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アルコールの誘惑との闘い
──第30回:断酒

2025.09.22

「病名 不安障害」
「上記のため、当院通院中。2025年10月31日まで自宅療養を要する」と、診断書に記されていた。

 僕は昨年の年末あたりから、また精神面の不調が出てきた。今年の2、3月くらいには、本気でやばくなっていた。
 そして今年の4月から、3年ぶりに再度精神科へ通院することになった。現在の会社から休業をいただき、療養中である。

 

2025年7月10日 午前10時8分

 場所は、新潟県南魚沼郡湯沢町公民館ロビー。ちょっとしたカウンターがある、自由スペース。1週間ぶりにパソコンを開いた。会社から託されているMacBookである。
 手がすごく震える。禁断症状が出ている。ただ今は不安感はない。不思議だ。3日前から飲み始めた、新たな薬が効いてるのかもしれない。いや、お酒をやめたからだ。きっと…。

 数年ぶりに、熟睡を実感した。いかにアルコールが、睡眠の質を下げていたかを身を持って実感した。ともあれ、とりあえず今朝は調子がいいのは事実。でも午後からはきっとまた調子が悪くなってくる。そして、またお酒を呑みたくなるだろう。いや、今の自分にとって、お酒は「呑む」ではなく「飲む」になってしまっていた。

 昨日はかなりきつかった。不安感、パニックが来そうな恐怖が一気に襲ってきた。お酒を飲みたい欲求が恐ろしくきた。手の震えもハンパなかった。「もう精神病棟で拘束してもらったほうがいい。もう元の自分に戻れない」と強く感じるくらいやばかった。お酒を飲めば、一時的にこの症状は治る。しかも速攻で治る。ただ、3日前に「もう飲まない」と決意したから、気合いで乗り切った。

 僕はほぼ毎日お酒を呑んでいた。お酒といっても、発泡酒だ。毎日500ミリ缶を3、4本。次の日が休みの日や、仲間の家でドンチャン騒ぎの日はもっと。石川県に移住した頃だから、かれこれ15年くらいか。

 

 今回パニック症が再発してから、主治医の先生から言われた。「このままだと、完全なアル中にもなってしまいますよ」と。「アル中にも」と言うことは、不安障害は完全に、ということのようだ。

 自分なりに「アル中」というものを昨年末からいろいろ調べたりしていた。安心したいからだ。ネットで少し調べるだけで、情報が無数にある。それらの、記事や動画のコメント欄には、多くの書き込みがされている。こんなにも「アル中」で苦しんでいる人が多いのかと。そしてなかには、壮絶な体験談も記されている。中島らも氏の、僕の大好きな小説『今夜、すべてのバーで』も、また読み返した。それらの情報を目にし、「自分はまだまだ大丈夫だ」と納得させ、表面上では安心した気になる。そう思い聞かせていた。実際に、そんな体験談の方たちにくらべたら僕の飲む量はそんなでもないし、仕事中に飲みたくなることもなかった。ただ、自分でははっきりわかっていた。自分はすでに完全な「アル中」だと。また、このままではいつか、かなりやばくなる、とはっきりと感じていた。パニックは、もう治らないと思っている。今後一生付き合っていくつもりだ。ただ、それにはお酒ともうお別れしないといけないと感じるのだ。お酒に罪はない。今でも好きだ。でも、もう普通に、健全にあなたとお付き合いできる自信がもうない。
 中学生の頃に付き合ってたひとつ年上の彼女から「嫌いではないけど、好きじゃなくなった」と振られたことがある。かなり、ショックを受けたが、「まあ、それはしょうがないな」と、妙に納得した。3日前に、僕はお酒に、一方的に別れを告げた。「嫌いにもなってないし、今も大好きだよ。でも別れることにしよう…」と。実際に、いつも行っているスーパーまで行き、本当に本人目の前でそれを心の中で告げて、決意表明として、写真も撮った。お酒からしてみればきっと、「は? 別にあなたと付き合ってたつもりないんだけど…」てな感じだろう。

 

 3年前にパニックが再発した時から、僕はお酒の呑み方が変わった。いや、呑み方は変わってないのだが、呑む目的が変わったのだ。お酒を、薬として「飲む」ようになった。ただの摂取である。お酒はすごい。すぐに、一瞬で、不安感がなくなる。楽しむために、息抜きとして呑むのではなく、パニック、不安感を抑えるために飲むようになっていった。

 僕は18歳の頃、初めてパニックを起こした。それ以来、数年に1回くらいパニック発作が起き、うつ状態になる。このうつ状態はしばらく尾を引くのだ。親しい友人数人にはこのことを軽く打ち明けてるが、詳しくは説明してないし、ほとんど誰も知らない、親にも言ってない。別に隠すつもりはないのだが、この僕のパニック症状は口で説明できないのだ。表現ができないし、きっと理解してもらえない。僕の担当医の先生ですら、この感覚は理解できないと思ってる。

 ただ、ひとつだけ簡易的に表現するなら「自分がなくなる」感覚になるのだ。自分と他人がなくなり、時間の概念、上下左右、陰と陽がない感覚。「今ここ」しかない、という感覚になる。この感覚が僕にとってとても恐怖なのである。この感覚は今まで数年に1回くらい、突如訪れていた。しかし、それが3年ほど前から、毎年そして定期的に起きるようになってきた。そして、流石にやばいと思い、今年の4月から精神科に再度通院するようになり、会社からも休業をさせていただくことになったのである。

 昨日、子供がいない部屋に嫁を呼び出し「昨日は酒飲まなかった。禁断症状がもうすでに出てる。本気で今の状況を治したいと思ってる。ひとりでは多分乗り越えられない。協力してほしい。無理なときは無理だとはっきり言う。変なこと言っても気にしないでくれ」。みたいなことを、本気で伝えた。ただ、嫁の目を見ながら伝えることはできなかった。嫁はだだ一言「わかりました」と。目を見てないからどんな表情でその言葉を言ったのはわからなかった。ただ、声のトーンはかなり低かった。

 
2025年7月8日

 「はたして、本当に断酒できるのだろうか?」 まず起床して思ったことだ。昨日の夜を最後に、酒をやめる決心をした「一応…」。調子はまあまあかな。車で3分の場所に、河川敷の公園がある。休業が始まって、僕はできるだけ日を浴び、そこで腕振り体操をする、と自分に課してた。その河川敷には橋がかかっており、スケートスポットにもなっている。なので、調子いい日はスケートもそこでするときもある。今日は腕振り体操だけ、ほんの20分くらいした。川を眺めながら、ただ腕を前後にふるだけだ。この「腕振り体操」は船井総研の船井さんが、著書で絶賛していた健康法である。以前、気功教室で習ってた時の先生も絶賛していた。僕はこの腕振り体操を久しぶりに再開したのだ。腕をただ振りながら、目の前の川を眺める。どうやら、鮎釣りが解禁になったようだ。数人の釣り師が長い竿を突き出している。

 3年ほど前まで、この川でよく釣りをしていた。鮎ではなく、ルアーの渓流釣り。イワナ、ヤマメ、ニジマス、などなど。たまにルアーでも鮎がかかることがあったが、基本トラウト狙い。「釣りも再開しようかな?」なんて最近思うのだが、どうもやる気が起きない。今は、ラーメン作りや料理をしている時が一番楽しいから、そっちの方が優先だ。どうやら僕は、いろいろなことができないのである。無意識的に、つねに優先順位を決めてるのだと思う。おそらく今釣りを再開したら、きっと楽しいはずである。釣りはめちゃくちゃ楽しいのを僕は知っている。もしかしたら、またどっぷりハマる可能性は十分にある。ただ、それが少し怖いのだ。なにが怖いのかというと、ラーメン作りや料理への興味が薄れてしまうのではないかと。

 

 僕の釣りはただの自己満だ。僕の今の料理も自己満ではあるのだが、少なからず喜んでくれる人がいる。それは家族だ。僕が料理をしてたらその間、嫁は洗濯なり、やりたいことなり時間ができる。また、子供たちがパクパク食べてくれたら、めちゃくちゃうれしい。先日上の娘が「パパのラーメンが世界一美味しい!!!」と言ってくれた。適当にそう思いつきで言ったくれたのかもしれないが、泣きそうになるくらい嬉しかった。だからやめられない、止まらない。

 しかし、今の自分にとっては釣りにハマってた方が良いのではないか? とも思う。日も浴びるし、運動にもなるし、釣りしてる間は他のことを考えられなくなるし。そして何より、お酒が飲めなくなるから。釣りに行くには、基本的に車を使わないとポイントに向かえない。この地域では、徒歩でも川に向かえるが、装備もあるしさすがに面倒である。飲酒運転は絶対にしない。何より酔った状態で釣りなんてできない。危険だし、おそらく釣りにならない。また、釣り人は「夕まずめ」を狙い出す。夕日が沈み出した時が、よく釣れると言われている。海釣りは詳しくないが、渓流釣りでは、確実にいい時間なんである。夕まずめになると、川に大量の虫が沸く瞬間がある。そこに、その日の魚たちのの状況や、自然の状況や、環境の状況や、なにか宇宙の摂理の状況かわからないが、とにかくそれらが絶妙に混じり合い、ハモった瞬間に遭遇した時、もう入れ食い状態になる。その確率が高いのが、夕まずめだ。

 僕はパチンコをしないが、いわゆる「フィーバー」ってやつだろう。僕は渓流釣りで、このフィーバーを何回か経験したことがある。もうたまらんくらい、快の汁が出まくるのだ。なので、釣りを再開し、またハマったら、僕は確実にその夕まずめに標準を合わせて1日を計算し始める。それはつまりどういうことかというと、確実に夕まずめの釣りを終えるまで、お酒が飲めない状況を必然的に作り出せるのだ。

 でも、今はやはり釣りを再開しようと思えない。わからん。1週間後はやってるかもしれない。わからん。僕は今、明日何を考えどういう行動をとるかすらも、わからん。で、今日酒を飲まずにいられたか? 飲まずにいられた。はっきり言う、めちゃくちゃ辛かった。何がどう辛いかなんて、知ってもらおうなど思わない。ただ、めちゃくちゃ辛かった。たった1日だけなのに。けど、飲まずに次の日まで迎えることができた。それは、純粋に嬉しかった。自分自身にチューしてあげたい。

 
2025年7月7日

 令和7年7月7日だ。ラッキーセブン。「今日はおめでたいラッキーな日になるのかな?」なんて思い、同時になぜか「ラッキー池田」が頭に浮かんだ。「あの人今何してんだろう?」 特に調べようとは思わなかった。今日は、精神科の受診日だった。今年の4月から、月イチくらいで受診してる。今日で4回目。3年前にも精神科を受診し、何回か通院した。抗うつ薬も2ヵ月くらい飲んだ。その時は薬のせいか、たまたまなのか、結構良くなった。そのまま、仕事が忙しくなるシーズンに突入したので、通院と薬を飲むことを勝手にやめた。

 その日の受診時間は、午後15時半の予約だった。自宅から車で40分くらいの、割と大きな病院だ。娘ふたりもここで産まれた。昼にラーメン屋で1杯すする。僕は自宅でラーメンを作るのが現在の趣味で、もう3年くらいになる。まあ、それはいいか。で、病院まであと少し時間があるから、僕は途中にある図書館に立ち寄った。数日前に気分転換に行ってみたら、結構良かったからである。

 

 今日もそこへ向かった。図書館に入った瞬間、あの感覚がきた。「あっ、ちょっとやばいかも…」。僕は立ち尽くしてしまった。パニックが来そうな感覚。それがわかるのである。確かに今日は朝から調子悪かった。また、ラーメン食ったあとがよくなかったのかもしれない。満腹感になると、気持ちが落ちるのだ。図書館に入った瞬間、そのシーンとした空気。さっきのラーメン屋みたいに、元気に「いらしゃいまっせ!!!」という謎の言葉は響かない。係の人も、すでに座っている人も、誰も何も気にしてない、無の感じ。生きてるけど、生きてない感じ。「正常な人間しかここに入れません」みたいな感覚を僕はおぼえた。僕はすぐにUターンした。一応、怪しいやつと思われないように、「あっ!」みたいな「おいら、ちょっと忘れもんしてたでやんす。車へもどらんなん」みたいな表情だけしておいた。逆に怪しかっただろう。車に戻り、すぐにタバコに火をつけた。「ふっーう」。いつもの3倍くらい大げさに息を吐いた。なんとか大丈夫そうだ。危なかった。でもこの感覚は後を引く。今すぐ家へ帰りたい。そしてお酒を飲みたい。でも、これから病院に行かなければならない。

 「まあいっか。病院で発作が起きてもそのまま入院させてもらおう」。そう思ったら、急に楽になった。中島らもさんは、寝れない時に「夢の尻尾をつかむ」と著書で書いていた。僕が大好きな言葉である。「パニックの尻尾」は突如現れる。そしてそれは絶対に掴みたくないのである。ただ、払おうとすればするほど、その尻尾は大きく、また近づいてくる。夢の尻尾は掴もうとすると逃げてしまう。逆にパニックの尻尾は向かってくるのだ。いや、自ら向かってしまってるのかもしれない。でいっそのこと、思い切り掴んで抱きしめてしまえばいいのだ。きっと…でもそれが怖くてできない。だから辛い。「バッドに入ったら、オナニーするのが一番いいよ」と、大昔に大先輩が言っていた。僕は、酒とたばことコーヒー以外のドラッグはやらないが、その方法はかなり的を得ていると思う。射精後の「賢者タイム」を強制的に摂取できるからだ。パニック時に一番必要なのは「冷静になる」である。ただ、それをここで今してしまうと、病院ではなく警察に連れてかれる。あっ、でもその後ちゃんと病院にも連れてってもらえるか。おそらく、しばらく家には帰れなくなるが…。とりあえず気を散らし、冷静にならないといけない。携帯で「ラッキー池田 現在」と、やはり調べてみた。不思議と冷静になり、落ち着けた。ラッキー。

 病院へ着くと、不安感がかなり少なくなった。人混みは嫌だが、ここは病院だ。しかも精神科である。もし自分が、今発作が起きても理解してくれ、対応してくれる人がいる。担当医に、近況と、今日先ほどの図書館での出来事も伝えた。僕と同い年くらいか。僕の担当医はわりとイケメンの男性だ。「抗うつ剤も飲んでみませんか?」 その担当医が言った。僕は今回の4月の最初の受診でその先生に、抗うつ剤はできるだけ飲みたくない、と伝えたら、僕の考えを尊重してくれた。「わかりました。でもこれは飲んでください」と、眠剤でほんの少し精神安定する薬だけ処方されていた。それだけは飲んでいた。でも今回、「もうあなた、そろそろ危ないですよ」みたいな、雰囲気をその先生の言葉から感じた。僕は「わかりました」と下を向いてこたえた。

 「さすがに、もう酒やめるか…」。帰宅中の車内で、もう何百回も思ったことを、また思った。その数秒後に、「でまた、これから酒飲むんだろ?」とつぶやいた。実際に10分後には、スーパーで料理の食材と、クリアアサヒ3本をカゴに入れていた。4本入れようとして、1本戻した。そんな自分に「えらい!!!」と小さくつぶやいた。多分無性に惨めになり、少しでも自分を慰めたかったのだと思う。

 自宅の玄関を開けた。一番下の2歳の娘が、笑顔で「パパ、ただいま!!!」と声をかけてくれた。思い切り抱きしめた。おかえり、ではなくいつも、ただいま、と言ってくる。かわいい。嫁がキッチンでなにやら変な動きをしていた。僕が製麺するときに使う蕎麦鉢で、シャカシャカ手を動かしていた。「酢飯か?」と僕は言った。「そう! ちらし寿司! 今日は七夕だからね」。ニコニコしていた。上の5歳の娘は、ハート形のクッキー用の名前も知らない器具で、人参をハート型に切ってくれている。かわいい。会社を休職してから、毎日夕食は僕が作っていた。でも今日は、「診察で遅くなるから」と嫁に料理をお願いしていた。「できたよー!!!」 リビングから嫁の声がした。僕は外でタバコを吸っていた。あとやはり酒も飲んでいた。
 家に入り、嫁が「パパどうする?」と。僕はいつも夕飯を家族と一緒に食べない。家族分の夕飯を作り、嫁、娘ふたりの3人分だけ食卓に並べ、「あとは好きにやってくれ」みたいな感じで、外へタバコを吸いにいく。で、家族が食べ終わったら、自分のペースでひとりで食べるという感じ。

 嫁が「パパどうする?」というのは「今日は家族一緒にみんなで食べる? 七夕だしさー」という意味と思われる。「そうだな」と愛想のない返答をしたが、うれしかった。「砂糖買い忘れてさー、蜂蜜で代用したから微妙かも!」と少し照れながら嫁が言った。きっと、ここ2ヵ月ほど自分で夕食を作ってなかったからだ。うまかった。久しぶりの、嫁の料理。「確かに砂糖の方がいいかもな」と。これは本音。あと、僕は自分の料理の感想を率直に知りたい派なので、嫁にも感想はちゃんと伝える。でもやはりうまかったので、心から「うまい!!!」と伝えた。

 食べ終え、また外へタバコを吸いにいった。19時だった。なのにうっすらまだ空が明るい、この時期のこの時間帯が1番好きかもしれない。なんだか得をしている気分になる。19時5分になった。「おし、じゃあやるか!!!」 僕は今日あることをすると、今朝決めていたことがある。それを実行するため、家に戻り家族皆に、割と大きめの声で「はーい!! みんな集まってー!!」と声をあげた。いきなりそんなこと言い出すから、みんながこちらを向いた。娘ふたりはきっと、なにかケーキやプレゼンでもあるのかと思ったのだろう。ワクワクした表情だった。嫁はキョトンとしていた。「もっとこっちに寄って、みんなで顔近づけて」。なかば強引に3人の頭を掴み、僕を含めた4人の顔を寄せた。携帯で時刻を確認した。「はい! 今から4人で一緒にチューしまーす」。物理的な状況から、さすがに4人の唇を同時に密着させることはできなかったが、なんとなく形にはできた。嫁と上の娘は「髭いたーい」と同時に言った。下の娘はニコニコしていた。

 
令和7年7月7日 午後7時7分

 僕は家族4人と同時にチューをした。いや奪った。娘ふたりは何事もなかったように、TVのYouTubeでサンリオのパレードの動画をまた観だした。嫁は、すぐキッチンに戻り、洗いもんをしだした。少し照れていた。僕はまた外へタバコを吸いにいった。「マジで酒やめよう」と思った。今回はいつもと違う。本気で、本気で、本気で、やめなければいけないと思った。今日が最高にラッキーな日だったと、後で思える日にしよう。自分でそういう日にすればいいじゃないか。この日を、一生忘れられない、大事な日に。もう1本タバコに火をつけた。ライターの火がキレイに見えた。もう完全に夜になっていた。

DESHI

旅とドトールと読書をこよなく愛する吟遊詩人。 “我以外はすべて師匠なり”が座右の銘。

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