VANS SLIP-ON PRO

 今はなき有名スポットに、秋葉原駅前広場がある。通称アキバ。広大で路面…
──第2回 : ラストエンペラー

2011.10.28

 今はなき有名スポットに、秋葉原駅前広場がある。通称アキバ。広大で路面は最高。怒られることもなく、自由気ままにに滑ることができた。
 スケートを始めて間もなかった僕は、とりあえずアキバに行っとけば間違いないだろうという感覚があり、中学の授業が終わるや否や、すぐにアキバへ向かっていた。僕は“アキバ”からたくさんの刺激をもらった。
 まず、上手いスケーターを生で見ているだけで、胸がはちきれそうなくらいワクワクした。いろいろなスケーターに衝撃を受けたが、当時のアキバで、僕が最初に衝撃を受けたスケーターは、藤井竜太郎くん。完璧なBsフリップとFsフリップを、生で初めて見たとき昇天した。竜太郎くんがいつも着ていたChoiceのTシャツが欲しくてたまらなくなったのを、今でもはっきり覚えている。

 そんな当時のアキバスケーターのファッションも、僕の胸を踊らせていた。多くのスケーターがAirwalkもしくは、adidasのSuperstar。GuessやGAPのジーパンを穿き、網ベルトを股くらいまで垂らしていた。Bitchのパーカーもよく見かけた記憶がある。それらすべてを真似るお金がなかった僕は、ウエアはEddie Bauerのセール品を毎週尽かさずチェック。靴は、ムラサキ上野店で¥3,000くらいになっていたReefのロブ・マチャドモデル(カラー激ダサ)。板はブランクデッキ、もしくはアキバで拾った中古デッキ。もう、必死である。

 アキバでは、僕のスケート人生初となる鬼グリッチョも経験した。その日も胸を踊らせながら、ひとりでアキバへ行った。昼間から多くのスケーターがいたので、おそらく休日だったと思う。アキバには特にこれといったセクションはなかったのだが、広場の周りにあった大きな花壇(みんなカーブとして使っていた)の他に、なぜか広場の真ん中に、六角形の花壇がポツリとあった。昔の411のワールドリポートで、米坂淳之介くんが、360フリップで越えてるやつ(激ヤバ)。いわば、アキバの名物セクション。

 その花壇を、やっとオーリーで越えられるようになっていた僕は、調子こきながら、何回も何回も飛んでいた。しかもメイクした後に、周りをチラリと見渡し、他のスケーターが自分を見ているかチェックまでしていた。いわいる“チラ見”を覚えたのもこの頃。その日も花壇を越えては、チラ見を繰り返してた。そんなウザい僕に、とうとう天罰が下ったのか、花壇を越えてた直後、「ブチブチッ」と鈍い振動が脳まで響いた。前々から、グリッチョという言葉は耳にしていたが、初めての経験。「これがグリッチョか」なんて思う間もなく、激痛が走る。もう歩くこともできず、頭は真っ白。座りながらスケボーにのり、自力で隅の方まで移動した。やっと我に帰り、辺りを見回してみると、多勢いたスケーターの誰ひとり、僕がグリッチョをしてもがいていることに気がついていない。あれ程調子こきながらチラ見を繰り返してた僕だが、そもそも誰も僕のことなど見ていなかった。まあそんなことは、後でいくらでも反省できる。とりあえず、今をどう切り抜くか。もう、自力で家に帰れないのは明らかだった。救急車を呼ぶしかない。とはいっても、中学生の僕はピッチ(PHS)すら持っていなかったので、呼ぶ手段がない。

 幸いにもその日、顔見知りのスケーターがいたので、声をかけ呼び止めた。「やばいっす。やっちゃいました。グリッチョっす。歩けないっす。まじ無理っす」と必死に助けをもとめた。が、そのスケーターからの回答は絶対に忘れもしない。「グリッチョ? やばいね。でも時間経てば歩けるようになるよ」と嘘みたいな言葉を放ち、サーとプッシュで行ってしまった。もういい。スケーターは諦めて、近くで休憩していた、家電の買いものを終えたであろうおじさんに声をかけた。「すみません。脚を捻挫したみたいで歩けないんです。なので、救急車を呼んでもらえないですか」。おじさんは、急展開の出来事で少し焦っていたが、とても親切で、親身になってくれた。すぐに救急車を呼んでくれ、救急車がくる間にもポカリスエットを買ってきてくれた。痛さで涙を堪えていた僕だが、おじさんの優しさには涙ぐんでしまった。

 5分程で救急車がきて、アキバの中に救急隊の人がふたり入ってきた。周りのスケーターもやっと「何かあったの?」って感じになりはじめ、板から降りスケートを中断しだした。そんな気まずい空気の中、僕は担架に乗せられ、ふたりの救急隊によって救急車へ入れられた。運ばれるとき、周りのスケーターが声をかけてくれた。「頑張れよ」「治ったらまた来いよ」そんなあたたかい声援に対して、僕は頑張って笑顔をつくり、手を振って応えた。

 その後、ギブスがとれ、再びスケートができるようになったのは、結局2ヵ月程経ってから。僕はリハビリもかね、さっそくアキバに行ってみた。そこは、相変わらず夕方になると、いろいろなスケーターたちが集まり、切磋琢磨し、賑やかに盛り上がっていた。2ヵ月前と何も変わらず。いや、しかしひとつだけ、小さな変化があった。当時の僕は、まだアキバに通い始めて日が浅かったが、挨拶を交わすくらいのスケーターが、少なからず何人かいた。そのスケーターたちが僕のことを「天皇陛下」と呼ぶようになっている。今まで話したことのないスケーターからも、ニヤニヤしながら「キミが天皇陛下か」なんて言われるようになっていた。はて「なんのことですか? 天皇陛下って?」。

 どうやら2ヵ月前の、僕が救急隊に運ばれる姿が理由らしい。多勢のスケーターに見送られ、手を振りながら、ベッドと合体型担架で運ばれる様子が、天皇陛下のように神々しかったからという本当にしょうもない理由。もう完全に笑い話になっていた。でも、まだアキバに打ち解けられないでいた自分にとって、周りからあだ名で呼んでもらえるのはとても嬉しいこと。おかげさまで、少しではあるが、アキバ仲間も増え、どっぷりアキバにはまっていった。その後、高校生となり、たまたま師匠と出会い、池袋へと通う日々が続くようになっていったのである。

 前にある人から、久しぶりに電話があった。僕が当時のアキバで出会った、古いスケート仲間である。僕が電話に出るなり、何やら笑いを必死にこらえている。

「ふと、さっき思ったんだけどさ、弟子ってさぁ、今みんなから弟子って言われてるけど、昔は天皇陛下って言われてたじゃん。天皇陛下から弟子だよ。かなりやばくない? もう、天から地に落とされた感じだよね。ギャッハハハハー」とだけ言い放ち、すぐに電話を切られた。

“天皇陛下から弟子”

 たしかに、計り知れない程のランクダウンである。

DESHI

旅とドトールと読書をこよなく愛する吟遊詩人。 “我以外はすべて師匠なり”が座右の銘。

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