ADIDAS SKATEBOARDING

行政、ローカルスケーター、そしてパークビルダー。立場もバックグラウンドも異なる3者が同じテーブルにつき、ゼロの状態から対話を重ねてきた。多賀城市に誕生するTAGAJO CENTRAL PARKは、そんな対話の積み重ねから生まれたスケートパーク。署名活動、市長の後押し、現場で調整を重ねていくスケーター主導の設計。初心者からトップレベルまで、世代が交差する場を本気でつくろうとしたそのプロセスを3者の言葉から紐解く。
──TAGAJO CENTRAL PARK

2026.01.16

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Special thanks_MBM Parkbuilders

VHSMAG(以下V): まず荻堂さんと星川さんの自己紹介をお願いします。

荻堂盛貴(以下O): 活動としては、スケートボード歴が約34年。25歳頃にAJSAのプロ資格を取得して以来ずっとその活動を続けてきて、今に至るという感じです。スケートスクールは2012年頃から始めて、もう13年くらいになります。実績としては、銀メダリストの赤間凛音を育てたことが一番大きいと思います。

星川智洋(以下H): MIYAXという会社に勤めています。自分自身はスケートボードはやってこなかったんですが、最近少しずつ始めています。会社としては、公園や遊具をつくる仕事をしていて、このプロジェクトはプロポーザルによって選定されました。私はプロポーザルに応募するタイミングからプロジェクトマネージャーとして活動しています。

V: このTAGAJO CENTRAL PARKのスケートパークがどんな経緯で始まったのか、そのストーリーを教えてください。

H: もともと多賀城市では、道の駅構想などいろんな案がありましたが、市としても新しい賑わいを生み出す方法を模索する中で、スケートパークというアイデアが浮上しました。具体的なスタートは、サウンディングに参加したことです。

V: 荻堂さんは最初から関わっていたんですか?

O: そうです。何も決まっていない段階から市の方と話すところから関わっています。

V: 話が決まったのはいつ頃ですか?

O: もう2年くらい前になりますね。

H: 2024年の4月頃にプレゼンをして、正式に決まったのが5月頃ですね。

V: 木村さんもそこからずっと関わっているんですよね。

木村将人(以下K): そうです。荻堂くんに声をかけられて。実は以前、彼と一緒にプロジェクトを進めて流れてしまった苦い経験があったので、今回はリベンジも含めて、という気持ちでした。

O: どうしてもMBMさんじゃなきゃダメだと思っていました。

V: 星川さんは、スケートボードに関わってこなかった立場として、最初の印象はどうでしたか?

H: 正直に言葉を選ばずに言うと、輩感というかアンダーグラウンドなイメージはありました(笑)。でも荻堂さんに会って、その印象は一気に変わりました。「あ、全然違うな」と。こういう人たちがいるなら、全然ハマるなと思いました。

O: 自分は20歳くらいから、署名活動など行政と関わるスケートボードの活動をしてきました。変なイメージを出すと話を聞いてもらえないので、その辺はずっと意識しています。その流れで元気フィールド仙台や榴岡公園といったパークなども実現してきました。

V: 赤間凛音の存在は、このプロジェクトにも影響がありましたか?

H: かなり大きかったと思います。

K: たしか、今回の話が決まった直後くらいに銀メダルでしたよね。荻堂くんが「パブリックビューイングで応援するんだ」って言っていて、本当にメダル獲ったもんね。

O: 彼女は世界選手権でも上位に入っていたので、プレゼンでも実績として使えました。四十住さくらや青木勇貴斗からの応援メッセージもあって、すごく後押しになりました。

V: 木村さんは、このパーク建設の話を聞いたときにどう思いましたか?

K: 最初は「取れたらいいな」くらいでした。ただ以前の荻堂くんとの話が流れたり悔しい経験があったので、今回は気合が入っていましたね。

V: 荻堂さんにとって、MBMと組む意味は大きかった?

O: めちゃくちゃ大きいです。いろんな行政との苦い経験があって、もったいないこともたくさんあったので。時間や労力が水の泡になるのは避けたい。だから実績があって、スケートボードをちゃんと理解している人に任せるのと、そうじゃないのとでは180度違います。

K: 役所の方も寛大で協力的なんですよ。公共事業で、今この段階でスケーターに試走させてくれたり、レールの高さを変えたりできるなんてなかなかないんです。そういうことに対応してくれる気持ちがうれしいですよね。「設計通りで何も変えられない」と言われるのが普通ですから。市長さんがアツい人なのですごく助かっています。

V: ローカルの意見はどう反映させたんですか?

O: 昔に周りの意見を集めすぎて失敗した経験があるので、今回は聞くけどまとめすぎないようにしました。流行や全体の流れを見て、「最終的にみんなが喜ぶもの」をある程度独断で決めました。

K: 大枠のセクションのデザインとレイアウトは荻堂くんが決めて、細かい高さなどは現場で調整しました。そういうことが久しぶりに思う存分できている感じです。レールの位置なんかも変更しまくりだったんで(笑)。現場で変えられるのが一番大事。スケーターは土木経験がないから図面だけじゃわからないじゃないですか。実際に立って見て決める必要があるんで。

 




スケートボードが上達するためのステップが全部詰まっている

V: ではパーク全体の構成を簡単に説明してもらえますか?

O: 大きく3つのエリアに分かれています。まず初心者向けのフラット中心のエリア。そしてストリート要素のあるプラザ的なエリア。そして大会用のトップレベルの練習ができる屋内スペースという構成です。これはスケートボードの本質である遊びからスタートし、上手くてかっこいいスケーターに憧れ、ファッションや音楽に繋がり、ライフスタイルとして、競技として、いろんなスタイルのスケーターが自分の好きな道を見つけ、上達するためのステップが全部詰まっています。

V: 木村さん的に一番思い入れのあるセクションはどれですか?

K: やっぱり小さくてタイトなトランジションですね。最初はどうかなと思ったけど、つくってみたらすごく良かった(笑)。

V: 試走ですでにこのセクションだけかなり滑った跡がありますもんね(笑)。

 

O: 普通は公共のものは受け渡しまでに傷をつけずにきれいな状態にしておくもんですよね(笑)。ちなみに自分が気に入っているのは、あのU字型のレッジですね。あの形はなかなかないし、使い方が幅広い。オブジェっぽいものをつくりたかったんですよ。

K: そのレッジにはバンクがついているんですけど、敢えて入口をアールにしないでタイトにしました。ストリート感を出すというか。

O: あとは海外のストリートのプラザにありそうな3段のレッジ。

K: でもなぜか最後に小さいバンクを両サイドにつけることになって。これは完全に後づけで工事が始まってから現場で決まったことです(笑)。

 

V: 現場で意見を取り入れて変えられるのはすごいですよね。

O: MBMさんじゃなかったらこういう変更も無理でしたよ。

K: そうやってつくったパークは、やっぱり今でも人気があるんです。仕事として割り切るんじゃなくて、勇気を持って変えられるかどうかが大事だと思いますね。

H: うちは完全に丸投げだったんで(笑)。すべて任せて、お金の部分だけ合わせてもらえればOKでした(笑)。スケートボードをやってみたくなるような、純粋におもしろそうなパークだと思います。

V: ちなみにカフェとベーカリーが併設されるんですよね?

H: そうですね、イメージとしてはベーカリーカフェみたいな感じです。宮古島でカフェをやっている方が関わっていて、その人はコーヒーの栽培から焙煎まで自分でやっているんですよ。そういう人がちゃんと吟味したものを提供してくれるから、やっぱりコーヒーは純粋に美味しいです。

V: ということはスケーター以外の方々もこの場所に遊びに来るということですよね。

H: ここ最近、多賀城の南門が復元されたこともあって、観光で来る人がかなり増えています。まだ建物は完成していませんが、将来的には「ちょっと立ち寄ってみよう」と思っていただける場所になるといいなと思っています。

O: 歴史的な景観のなかにアメリカンカルチャーの要素が混ざっているのもおもしろいですよね。

H: この事業は、歴史的にも意味のある土地に新しい価値を生み出すという点で大きな挑戦です。遺跡の保護と活用を両立させながら、地域の賑わいを創出することを目指しています。

 

V: オープン後、どんな光景が見られたら「成功」だと思いますか?

O: 光景としては、やっぱり初心者から上級者まで、子どもからお年寄りまで、すべての層が一箇所に集まって、みんなが一緒に滑っている状態になれば成功だと思います。最終的なゴールとしては、もちろんオリンピックに出るような子を輩出して、さらに次の世代へとつなげていくこと。そのためのゼロからの種まきから、花が咲くまでの一連の流れがパッと見えるようになったら、それが成功なんじゃないかなと思っています。

H: そうですね。そこまでいったら本当にハッピーです。管理する立場で考えると、おじいちゃんやおばあちゃんや小さい子、若い世代や兄ちゃんたちがわちゃわちゃしていたり、そうやって世代を超えて人が集まれる場所になればいいなと思います。

V: 木村さんはMBMでこれまでいろんなタイプのパークを作ってきましたが、このパークの位置づけというか、木村さん的に思うことはありますか?

K: 仙台って海もあるし山もあるし、横乗りをやっている人が結構多い街だと思うんですよね。「今日は波がないからスケボーやろう」とか、「雪がないから今はスケボー」みたいに、自然にミックスできるのがいいと思うんです。「今日は波が悪いからここでいいや」とか、ここで楽しんでいるうちに仲間ができたり。遊具で遊んでいた子が「私もスケボーやりたい」って言い出したり、スケボーやっている子がバスケをやったり。そうやっていろんな遊びがミックスできたら最高ですよね。

V: では最後に、地元のスケーターの荻堂さんに締めてもらえればと思います。

O: 自分は昔からスケートボードをやってきて、いろんな考え方があるとは思うんですけど、これだけ頑張っているスケーターが一般の人に認められないのがすごく嫌なんです。スケーターの価値を上げたいという思いはずっと前からあります。ここができることで、地元の人たちがスクールをきっかけにスケートボードに触れたり、そこからどんどん輪が広がっていったり。地域の人とスケーターがつながって、一緒に盛り上がって「ここ、すごくいい街だよね」って言われるような場所になれたら、それが自分にとっての本当のゴールだと思っています。あとはこの場所だけじゃなくて、いろんな公園にちょっとでも滑れる小さなフラットの場所を作っていく。そのなかのひとつのモデルケースになれたらいいなと思っています。全国の自治体とも連携しながら、アメリカみたいに各地区に気軽に使えるパークがあって、そこからここに集まってくる。そんな流れを作るモデルケースを目指したい、というのが最終的なイメージですね。あとは若い頃に多賀城でやんちゃして迷惑をかけたこともあったので、少しでも恩返しになればと思います(笑)。

 

TAGAJO CENTRAL PARKのキーフィギュア。写真左から、荻堂盛貴、星川智洋、木村将人

 

TAGAJO CENTRAL PARK
tagajocentralpark.com @tagajo_central_park_official

宮城県多賀城市に誕生する、スケートパーク・屋内練習施設・ベーカリーカフェを併設した複合型パブリックスペース。歴史的景観を持つエリアに敢えてスケートカルチャーを融合させ、世代や属性を越えて人が集まる新しい公共空間を目指している。3月中旬オープン予定。

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