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出会ったのは中学2、3年の頃だったかな。 初めて山下公園にスケートしに…
──20171001

2017.10.01

出会ったのは中学2、3年の頃だったかな。

初めて山下公園にスケートしに行った時にブルーのカーゴショーツ(知る人ぞ知るヨネットウェア)を履いてステージに付けていたクォーターでブッ飛んでた時か、横須賀新港埠頭であったドブ板にあったスケートショップWILDBOYSのコンテストだったかと思う。

とにかくカッコ良かった。その当時スケートボードを扱う雑誌なんか皆無だった頃なのにたまに見かけるサーフィン雑誌やファッション誌のスケートボードページにはすでに常連でいつもカッコ良い写真でとにかく憧れた。

高校に入った頃には一緒にスケートする機会も出来て、その情熱あふれるスケートボーディングとトリックのクォリティーを突き詰める姿を目の当たりにしてただただ圧巻だった。これが"プロ"だって心底思った。

それから突然ちょっとスケートボードに興味が無くなったのかバンドや風の噂だとプロゲーマーやってるって耳にした。ジャンルは違えど同じスタイルで追求していたんだと思う。

でもやはりスケートボードにカムバックしてきて本当に数年ぶりなの?って疑っちゃうくらいスケートボードに乗れててビビった。でも「またスケートボード始めたからイチからちゃんと基礎叩き込むわ」みたいなこと言って昔とはまたちょっと違った。何ていうか時代にフィットしたって言うかその時のトレンドトリックをスタンス取りから本当にイチから直して練習しているのを見てこの人の拘りと目指している所の高さというか先をみている感に驚かされた。

それからはとにかく沢山一緒にスケートボードをした。免許取り立ての俺は毎週末横浜方面へ滑りにいってBPのミニランか石川町のジョイポリスのミニランプとかで落ち合ってミニランプで身体を暖めてから夜のストリートへ繰り出したりしていた。ちょうど俺がWHEELマガジンに入る前でMETROPIAの前身でもあったQUEENZとかが結成された頃だったかな。港北ニュータウンの建設ラッシュとかで駅前とか公園は広くて超新しいのにまだ住宅地とかは少なくてセキュリティーも緩くてとにかく朝がくるまで沢山スケートをした。

ある日。っていうかいつもか、スケートボードをし終わってコンビニでチルってたら駄菓子コーナーで「俺、よっちゃんイカの当たりわかるんだよ!」とか言ってあからさまに天井の蛍光灯にむかって袋を透かしてたよね。その翌週はチョコバットだったし。笑

それで、「あの公園の池にアヒル居るじゃん!俺アヒル呼べるんだよ!」と言い出してみんなで真夜中の公園の池に行ったら池のほとりで「グワァ!グワァ!」とか鳴き真似してさ、したら本当にワラワラとアヒルが集まってきてマジうけたし!笑

とにかく突拍子もなく皆を楽しませる事が好きだったよね。それはスケートボード中もそうで、いきなり昔の技をぶっ込んできて皆を驚かせたり、いつ練習したの!?ってなニュートリックをサラッとメイクしたりといつもセッションの中心にいたね。

それから、俺がWHEELマガジンで働き始めて誌面での掲載などもあって仕事での付き合いも増えたよね。いつも良い写真が多くて掲載する写真を決めるのによく悩んだことがあったね。写真確認の時も今みたいにメールで送るとか出来る時代じゃなかったから持って行って確認してもらったりしててさ、でもその時間がもったいないから「ユーが良いと思った方ので良いよ」とかで誌面になるまで本人はどの写真が掲載されるか知らないとか今じゃ考えられないよね。たぶん俺の写真セレクトを信用してくれてたんだよね。

ちょうどWHEELマガジンで働いてる時の俺はAJSAのプロも辞めてスポンサーも全部辞めて何かスケートボードに冷めていたんだよね。なんていうか30歳過ぎてスケートボードに打ち込んでいる人ってのがその当時居なくて。そんな中、ひと足先に30歳になったよね。それで俺がちょっとそういう事を考えてる事を話したら「俺が証明してやるよ!俺が現役のうちはユーも現役でやれっから!」って言って本当に35歳、40歳、45歳になっても現役でパート出し続けるしアメリカでシグネイチャーデッキ出し続けるしでとにかく目の前で体現し続けていってくれて常に目標だった。

最近はあまり一緒にスケートボードをする機会も無くなってたけど事ある毎に「ユーが好きそうなスポットあったぞ!」とか写メ送って来てくれたりで「どこ?」とか聞くと「一緒に滑りに行かなきゃ教えないよ!」とかな返事で一緒に滑れる時をいつも楽しみにしていた。

こないだもついこないだもそんなメールくれたばかりだったじゃん。

結局スポット教えてくれないままだし、最後に会った時なんか超痩せちゃってさ「ユーの肉わけろよ!」とか言ってきてさ、それなのに早過ぎだよ。最後に会った時もこの写真見せてきて「ビフォーアフターで今の撮ろうぜ」とか言ってきたから「元気になってもうちょっと太ったら撮ろうよ」とか俺が返したら「そーだな。いまガリガリだもんな俺」とか言ってゲラゲラ笑ってさ。それが早過ぎよ。

スネポルからWHEEL出す話しも結構前からしてたけど、俺が「最後の砦にしたいから50歳でうちからフルパート出してリリースしようよ」って本当に出来ると思ってたから言ってたのにこんな形でのリリースだなんてさ。でも本人が1番悔しがってて「せっかくユーの所からWHEELリリース出来るのに映像とかなくて悔しいなー」とか言ってくれて「サイズは52mmだねー、でも堅さどうしようかなー?いざ自分のモデルってなると悩むねー」って言ってて本当にスケートボード好きなんだな~。って再確認したね。

結局WHEELの実物も渡せなかったし、あの送ってくれてた写メのスポットも行けなかったけど、また一緒にスケートボードしましょうね。

きっと天国で超ヤバいスポットをもう見付けてスケートしてるんでしょ?だっていつも最先端な先輩だったもんね。憧れでしたよ。ってかズッと憧れですよイーサン。数々の伝説を残してきたけど本当に伝説になっちゃったね。きっと貴方が残してきたスケートボード界の偉業はこの後も語り継がれることでしょう。そしてソレを目の当たりにしてきた俺とかがその役目だと思ってますので安心してそちらでスケートボードをし続けていてください。

御冥福をお祈り致します。

2017年10月1日  柳町唯

ここ数日なんていうか実感がなくいつもと変わらない日常が目の前を通り過ぎていくだびにフト思いだし、実感がわかないのではなく認めたくない自分がいました。そして昨日親しい友人からお通夜と葬儀の日程のメールなどもあり、親しい友人のSNSなどで思い出話しといっしょに色々な写真もあがりはじめてようやく自分もちょっと振り返ってみたり、最近やりとりしていたメールなどを読み返したりとしました。

そして今CAMP FIREでやっているクラウンドファウンディングですが〆切が10/19までなので引き続き宜しくお願いします。

https://camp-fire.jp/projects/view/45921 

このクラウンドファウンディングでの活動は生前のプロとしての活動をリスペクトしてSNAKE PORNOからのWHEELリリースとなります。この収益はプロとして活動をしてきたスケートボーディングの評価とスケートボードシーンに与えた影響を讃え生産コスト送料を抜いた収益を御家族に責任を持ってお届けしますので宜しくお願いします。

YUH YANAGIMACHI
YUH YANAGIMACHI
柳町 唯
(自称印象派スケートボーダー/自称スケートボードコンサルタント)

自身が立ち上げた適当極まりないSNAKE'S PORNO WHEELというブランドを運営しつつ、ファッション誌やカルチャー誌または不動産のサイトなどでもライターをしているという謎な人。過去にビデオパート(www.vhsmag.com/features/yuh-yanagimachiなど)を多数発表しており、程よい親近感の湧く緩いトリックの数々がその筋のスキモンな方々から定評のあるスケート歴30年オーバーな日本スケートボード界の裏事情通。アメリカはペンシルベニアのLostsoul skateboardsからシグネイチャーが出ているというのも物凄く謎な経歴。
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