEmericaのFOCUSというドキュメンタリー作品で知ったんだけど、おじいさんがプロレスラーとアメフト選手だったんだって?

D: じいちゃんがプロレスラーでひいじいちゃんがシカゴベアーズの選手だった。マジで強靭だった。あれには敵わない。

V: でもジョンのスケートを見るとその血を受け継いでいるのがわかるね。では最後に今後の活動予定は?

D: 特に決まったプロジェクトはないかな。フッテージを撮ってパートを出し続けることができればと思う。あとは今回のジャパンツアーのように、仲間と世界を旅することができれば最高だ。

Jon Dickson
@smokeeyes

1989年生まれ、イリノイ州出身。DeathwishやEmericaに所属し、プロレスラーとアメフト選手のDNAを継承。冷静にテラインをチャージする無骨なスタイルがトレードマーク。

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