トリックの名前には、時に人を傷つける言葉が紛れていることがあります。その多くは今よりも差別や偏見への意識が薄かった時代に名づけられたもの。そんな名前のひとつが「ミュートグラブ」。
この名前が生まれたのは1981年。当時、聴覚障害のあるクリス・ウェドルというスケーターが初めてこのフロントハンドグラブを披露。すでにバックハンドでつかむ「インディエアー」が定着しつつあったなか、「ではフロントハンドでつかむのはトラッカーエアーでどうだろう?」という声が周りから上がったそうです。IndependentとTrackerという、当時の競合トラックブランドをトリック名にしようという軽いノリだったのでしょう。
でもこの新しいグラブを最初にやったのはウェドル。彼にちなんだ名前にしようとするも、周囲は彼のことを「quiet, mute guy(静かなミュートの人)」と揶揄して呼んでいたことから「ミュートグラブ」という名前が定着してしまったのです。ちなみにミュートとは「言葉が不自由、口がきけない」という意味であり、ウェドルはあくまで聴覚障害者であって発話ができないわけではありません。
こうした背景をふまえ、トリックを考案した人物に敬意を表し歴史的な不正確さを正すべきということで、数年前にトニー・ホークが名称変更の提案をします。ウェドル本人も、ミュートではなくデフ(ろう者)なので、自分で命名できるなら「デフグラブ」か「ウェドルグラブ」と呼びたかったと明かしています。そうしてこのトリックは「ウェドルグラブ」へと改名。『Tony Hawk’s Pro Skater』のゲーム内でもその名称が変更されているようです。
とはいえ、今日のどれだけのスケーターがミュートではなくウェドルグラブと言っているか…長年の習慣を変えるのは簡単ではありませんし、定着するには時間がかかるとは思いますが、これはヴァートスケーターたちのクリス・ウェドルに対する40年越しのリスペクト。クリス・ウェドルというスケーターの存在とシーンへの貢献を、トリック名で称えることには大きな意味があるはず。ちなみに本コラムのサムネールは現在のウェドル、そして貼り付けた動画は息子と一緒に披露したウェドルグラブ。
このトリック以外にも、「セックスチェンジ」や「ゲイツイスト」、「チャイニーズオーリー」など、今の価値観で見れば再考が必要かもしれないトリック名は他にもあります。それらを変えるべきか、時代背景として残すべきか。簡単に結論が出ない議論ですが、これらのトリックについてはまた別の機会に。
—MK









