ONLINE STORE

SONIC CUP 2025

VHSMAG · VHSMIX vol.31 by YUNGJINNN

POPULAR

KOSUGE NISHIKOEN SKATEPARK / 小菅西公園スケートパーク

2025.11.13

予想超え

2025.11.14

SUPREME - ANTIHERO

2025.11.17

REAL "OVAL" PREMIERE

2025.11.12

LORRAIN MATHEWS / ロレイン・マシューズ

2025.11.12

GIRL SKATEBOARDS WELCOMES…

2025.11.17

JACOB HARRIS / ジェイコブ・ハリス

2025.11.14

GINPEI SAITO / 齋藤吟平

2025.10.29
SONIC CUP 2025
  • XLARGE

PAGERTOYKO
ADIDAS SKATEBOARDING

妄想 荒川晋作物語
──第31回:稲穂ツンツン男

2025.10.14

「もうそろそろ、君らとはお別れか」

 目の前に広がる、広大な田んぼを目の前にし、そう思った。現在、僕が家族と暮らしている新潟県は、お米収穫量日本一だそう。特に、南魚沼といえば誰でも「お米」と連想するのではないか。そんな地域で暮らしているのだが、確かに田んぼだらけである。以前、グーグルアースでこの地域を眺めたら、ほとんどが田んぼの画像だった。「すげー場所で暮らしてんだな」と。

 

 金沢から新潟に引っ越して、もう7年ほど経つか。最初の頃、初めて南魚沼産のお米だと知りながら意識して食べ、びっくりした。めちゃくちゃ美味いのである。マジで美味いのだ。当時の僕は、お米はもちろん好きだが、産地などほとんど気にしていなかった。飲食店なんかではよく、何々産の厳選コシヒカリ使用、などとPOPがあるが、別に気にならない。「日本のお米はどこもめっちゃ美味いしょ!!! むしろ炊き方のが重要でしょ!!!」と思っていた。がしかし、知り合いの農家さんから直接購入させていただけるようになり、衝撃を受けたのである。まず甘い。それが旨さなのだろう。また、歯ごたえが明らかに違う。なんか、一粒一粒がコーティングされてる感がすごい。一粒一粒が「俺は俺っす」と自己主張がすごい。おにぎりなんかは集合体ではあるのだが、しっかりと一粒一粒が「俺、俺、俺、私もいるわよ」と訴えかけてくるのだ。特に、冷たくなってしまったおにぎりなんか特にうまい。べちゃべちゃにならないし、味の違いがよくわかる。まあ、とりあえずめちゃくちゃ美味いんである。

 現在僕は今年の5月から、とある事情により、会社を休業し療養中である。毎朝6時くらいに目が覚め、近所の市営駐車場に向かう。そこはフリーの駐車場で、トイレも併設されている。日を浴び、ちょっと体操し、車内でボケーとしたり、本を読んだりと。家族が起き出す時間まで、ほぼ毎日その駐車場で自分の時間を過ごしている。その駐車場の周りは、一面田んぼに囲まれている。何も意識しなくとも、つねに田んぼが視界に入るのである。田植えの瞬間も見た。稲たちはゆっくりではあるが、確実に大きく成長していった。その光景をほぼ毎日眺めていた。「意外とはっきり成長してんのわかんだな」「めっちゃ今日トンボいるじゃん」「なんでこんなに成長がみんな一定なんだろう。1本くらいジャイアント馬場くらいでかいやつ出てこないんかな?」など、結構楽しみながらいつも眺めていた。今年の夏は猛暑で雨が全然降らない時期があったが、そのときは田んぼも流石に枯れ始め心配になった。「もう少しだ。来週はやっと雨予報が出たぞ。もう少しの辛抱だ!!!」とエールを送った。逆に勇気づけられる日も多くあった。精神的に調子が悪い日は、「君たちは本当にすごいね。毎日毎日必ず少しずつ成長してるね。ダラけることや調子にのることなんてないんだね。きっと自分の使命を淡々とこなしてるんだね。俺にはそんなことできないよ。でも、見習うようにはするね」と。

 その田んぼの少し下流で稲刈りが始まった頃、「もうそろそろ、君らとはお別れか」と思った。この数ヵ月、僕はずっと君らを見ていた。だから、すごく寂しくなった。そして猛烈にあることをしたくなった。「君たちはこれから誰の元へいくのかい? 僕の仲間の元へ行く可能性もあるのか。大谷翔平様の元へ行く可能性もゼロではないだろう。きっとみんなすごく喜ぶよ」。そう思ったら、猛烈に稲穂を「ツンツン」したくなったのだ。僕もその喜びの一部に参加したくなった。デシツンツン米がどこかの誰かの元へ行きみんなが笑顔になるのだから。片足を入れれば、すぐに君たちに触れることができる。よし、ツンツンしてみよう。ただ、思った。「これはもしかしたら、してはいけないことなのではないか? 厳密に言えば犯罪なのではないか?」と。「いや、別にちょいツンツンくらいいいだろう。誰も見てないし」。そんな思いを抱いたら、妄想が止まらなくなってきた。とりあえず、一旦車内に戻り考え込んでしまった。

 

 マッスル農園を営む荒川晋作は胸を高鳴らせていた。2日後には稲刈りだ。春から愛情を込めて育ててきたお米たちがもうすぐ巣立つ。そして、それを心待ちにしている人たちがたくさんいる。そう思うと、晋作の足取りがさらに軽くなった。5年前に父親から譲り受けたこの農園を、今年から総責任者として任された最初の年だ。6年前いきなり父親から電話で言われた。「こっちに戻ってこないか? うちの田んぼを他人に預けることはできん。ちょっと考えてくれんか? 正直、身体もガタき始めている」。「急にそんなこと言われても俺だって生活あんだよ。むちむち農園に売ったらいいじゃん」。と、晋作はそう冷たく答え、電話を切った。しかし晋作もわかっていた。そろそろ、そう言われるだろうと。
 晋作は大手プロテイン会社の専属ボディビルダーとして活動していた。商品開発にも携わり、荒川晋作監修のシグネチャープロテインもある。それが世界的に大ヒットし、この業界では知らない人がいないくらいのボディビルダーだ。小学校低学年の頃から、晋作は家業の農園を手伝っていた。お小遣いをもらえるからだ。当時の晋作は、SNKのアーケードゲーム「餓狼伝説2」にはまってしまった。いつも行っていた駄菓子屋のゲームコーナーにSNKのゲーム機が配置されていたのだ。それにハマりまくったのだ。ある時晋作は思った。「NEOGEOさえ家にあれば」。NEOGEOとはSNKが販売していた家庭用ゲーム機である。それがあれば、いつでも餓狼伝説ができることに気がついてしまった。しかしNEOGEOは当時、超高価格だった。本体価格は5万円くらい。またソフトも2、3万する。ゲーセンの業務用の基盤と同じものを、そのまま取り入れていたためらしい。晋作は決心した。農家の手伝いでNEOGEOをゲットする、と。それからというもの、自ら率先して農園を手伝った。放課後は2時間ほど、農具の清掃、重機の片づけ、荷下ろしなど、力仕事のすべてをやった。父親の重度の腰痛を助けた。学校が休みの日も、日が出る前から父親と一緒に農園へ向かい、働きまくった。父親も、かわいいい息子とつねに共にすることができ、喜んだ。

 

 晋作も、自然の中で体を動かすことに不思議な快感をおぼえるようになり、大自然が大親友となっていった。晋作が農園を手伝うようになってから2ヵ月ほど経ったころ、母親が異変に気づいた。「あんた、胸板すごくなってない?」。胸板だけではない。腕、腰回り、太もも、すべての筋肉がうねりをあげていた。全身の筋肉が膨張している感覚を晋作は感じた。その晩、晋作が家族と夕食をとっている時、ご飯のお代わりをするため、ご飯茶碗を持ち上げた。その瞬間、お茶碗が「ベキっ!!!」っと真っ二つに割れた。晋作の親指の筋肉がピクピクしていた。母親は大きく口を開け、しばらく動けなくなった。晋作は別に何も思わなかった。そんなことどうでもいい。今はNEOGEOさえゲットできればいいのである。晋作はその後も、農園の手伝いを熱心に続けた。さらに1ヵ月後、晋作は10万円を手にしていた。父親がパートのおばちゃんと同じ時給を、晋作にも公平にお小遣いとしてちゃんと支給していた。幼い頃からしっかりとお金の有り難みと、公平な対価の生み出し方を教えたかったからだ。そして何より、晋作は大人の5人分の仕事量をこなせるようになっていた。また、筋肉の膨張感が日に日に増していった。

 

 晋作の自宅に、NEOGEOが届いた。晋作は興奮しまくっていた。晋作の鼻息が、2階で寝ていた父親が起きるほど家中に響いていた。速攻NEOGEO本体の箱を開けた。当時発行されていた、ファミ通という雑誌でしか見たことない、架空の物体が今まさに、晋作の現実の前に現れている。ヘラクレスオオカブトのような、黒光りをしているNEOGEO本体が、晋作の興奮と筋肉のキャパを超えさせてしまった。「うおおおおおおおっーーー!!! パワーゲイザー!!!!」晋作はNEOGEOを大きく天にあげ、そして思い切り抱きしめた。「バンッッッッ!!!!」と爆発が音鳴り響き、NEOGEOは一瞬にして粉砕した。

 

 晋作が中学生になった時には、身長214センチ、体重181キロと、ものすごいことになっていた。相変わらず農園を熱心に手伝っていて、大人10人分の仕事量をこなせるようになっていた。いけないことだが、ユンボなどの重機の操作もやらせてもらっていた。出荷前は1俵袋を4袋同時に持ち上げ、またしゃがんだまま高速で運ぶことができた。まるでコサックダンスのように。その頃には地域でも、いや新潟中でもかなり噂になっていて「越後のザンギエフ」と呼ばれるようになっていた。有名な人体生物学者がいきなり家に来たことがあったが、父親は「うちの息子を変人扱いするな!!!」と強く追い返したこともあった。

 

 晋作が中3になった秋に、父親がつぶやいた。「お前、高校はどうすんだ? いい加減将来のこと考えろよ」。晋作はすぐに答えた。「いいよ、高校は。このまま農園手伝うよ。友達もどうせできねーし」。そう、晋作には友達がいなかった。別にいじめられていたわけではない。晋作は超優しく、思いやりのある人間に育っていた。ただ、みんなビビって近寄れないのである。その年は全国的に熊出没がニュースで大きく取り上げられていた。もちろん新潟県でも。ただ、不思議と南魚沼は熊の目撃情報がなかった。熊研究家も謎すぎて不思議がっていたそう。理由は明確だった。晋作は大自然が大親友のため、よく山へハイキングをしていたからだ。一度スケートボードに興味を持ち、コンプリートを買ってみたが、板に乗った瞬間、板が速攻折れ、ベアリングの球が四方に飛び散った。1分でスケボーは辞めた。だから、趣味はハイキングのみである。熊もビビって他の山に逃げてしまうのだ。隣町のヤンキーたちが、放課後間際に晋作の中学校に乗り込んできた時があった。そのヤンキーたちと、同中学ヤンキーたちと担任たちが校門の前で言い争いなっていた。晋作以外の生徒全員ビビっていて、プルプルしながらジーと教室で待機していた。晋作は農園の手伝いに一刻も早く向かいたかったので、そんな状況を一切気にせず、帰宅しようとした。校舎を出て、校門に向け猛ダッシュした。そしたら、隣町のヤンキーたちは一気に逃げ出した。発狂してるヤツもいた。しかも、何故だか同中学のヤンキーと担任たちも同時に逃げ出していた。

 

 ただ、晋作は地域のヒーローでもあった。昨年の夏、この地域は大型台風が直撃しゲリラ豪雨となった。そして、1台の軽自動車が、土手沿いの道路で誤って落ちてしまい、川に車ごと流されてしまった。川が氾濫寸前で、運転手のおばあちゃんもテンパっていたのだ。豪雨のなか、晋作はやはり田んぼが気になり、様子を見にいっていた。異変に気づいた。川の方から「助けてー」とかすかに声が聞こえた。車が流されていた。窓から、おばあちゃんが必死にあがいている。「田村のおばあちゃんだ!」。うちの農園でパートとして働いてくれてもいる。力仕事以外の細かな作業を丁寧に、優しく晋作に教えてくれている。晋作と唯一お話ししてくれる同級生の田村君のおばあちゃんである。一度田村君から「晋君の家遊びに行っていい?」と言われたことがある。晋作はめちゃくちゃ嬉しかった。ただ、その時は「農園が忙しいからだめ」と冷たく答えてしまった。晋作はあの時のことをすごく後悔している。唯一友達ができるチャンスを失ってしまった。ただ、田村君だけは晋作にたまに話しかけてはくれるのだ。

 

 晋作は躊躇なく川へ飛び込んだ。「うっっ!!!」。晋作は今まで感じたことない、重力と圧力に動揺した。あたりまえだ、車をも流してしまう激流である。晋作は腰と太ももに、思い切り力を入れた。履いていた短パンが今にもはち切れそうになった。晋作はニヤつき、一言つぶやいた。「余裕…」。晋作はこの激流を逆流していった。そして、流れてきた車を掴み、空いていたドアからおばあちゃんを掴み、ひょいと持ち上げ両手で抱えた。おばあちゃんは意識を失っていたが、しっかりと呼吸は確認できた。そのまま、おばあちゃんを抱えたまま村へ戻った。村人たちも集まっていた。ただ誰ひとり、声を上げる人がいない。歓声より、恐怖が勝っていたのだ。晋作の本気の表情が、村人のじいちゃんばあちゃんたちには刺激が強すぎるのだ。また、決定的なことに、晋作が履いていたパンツがはち切れて川へ流されてしまっていた。晋作はチンチン丸出しの状態で、田村のおばあちゃんを抱えていたのである。

 中3の冬、流石に父親が嫌気をさし晋作を怒鳴った。「おまえいい加減、進路決めろ! どこでもいいから高校へ行け」。晋作も珍しく声を荒げた。「だから気にすんなって! 農園手伝うって! 社員にしてくれればいいだろ」。父親は声が出なくなった。正直このままずっと、晋作の言うとおり農園にいてもらいたい。しかし、それは晋作にとって、正解なのだろうか。晋作は人としては申し分ないくらい、いい人間に育った。父親にとって、最高に自慢できる息子である。ただ、これでいいのか。このまま、他人と付き合わなく、社会を経験しないままでいいのだろうか。父親は涙した。晋作ははじめて父親の涙を見た。また、その涙の理由もなんとなく理解した。晋作も泣いた。そのまま会話は進まず、父親は居間に戻った。晋作も部屋に戻り、力が抜け落ちるようにソファに腰掛けた。「メキっ!!!」。晋作用に特注で作ってもらった20万円する鉄筋ソファの脚に、ヒビが入った。
 その後、1週間父親との会話がなかった。母親も気にしてる様子だった。母親もきっと、父親と同じ気持ちだ。ただ、一切口出しはしなかった。それが母親の優しさなのだろう。その日の夕方、父親の携帯に着信があった。特に気にかけなかったが、何やら真剣な表情で相手と話している。しかも、1時間経ってもずっと話している。父親が晋作の方へ歩み寄ってきて、携帯を晋作に渡した。「モッコリ村岡さんという方だ」。晋作は恐る恐る、携帯を耳に当てた。「荒川晋作くんかい? 突然ごめんね。ちょっとおじさんのお話を聞いてくれるかい? あっ、ごめんごめん。私モッコリ村岡です。最近テレビにも一応出てるよ」。優しい声だった。モッコリ村岡!? 知っている。最近たまにテレビに出ている。たしか、ボディビルの世界ではレジェンド的な存在だったはず。選手として引退後、タレントに転向しお笑い番組によく出てくるようになった。謎の動きをしながら「モッコリ、マッスル、ホイッスルー!!!」という、これまた謎のギャグが、ちょいバズりしたっぽい。晋作はテレビにさほど興味はないのだが、リビングから流れているテレビの画像は必然的に目に入る。また、この人に少し興味をもっていた。この人のギャグで笑ったことはないのだが、やはり気になる存在であった。それはやはり身体である。この人の身体はなんと言うかわからないが、晋作にとって、美しいという感情を芽生えさせていた。それは晋作にもわからない、今まで経験したことない感情だった。晋作はモッコリ村岡さんの話を真剣に聞いた。特に自分から言葉を発するわけでもなく、ただただ、真剣に聞いた。モッコリ村岡さんが最後に言った。「というわけで、晋作くんを僕が面倒みさせてくれないかい? 君の気持ちを一番理解できる自信があるよ。そして、君がこの業界でものすごい存在になることを僕は確信している。お父さんも君が了承してくれるなら是非、とお言葉を頂いたよ。あと、とても大切なことを伝えるね。君に友達がいなくとも、僕と一緒にいれば、晋作くんにとって大切な仲間がたくさんできるよ。仲間という漢字をよく見て、考えてごらん」。

 その日、晋作は一睡もできなかった。モッコリ村岡さんとの会話を、何度も何度も思い返していたからだ。そしてある言葉が頭から離れない。それは(仲間)という言葉だ。モッコリ村岡さんは、晋作に仲間ができると断言していた。しかし、晋作にはわからない。仲間とは? 晋作には友達がいないが、「友達」という言葉の意味は理解できてるつもりだ。仲間と友達は一体何が違うのだろうか? 晋作の心の奥に、何か小さなともし火がついた気がした。ワクワクと言う感情はこれか? 晋作は立ち上がり、カーテンを開けた。日が出始めている。父親はすでに納屋で作業をしている様子だった。納屋に向かった。そして、父親に向かいはっきりと伝えた。「中学卒業したら、東京に行くことにした。高校は行かないけど、モッコリ村岡さんとこにいくわ」。父親は重機を磨いていたその手を止めることなく、またこちらを振り向くことなく。ただ、小さく微笑み、頷いた。

 父親から、農園をついでくれ、と電話があった次の日、晋作は仕事をキャンセルし南魚沼の実家に帰った。親には伝えず。実家に帰ったのは3年ぶりか。娘が産まれて半年が経った時以来か。マッスル農園を眺めた。込み上げてくるものがあった。晋作は東京に出て20年が経った。たくさんの夢を叶えた。いや、仲間たちが叶えてくれた。もう何も後悔ないくらい。そして何より世界中に仲間がたくさんできた。考えてみれば、それはこの農園のおかげである。「お米と両親に恩返ししないとな」とつぶやいた。父親がユンボに乗ろうとしていた。足を滑らしこけた。怪我はしてないようだが、座ったまま起き上がろうとしない。田んぼを眺め、少し悲しげだった。その表情の意味を、晋作はなんとなく理解できた。晋作は父親に駆け寄り、極太の手を差し伸べた。そして、こう言った「情けねーなあ。俺がやってやるよ」。晋作は20年ぶりにユンボに乗った。ユンボが大きく揺れる。そしてハンドルを握った。一瞬で「ボキっ」っとハンドルが折れた。父親がニッコリ笑みをうかべ言った。「おまえ用の特注ハンドルは、まだ大事にとってある」

 晋作は、ボディビルを引退し家業の農園を継ぐ、ということを、真っ先にモッコリ村岡さんに伝えた。晋作にとって、人生の恩人である。モッコリ村岡さんは、ボディビル業界を牽引しながら、有名マッスルオネエ系タレントとなっていた。晋作と出会った年に、「モッコリ、マッスル、ホイッスルー!!!」が流行語大賞に選ばれたのだ。また、それをきっかけに、自身がオネエ系だと暴露した。吹っ切れたそうだ。それが世間に大当たりした。多くの人々にとって清々しかったのだ。モッコリ村岡さんは、ギャグのセンスはまったくない、ただ筋肉とそのつまらないギャグとオネエ口調が絶妙に混ざり合い化学反応を起こしたのだ。一躍時の人となり、レギュラー番組こそ持っていないが、今現在も多くの番組に定期的に出演している。モッコリ村岡さん自身は、自分のことを本気でギャグの天才だと思い込んでいる。その自信満々感が、笑いに拍車をかけ、人々から飽きられないのだろう。毎日はキツイがたまに欲する、という結構貴重なポジションを確立しているようだ。唯一過去に一度だけ、モッコリ村岡さんにぶちギレられたことがある。「モッコリ村岡さんのギャグ自体が面白いわけではないと思いますよ」と、つい世間の代表としての思いを、口すべってしまった。モッコリ村岡さんの眉と眉がくっつき、晋作の胸ぐらを掴み叫んだ。「ピーーー!!! レッドカードーーーー」。番組でも、若手芸人に追い詰められテンパった時に、必ず発する言葉である。

 「晋作にはまだまだこの業界を引っ張ってもらいてーな。親父さんもまだ一応元気なんだろ? 娘もまだ小さいだろ? お前ならまだまだこの業界で稼げるぞ」。モッコリ村岡さんは、オネエ系を暴露してからはつねにオネエ口調だが、なぜか晋作にはずっと男口調のままだった。あえてそうしてるのか、そうなってしまうのかはわからない。モッコリ村岡さんの言葉は、正論中のど正論だった。晋作もわかっている。しかしもう決めたのだ。何故と聞かれてもわからない。ただ、決めたのだ。「こりゃー無理そうだな。わかった。応援するよ。仲間だからな。いや、お前の場合は息子みてーなもんだな」。晋作は号泣した。晋作が泣き止むまで、モッコリ村岡さんはずっと黙ってくれていた。晋作がようやく喋れるようになった時、モッコリ村岡さんが神妙な趣で静かに言った。「晋作。俺な。今閃いたよ。やばいぞこれ。プロテインとバイアグラをぶち込みまくった最強のふりかけを開発するわ。そしたらお前の作った米とコラボできるぞ。なんなら一緒に開発しようぜ。「誰でも、チン肉まん!!! モッコリふりかけ!!!」でどうだ。完璧だ。モッコリ農園に名前変えたらどうだ」。丁重にお断りさせていただいた。

 晋作は今年、マッスル農園の総責任者となった。父親は完全に引退。父親は今年、毎日魚野川で鮎釣りをしていた。知らぬ間に余った納屋でおとり鮎の販売も始めていた。聞かされてなかったが、昔からの夢だったらしい。しかも父親のもとに釣り仲間が毎日早朝から来ていた。朝から親父たちで酒を飲んだりしている日もあった。父親も仲間のおかげでここまで農園を続けてこれたのだろう。もう好きに思う存分楽しんでくれ、と晋作もそんな父親を見て、嬉しく思った。モッコリ村岡さんとは、今でもたまに連絡を取っている。だいたい向こうから電話が来る。そしてほとんどが、自慢話と自身の話だ。「ダウンタウンの松っちゃんに、秘伝のトレーニング方法を教えたのは実は俺なんだ。絶対言うなよ」。「この前、新庄監督と仕事したんだよ。お願いしたら俺のケツ触ってくれたよ。ありゃいい男だな」。「来年、俺のヌード写真集出そうと思ってんだよ。したら、お前の卸先の道の駅でも俺の写真集置いてくんねーか」。毎回ため息をついてしまう。でも嬉しい。

 

 今日も晋作は農園の畑のチェックをしに行った。稲刈りを2日後に控えていた。黄金色に輝く稲穂が、大きく垂れ下がっている。晋作は興奮していた。農園を継いでから5年が経ったが、やはりいきなりは難しい。幼い頃から、すべての作業を目にし、手伝いをしていた。だからといって、そう甘くはない。父親の数十年に渡る、経験と知恵を伝授してもらうのに、5年かかった。父親からしてみれば、「まだお前には毛が生えてない」と訳のわからないこと言われるが、無理に押し切り自ら責任者を志願した。楽しみで仕方がない。俺が作った米だ、と自信を持って言える、最初の年。デビュー戦だ。晋作は、広大な農園を誇らしげに眺めた。が、何か違和感を覚えた。なんだ? もう一度、全体を眺めた。違和感の正体がわかった。「なんだあいつは?」。200mほど先か、怪しいやつがマッスル農園の畑に片足を突っ込んでいた。男か? 若くもなさそうだ。「何やってんだー!!!」と晋作は声をあげた。ただ、もちろんその声は届かない。晋作はポケットから携帯を取り出し謎の男に向け、録画ボタンを押した。5秒ほどして、その怪しいやつは、車に乗りそそくさと逃げていった。晋作は直ぐに録画した映像を再生した。「くそっ! 小さすぎて見えねー」。アップにしてもう一度録画した映像を凝視した。晋作は怒りが込み上げてきた。「こいつ、ツンツンしている…。絶対に許さねー」。普段優しく温厚な晋作だが、今年の米は我が子同然だ。晋作はもう一度映像を見た。さらに怒りが増してきた。「絶対に許さねー!!!」。今度は吠えた。携帯のタッチパネルが大きくひび割れていた。

 その動画は一瞬にして全国へ広がった。そして、何千もを超える批判のコメントが日本中に溢れた。
「でたよ。またバカなやつ。稲穂ツンツンマン。消えろ。つーか、誰か金くれー」
「キモっ!!! この人のツンツンしたお米がどこかに混じってると思うと、全身鳥肌もん。もうタイ米しか食べれません。ノイローゼになりそうです。私今日は会社休みます。大事な商談あるのに責任とってよ!!! 今からエステ行ってきまーす♪( ´▽`)」
「めっちゃむかつく。俺がどれだけツンツン我慢してると思ってんだよ。みんなツンツンしてーの我慢してんだよ! こいつの住所突き止めて、玄関にみんなでうんこしてやろーぜ。賛同者求む」
「50代女性です。小学校の教員をしています。生徒たちが真似して、いろんなところを容赦なくツンツンして大変困惑しています。校長室まで入り込み、歴代の校長の写真を全てツンツンした生徒もいました。本当に迷惑です。この方には(ちんちんをタコ糸でぐるぐる巻きにしてアロンアルファでガチガチ)の刑をお願いします」
「直接ツンツンなんて言語道断!!! 非常識すぎる。世の中どうなってんだよ。まじありえねーよ。俺はちゃんとゴム手袋してる…」

 一方、かなりの少数派ではあるが、肯定的、共感的なコメントも見られる。
「わかります。正直に暴露します。僕も昨年の冬に建設中のスケボーパークに深夜侵入し、生乾きのコンクリートをツンツンしまくりました。僕の指紋が付いてるはずです」
「いいじゃん、そのくらい。みんなもっとツンツンしたほうがいいよ。人生損するよ。時間は限られてるんだよ。後悔するよ。俺はまさに今、自分の乳首をツンツンしてる」
「よくやりおった!!! わしもこの年になってツンツンしたくてたまんねーだ。おらも60代の若い姉ちゃんに遠慮なくツンツンしたるどー!!! 来週のゲートボール、ワクワクすっど!!!」
「旦那からツンツンしてもらえなくなり、もう8年が経ちます。もしよければ、私をツンツンしていただけないでしょうか? 感度はいい方だと思います」
「精神科医の者です。彼のしてしまったことはいけないことです。しかし、現代のストレス社会におって、やはりツンツンが足りていないと思われます。携帯電話の画面をツンツンするのみです。バランスが崩れている現状は否定できません。本来人間はツンツンによって発展、進化をしてきました。今は捌け口がないのです。とある病院の精神科では、患者さんにいろいろなものをツンツンしてもらい、多くの患者さんにかなりの効果があると報告されています。ツンツン療法です」

 ネットニュースにも取り上げられた。
「稲穂ツンツン男 避難殺到!?」という見出しで。

 今月7日、新潟県マッスル農園の公式サイトにて動画が公開された。また、その動画を元に警察へ被害届を提出。42歳会社員(現在休職中)の男が、マッスル農園の敷地内に左足のみ侵入し、稲刈り間近の稲穂を、5秒間に渡り容赦なくツンツンした疑い。取り調べに対して男は容疑を否認。「その日の、その5秒間だけまったく記憶がありません」。また男の受け答えに支離滅裂な意味不明の言動も多数。「俺は天然アールをこよなく愛してるんだ。言えよホー」「カツ丼じゃなく、牛丼にしてくれよメーン」「ラーメンにはナルト必須だろ。プチョヘンザ」などと発言。精神疾患の疑いもあり、現在専門家の調査が進められている。

 と、そんなことを想像してしまったら、結局ツンツンできなかったのだ。ビビってしまった。もう稲穂たちは無事刈られ、これから全国へ新米として出回るだろう。正直、少し後悔している。やはりツンツンしたかった。長い間この辛い期間を共にしたのだから。
「みんなきっと喜ぶよ。みんな楽しみにしてるよ。行ってらっしゃい」。心のなかでそうつぶやいた。同時に越後のザンギエフに、スクリューパイルドライバーをかまされずに済んで、ほっとした。




 

 

www.cinra.net/article/202306-kawa_kwtnkcl

DESHI

旅とドトールと読書をこよなく愛する吟遊詩人。 “我以外はすべて師匠なり”が座右の銘。

コラム一覧:www.vhsmag.com/column/deshi/

  • BRIXTON
  • VANTAN