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1987年から1997年におけるHIP-HOPとスケートの融合をテーマにしたドキュメンタリー映画『All the Streets Are Silent:ニューヨーク(1987-1997)ヒップホップとスケートボードの融合』。これまでに『The Brodies』を始めとするスケートビデオを手掛けてきた監督のジェレミー・エルキンからニューヨークへのラブレター。
──JEREMY ELKIN / ジェレミー・エルキン

2022.10.21

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Portrait_Zander Takemoto
Special thanks_Regents

VHSMAG(以下V): ジェレミーはモントリオール出身で、これまでスケートビデオ制作を続けてきたよね。今はNYを拠点としているけど、映像制作を始めたきっかけは?

ジェレミー・エルキン(以下J): オレは末っ子で3人の兄妹に囲まれて育ったんだ。姉のひとりはいつもカメラを持ち歩いてた。そして兄は’80年代にスケーターでDJだったからいつもNYに行ってた。さらに母がブロンクス出身だから家族に会うためにNYに行く機会が多かった。だからNYとは昔から繋がりがあったんだ。2009年から2010年にかけてNYに移ったのはごく自然なことだった。すでに何度も訪れてたからね。とにかくビデオを撮り始めたきっかけは、他のフィルマーと同じ感じだと思う。13歳の頃に一緒に滑ってた周りの連中は自分よりずっと上手かったんだ。オレはハードフリップでベンチを越えたりできなかったし。モントリオールでは誰もビデオカメラを持ってなかった。ダウンタウンでビデオカメラを持ってたのは2、3人。だから周りのスケーターを記録するのはいいアイデアだと思った。そうやって何本もスケートビデオを作っていったんだ。当時の思い出を振り返ることができる楽しい歴史的なツールみたいなもんだと思う。

V: モントリオールで仲間を撮り始めて母親がNY出身ということだけど、NYのスケートコミュニティに初めて触れたのはいつ?

J: 9歳か10歳の頃からSupremeに行ってたから。よくTシャツを買いに行ってたんだ。モントリオールに帰ったら、仲間たちから「なんでNYのスケートシャツを着てるんだ!」って言われたのを覚えてるよ(笑)。当時からSupremeのヴァイブスが好きだった。雰囲気が独特で他のスケートショップとは全然違ったんだ。NYのシーンも好きだった。NYが一番イケてると思ってたし。NYはモントリオールをよりきらびやかにした感じ。今はモントリオールをまた違う形で評価してるけどね。13年間NYに住んでモントリオールのシーンの良さがわかるようになった。歳を取るといろいろと変わるよね。

 

 

V: これまで『Lo-Def』や『Elephant Direct』に加えて『The Brodies』などを制作してきたよね。どのような経緯でNYのスケーターを撮ることになったの?

J: いろいろあったんだ。これまでガキの頃からモントリオールでスケートビデオを作ってたけど、そこには昔からNYの映像が入ってた。昔からいつも1ヵ月ほどNYに行って撮影することが多かった。当時は兄が12番街に住んでたから、そこや仲間の家に泊まったりして。19歳か18歳の頃はSupremeで働いてたプライス・ホームズのブルックリンの家に泊まらせてもらってた。これはフラッシングとかでよく撮影してた2000年代初頭の話。撮影から帰ってくると、VXカメラを繋ぐか映像をDVDに焼いて、Supremeのショーウィンドウのモニターで流すんだ。NYに頻繁に来るようになってたから、電車やバス、飛行機のチケットとかを考えると交通費がバカにならない。それならアパートを借りたほうがいいと思った。母親がアメリカ人だからアメリカのパスポートを持ってるしビザは必要なかった。それで『Elephant Direct』を完成させてNYに移ったんだ。イーストコーストで撮影ツアーをやったんだけど、そのときはNYで数週間撮ってボストンに行くという流れだった。トーリー・グドールも参加してたんだけど、ヤツはNYに残ってパーティしてたのを覚えてる。そのときにレブ・タンジュと出会ってやつらはPalaceを始めたんだ。狭い世界だよ。みんな仲間だしひとつのコミュニティ。すべてが繋がってるんだ。

最後の素晴らしい時代だと思う

V: 映画『All the Streets Are Silent:ニューヨーク(1987-1997)ヒップホップとスケートボードの融合』(以下『All the Streets Are Silent』)に取り組んだきっかけは? 1987年から1997年という特定の年代に焦点を当てようと思ったのはなぜ?

J: オレは’87年生まれで、兄姉はずっと年上なんだ。オレが生まれたときはすでに10代。オレのベッドルームはスケーターでDJだった兄の部屋の向かい側。喋れるようになる前からBeastie BoysとかKRS-Oneのポスターが壁に貼ってあった。この映画でフォーカスした年代は、911以前、インターネット以前、YouTubeのような大きな変化がある前の、最後の素晴らしい時代だと思うんだ。ユキ・ワタナベ、イーライ・ゲスナー、RB・ウマリから提供されたアーカイブ映像があれば、ある意味、その時代を追体験することができる。その映像を観ることができただけでも本当に光栄だったよ。

V: 昔のNYのスケート映像はほとんどイーライが撮ったもので、『The Brodies』のタイトルも彼が担当したんだよね?  数年前にNYでイーライを取材したときに独立記念日に撮影した映像のことを話してたのを覚えてる。背景には花火が上がってて…。当時はそれをミュージックビデオに使おうと話してたんだと思う。そして『All the Streets Are Silent』を観たら、それが冒頭のシーンで使われてた。あれは本当に美しいシーンだよね。

J: あの映像は冒頭に使うしかないと思ったから。あの映像自体が芸術作品のように前面に出てくるべき。撮り方やすべてが素晴らしくて、それだけで存在感を示す必要があったんだ。ストーリーの中に埋もれるようなことは絶対にしたくなかった。わかるだろ?

V: すべてのアーカイブ映像をデジタル化して、どのクリップを映画で使うかを決める作業は大変だったんじゃない?

J: どれを使うか決めるのは簡単だったよ。オレは自分の仕事をキュレーターのようなものだと思いたいんだ。そしてこの作品でのオレの役割は歴史のキュレーターのようなもの。オレがクリップに興奮すれば観る人も興奮するはず。興奮できないクリップは使わない。あと映画に入れられないクリップもあった。たとえばジーノ・イアヌーチの素晴らしいクリップがあったんだけど使えなかった。スイッチポップシャヴィットでゴミ箱を越えるクリップ。誰も観たことがないし、一度も世にも出てない。ピーター・ビシがアスタープレイスで撮影したテープに入ってたんだけど、すごく暗かったんだ。しかも4×3だからジーノがフレームアウトしてウィールとゴミ箱しか見えなくなってしまう。観られるだけで信じられないと思えるような貴重な映像だった。でも映画にハマらないから使わなかったんだ。

 

V: まさに宝物だね。

J: その通り。イーライのアーカイブ映像もヤバかった。RBのものもそう。ユキも…。ユキのテープは1/3くらいしか確認できなかったけど。

V: ユキ・ワタナベとRBに提供してもらった映像はどんな感じだったの?

J: RBはテキサス出身で、Zoo York『Mixtape』が出る1年前くらいにNYに移ってきたと思う。今回の映画は’87年から’97年までの話だから、最後の1年の箇所で使う映像は必然的にRBのものになる。その頃のイーライはZoo Yorkの運営で忙しかったから。当時はRBがアンソニー・コリアやダニー・スパといった若手を撮影してたんだ。一方でユキはMars(※本作に登場する重要なクラブ)で毎日撮影してた。Marsのシーンではユキとイーライの映像を使ったんだ。イーライの映像には柔らかな表情がある。カメラもそれぞれ個性がある。Marsのシーンで使ったイーライの映像は5〜10%くらいかな。そして9割がユキと奥さんのマユミが撮影したもの。

V: ユキさんは毎日Marsで撮影してたとのことだけど、時代を考えると普通じゃないよね?

J: 普通じゃないね。時代の先を行ってたと思う。撮影しまくってラベルを貼って管理してた。

 





V: この映画にはたくさんの人が登場するけど、合計何人くらいにインタビューしたの?

J: 映画の撮影日数は220日くらいで、たしか合計55人取材したんだと思う。使ったのは33か34人。だから20人くらい使わなかった。

V: Hip-Hopのアーティストの取材で緊張したりすることはなかった?

J: ハングアウトできるだけでも光栄だったよ。A$AP Fergはオレが今座っている席でインタビューを受けたんだ。ボディガードとマネージャーを連れて来てくれたんだけど、インタビューが終わって「リスペクト。忙しいのにありがとう」って言うと「オレはどこにも行かねぇよ」って。「オマエの話を聞かせてくれよ。帰るのはそれからだ」って。そうやって、ずっと一緒にいろいろ話したんだ。みんなマジで素晴らしい人間だよ。地に足がついていて穏やか。だから怖くなんてなかった。 この映画に登場するアーティストで撮影秘話を聞きたい人は?

V: 個人的にTek(SMIF-N-WESSUN)とLil Dap(Group Home)かな。

J: TekとLil Dapはヴィニー・ポンテの仲間なんだよ。ヴィニーのホーミーだから繋いでくれたんだ。昔からの仲間。そんなことがあるなんて、NYはクレイジーだよね。そうだ、ひとつ思いついた話がある。テープのデジタル化を手伝ってくれる人が必要で、何人か仲間に来てもらったんだ。その中に若い女の子がいたんだけど、彼女にテープの整理とデジタル化を手伝ってもらった。Bobbitoのインタビューにも立ち会うことができて喜んでたよ。そのときオレはDJ Premierの楽曲使用の許可の件で電話してたんだ。するとその娘が「力になれると思う。友達がPremierの知り合いなの」って言うんだ。若くてかわいらしい金髪の女の子がそう言うんだよ。ラッパーとかDJと繋がってるなんて思いもしない。話を聞くと、彼女の親しい友人のひとりがGuruの息子であることが判明したんだ。それで早速、次の日にGuruの息子が僕のアパートに来たってわけ。

V: ヤバい展開だね。

J: いろいろ話したよ。まだ若かった。18歳か19歳くらいだったかな。Guruが亡くなったのは2010年。さらに奇妙なことに話し方も見た目もGuruにそっくりなんだ。名前もGuruの本名と同じキース・イラム。そうしてキースがPremierやGuruの楽曲や素材の使用許可を手伝ってくれたんだ。そうしてイーライとマイク・ヘルナンデスが車に乗っている映像を使うことができたんだ。GuruのラップとPremierのビートが車内に流れてるから。すべてGuruの息子のおかげ。ヤバいよね。NYの奇跡だ。

V: Lil Dapは?

J: Lil Dapは彼の甥であるマネージャーと一緒に車で現れたんだ。そしてユニオンスクエアで取材するつもりだったんだけど、その前の週にワシントンスクエアパークでジェフ・パンを撮影したときに400ドルのチケットを切られて。もう罰金は勘弁だからいつも朝食を食べる店の近所で取材することにした。小さなスタンドパイプに腰掛けてもらってね。それでインタビューを始める準備をしてたら「ちょっと待って」って言うんだ。彼はグレーのFilaのトラックスーツを着てた。そして赤と青がサイドについたFilaの新しいレザースニーカー。すると「甥っ子よ 」って言うと甥のマネージャーが箱を持ってくるんだ。つまり新品のスニーカーで1ブロックほど歩いたから「フレッシュなスニーカーが必要だ」って感じだったんだよ。そして1ブロックしか履いてない新品のFilasを脱いで、別の新品のまったく同じスニーカーに履き替えたんだ。あの人はつねにフレッシュじゃなきゃダメみたいなんだ(笑)。

V: キテるね。

J: でもみんなそうだよ。Kid Kapriも腕時計を選ぶのに10分かかったから。Fergはグリーンのレザーショーツを履いて、何もかも新品で現れた。みんな取材を受けるときは100万ドルのように感じなければならない。身に着けるものは全部新品。

V: 取材したかったけどできなかったスケーターやアーティストはいた?

J: Fat Joeは惜しかったけどね。できそうだったけどできなかった。Busta Rhymesも欲しかったけど、Stretch(Armstrong)とBobbitoのドキュメンタリーで同じようなインタビューを受けてたから。だから実際に登場するよりStretchに説明してもらったほうが効果的だったと思う。最終的に使わなかったけど、BobbitoはBustaについて素晴らしい言葉を使って褒めてくれた。Bustaのパフォーマンスを見て「クソを漏らしそうになった」って表現してたよ。ときには第三者が説明したほうがその素晴らしさが伝わることがある。だってBusta本人に「当時はどうだった?」って聞いても「ラジオ局に行ってラップして帰った」くらいしか言わないだろうし。

V: そういえば今回の映画の試写会場でKool Keithがジェレミーを褒めてるIGクリップがあったね。

J: Kool Keithは4回も試写会に来たんだ。メインの試写会は400人が入る大劇場。みんないた。そして映画が始まって20分くらいしてKool Keithがスクリーンに映るんだけど、その直前にKool Keith本人がUltramagnetic MC’sのメンバーを引き連れて劇場に入ってきたらしいんだ。観客の中にオレの友達がいたんだけど、その光景を見て「Kool Keithがスクリーンに映ってて、目の前で本人が空いてる席を探してるなんてどういう奇跡?」って言ってたよ(笑)。ということでKool Keithは最初の20分間を見逃したんだ。そして次の夜の試写会にも来たんだけど遅刻して最初の10分を見逃したらしい。3日目の試写会は登壇イベントがあったからオレも会場に行ったんだ。するとKool Keithが列の一番前に並んでるんだよ(笑)。「もう観なくていいんじゃないの?」って思ったけど。そしたら4日目もまた来たんだ。ということで4日連続で来てくれたんだ。

 

V: 素晴らしいね。

J: ヤバいよ。ちなみにそのIGクリップは、列に並んで最初から最後までフルで観ようと意気込んでた3日目のものだね。

V: ジェレミーは本作でフォーカスした年代をリアルタイムで知らないわけでしょ? そういう意味でリアルに描かなければならないというプレッシャーを感じることはなかったの?

J: もちろんプレッシャーはあったよ。インタビューのためにStretchの自宅に行ったとき、リビングルームでMarsのシーンのラフカットを見せたんだ。すると「なんでも好きなようにやってくれていいけど、Marsのシーンは完璧にしてくれ」って。というのもStretchはMarsが終わる直前に有名になり始めたんだ。そしてそのときにBobbitoと出会って、ラジオ番組を始めることになった。StretchはMarsのシーンのナレーションと映像が合ってるかかなり気にしてたよ。たとえばBobbitoが屋上について話しているなら、屋上へと続く実際の階段の映像を使わなければならない。何度も打ち合わせをしていろんなフィードバックをくれた。Stretchはすべてのクリップをリアルに表現することにこだわってたんだ。

V: だからこそ当時が忠実に表現されてるんだね。あの時代を追体験できるのはうれしい。

J: 911の前、インターネットが普及する前、ソーシャルメディアの前。変化の前の偉大な10年。都市の変化でも、建築物、縁石でもビルでも、何でもいいんだ。建材も変わったし。2000年代にはガラス張りのタワーが登場した。これは最後の偉大な10年への素敵なラブレターなんだ。’80年代が終わり'90年代が始まるときはエキサイティングだった。インターネットがすべてを変えてしまう前の時代。NYは本当に変わってしまった。街を歩けばWu-Tang Clanを聴いてる若い女の子や、The North FaceやSupremeを着てる60代のお父さんがいる。その光景を見れば、あの時代がいかに特別だったかわかるよ。みんなあの頃を懐かしんでるんだと思う。魔法のような時代だったから。

 

V: この映画はNYのシーンに夢中になっていたスケーターたちにとって大きな意味を持つし、それはHip-Hopファンにとっても同じだと思う。その世代の多くの人にとっての黄金期だったわけだから。

J: NYのシーンが好きなら、いろんなことの答え合わせになると思う。たくさんのストーリーをひとつの物語にまとめているから。それがこの映画の目的。 『Stretch and Bobbito』のドキュメンタリーは素晴らしかったと思う。『Deathbowl to Downtown』も素晴らしいスケートドキュメンタリーだ。その後にはViceのスペシャル番組もあったけど、どれもNYのいろんなストーリーを繋げたわけじゃなかった。オレはあらゆるストーリーをひとつに繋げられる作品にしたかった。また他の作品にはない新しい視点や声を取り入れたかった。だってどの作品も登場する面子が同じだから。普段あまり登場しない人たちの声を聞くことで、もっとフレッシュにしたかったんだ。ジーノ、ケイリス、キャロル、パン、スケートコミュニティーの人たち。そしてTek、Black Sheep、Clark Kent、Stretch、Bobbito…。サウンドトラックにはLarge Professorが参加してくれた。普段はあまりインタビューに応じないような人たちばかりだ。大物のHip-Hopヘッズが登場したら良かったかもしれないけど、同時に、本当にアンダーグラウンドで良かったと思う。必要な人たちだけ。それだけでいい。素晴らしい旅だったよ。


 

 

Jeremy Elkin
@jeremyelkin

カナダ・モントリオール出身。『Lo-Def』『Elephant Direct』『The Brodies』といったスケートビデオからドキュメンタリー映画までさまざまな作品を手掛けている。
『All the Streets Are Silent』の劇場情報はこちらから。https://atsas.jp/

 

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