1989年にリリースされた『Streets on Fire』に収録されたナタススピンは、スケート史に残る伝説的な1シーン。今回はこの妙技の起源について調べてみました。
誕生のきっかけは、意外にも仲間の散髪を待つ間の暇つぶし。ナタスが消火栓の上でスピンして遊んでいたことから始まります。当初は何回スピンできるか仲間と競うだけで、着地の方法すら定まっていなかったとのこと。
そんなある日、『Streets on Fire』の撮影クルーがその噂を耳にし、映像として残すことを提案。フィルムを何本も無駄にしながら試行錯誤を重ねた結果、ポールを掴んで減速しながら720°スピンして着地するという形に到達。ただの暇つぶしがのちに伝説の1シーンとなるとは想像もしなかったとナタスは語っていますが、彼が後にも先にもナタススピンを披露したのはこの1回きり。それがナタスの最大のレガシーのひとつになるとは本人も驚いたことでしょう。
ただし、このナタススピンにはもうひとつの逸話があります。実は『Streets on Fire』で披露される1年前の1988年6月、マイク・ヴァレリーが似たトリックをすでに披露していたのです。その証拠がイギリスのスケート誌RADの1988年9月号に掲載されたシークエンス。オーリーでポールに乗り、ノーハンドで360°スピンして着地するというもの。そして数年前にヴァレリーはそのシークエンスを自身のIGに投稿。「自分が発明した」とは明確に主張していませんが、これが世界初のナタススピンかどうかと問われると「そう思う」と控えめに答えています。
とはいえ、これはナタスがヴァレリーのトリックをパクったということではありません。当時のナタスはスケート誌すらほとんど読まず、ましてやUKの雑誌をチェックしていた可能性は低い。さらに両者は西海岸と東海岸という対極的なシーンに属していました。
結果として「ナタスとヴァレリーが、それぞれ独立して同じトリックを生み出した」というのが現在の定説。順序としてはヴァレリーが先ではあるものの、世界に広く知られるきっかけを作ったのはやはりナタスの『Streets on Fire』ということ。
いずれにせよ、このふたりのアプローチが重なった偶然こそが、スケートの歴史をさらに豊かにしていると感じる今日この頃。そして誰が先に発案したかはさておき、ナタススピンが永遠のアイコンであることに疑いの余地はありません。
—MK









