Vans Skateboarding Presents ALRIGHT, OK

愚行とされることが、美しいとされたりもする。スケートボードがアートフォームである所以。
──KAITO SAGAWA / 佐川海斗

2020.03.28

Video_A Haters Production / Photo_Junpei Ishikawa / Special thanks: Converse Skateboarding

[JAPANESE / ENGLISH]

VHSMAG(以下V): まずスケートを始めたのは?

佐川海斗(以下S): 小1のとき、7歳でした。よく家族で城南島にキャンプに行ってたんですけど、そこにスケートパークがあったんです。父親がサーフィンをやってたこともあって「やってみれば?」って勧めてくれたみたいです。だから記憶の中では気がついたらムラスポでデッキを選んでた…みたいな感じです。

V: 瀬尻 稜にいろいろ教えてもらったんだよね?

S: そうなんです。初めてデッキを持ってパークに行ったら瀬尻 稜くんがいたんです。当時は名前も知らなかったんですけどいろいろ教えてもらいました。最初はリストガードのつけ方も知らなくてプラスチックの部分を上にして逆につけてたんです。そういうプロテクターのつけ方から教えてもらいました(笑)。だから初日に瀬尻 稜くんに会ってたっていうのは今考えるとヤバいですね。

V: その頃は川崎に住んでたんだよね? ある程度スケートを覚えた頃はどこで滑ってたの?

S: よく行ってたパークは新横と海老名のX-Domeです。今は傳田 郁とか飯田泰彦とか新横やX-Domeの繋がりのスケーターと集まってThePeaceってクルーをやってます。

V: 弟の佐川 涼も同じ時期にスケートを始めたの?

S: 弟は1歳下なんですけど同じタイミングでデッキを買ってもらいました。でも涼はスケートにまったく興味がなかったんです。キャンプ場で虫採りしてたりとか。

V: 弟がスケートにハマってからは切磋琢磨したりした?

S: どうですかね…。大会が大きかったですかね。ずっとオレが勝ってたんですけど、たしか千葉パルコのVolcomの大会で初めて涼に負けたんですよ。小6か中学生の頃かな。そのときは悔しかったですね。それは今でも覚えてるっていうか。

V: 初めてのスポンサーは?

S: Flakeっていうキッズのアパレルブランドでした。昔から新潟の日本海スケートパークでイベントやってたんでそれに参加してました。キッズが集まって滑れる環境があったのはよかったと思います。

V: キッズのフェーズを抜け出した瞬間って覚えてる?

S: まずIFOの(中島)壮一朗さんに会ったのが小5のときでした。X-Domeのイベントだったんですけど、その日に壮一朗さんから自分が乗ってたコンプリートをもらったんですよ。それからIFOをもらうようになるんですけど、『Time Capsule』(’14)には2カットしか出てなくて。そのカットが自分にとってほぼ初のストリートでした。たぶん中1か中2くらいだったと思います。中学生のときにIFOで長野のランプイベントには行ったことがあったんですけど、高校に入ってからやっとストリートのツアーに誘われるようになりました。四国に行ったんですけど、そのツアーは適当な場所でキャンプするみたいな。そのときに初めてスケートツアーの面白さを知りました。

撮影では最初から集中して乗りに行くようにしてます

V: ツアーに誘われてキッズのフェーズから脱却した感じだ。そういう多感な時期に周りにいる年上のスケーターは大切だよね。特に世界を知ってる中島壮一朗がいたのは大きいと思うけど、彼から教わったことは?

S: 何かのツアーで車の中で話してたんですけど、そのときに言われた言葉は今でも覚えてます。「撮影は練習じゃない」って。たとえばマーク・アップルヤードとかは3発以内でメイクするっていう話を聞きました。「何十発もトライするのは撮影じゃなくて練習だ」って。それから撮影は時間をかけるべきじゃないって思いました。特に日本はセキュリティが厳しいし。できることをサクッとやるのが一番かっこいいって思うようになりましたね。まずはパークで練習して、それを発揮できるのがストリートだと思うんで。だから撮影では最初から集中して乗りに行くようにしてます。

V: そして2018年にIFOのプロに転向したんだよね。

S: サプライズもあったしあれはうれしかったですね。でもそこで止まってちゃだめだって思いました。それまでは大会に出て、IFOのツアーに参加して撮影してって感じだったんです。ThePeaceでも動いたりもしてたんですけど、プロに昇格してからはそれまでと違うことをしないとダメだと思いました。シグネチャーモデルが出たのが2018年の1月だったんですけど、2月と3月の春休みに白井空良と一緒にアメリカに行ったんですよ。そのときに本郷真太郎と座間翔吾もちょうどアメリカにいて…。


 

V: そっか、そのときにVHSMAGのKEもアメリカにいたんだよね。それが今回のパート撮影が始まったきっかけだ。しかもアンソニー・アコスタとも撮影してその写真がSLIDERの表紙になったんだったね。

S: そうなんです。だからあのときアメリカに行ってなかったらどうなってたんだろうって思いますね。

V: やっぱ動いた分だけ形になるね。ちょうど2年前のLAで今回のパートの撮影が始まったわけだ。

S: たぶん消火栓越えのBs 180ヒールが初めて撮ったフッテージだったと思います。LAは気候もいいしスケートをするための街だって思いましたね。

V: 今回のパートはLAと日本以外だとどこで撮影したの?

S: Converseで台湾に行きました。2019年の年明けを台湾で過ごしたんですけど、そのときにKEさんも撮影に来てくれて。その後もG-SHOCKのイベントでシンガポールに行ったり。それで最後はLAで撮影を終えました。いろいろ動けてありがたいですね。

V: この2年間を振り返ってどう? これまでのパートと違うと感じることは?

S: KEさんのロケハンというか連れて行かれるスポットが絶妙で。「今日は何曜日の何時だからここはいける、ここはやめとこう」とか。スケーターに合せてスポットを用意してくれて、できるだけキックアウトされない動きができたんで助かりました。それがあったから撮影自体はスムースに進んだ感じです。でも最初のLAから帰国して撮影を続けようってときにグリッチョしちゃったんですよ。それで2、3ヵ月滑れない時期がありました。さらにそれが治ったと思ったら逆の足もグリッチョしちゃって。だから最初のほうはステアを飛んでたんですけど、最近は飛べなくなっちゃって。実はまだ今もあまり調子よくないんですよ。スイッチもノーリーも思うようにできないし。だから撮影期間は2年なんですけど、怪我のブランクが何ヵ月かあったんですよ。

V: 撮影してて印象的な出来事とかあった?

S: んー…。みんなわかってると思いますけど真太郎はヤバいですね。一緒に動いててサクッときれいにメイクするし。燃えるっすね。やっぱ一緒に滑る面子は大事ですね。ヤバいヤツと一緒にいると刺激になるっていうか。

V: Converseで砂川元気ともツアーに出るようになったよね。なんかふたりはタイプがまったく違うような気がするけど…(笑)。一緒に動いてどうだった?

S: 元気くんは最高です。それが一番印象的だったかもしれないですね(笑)。Converseで一緒になるまで元気くんとまったく関わったことがなかったんです。辻堂のランプのデモとかイベントで一緒になって挨拶することはあったんですけど…。最初VHSMAGの事務所で元気くんとちゃんと会って、KEさんから「元気と一緒にやるよ」って言われたときは正直「マジか。怖ぇなー」って思いました(笑)。それがConverseで最初に行った台湾ツアーの1週間前の話で…。「この人と一緒に台湾に行くのか」って不安だったんですけど、帰りに一緒に駅まで歩いたんですけどそのときに「元気くん、めっちゃ話すじゃん」って思って(笑)。

V: 台湾のホテルで同じ部屋だったんでしょ?

S: そうなんですよ。同じ部屋で大丈夫かなって思ったんですけど、元気くんからガンガンしゃべってくれるんで「こっちもしゃべんなきゃ」みたいな気まずい空気がまったくなくて。逆にちょっとうるさいなって思うくらいで(笑)。1週間くらい一緒で、最初の4日くらいはずっとがんばって聞いてたんですけど、最後のほうは慣れてインスタ見ながら話を聞いたりとか(笑)。最初は緊張してたんですけど。めちゃいい人なんです。

V: ヤバいね(笑)。初めてのIFOツアーで中島壮一朗からもらった助言は今回のパート撮影で役立った?

S: 撮り始めということもありますけど、最初のほうは壮一朗さんの助言通りにサクッと撮れました。その後はうまくいったりいかなかったりですね。でも中でも思い入れがあるのは最初のLAで撮った歩道橋の中のノーズグラインドの途中抜けかな。それもSLIDERの見開きで使ってもらったんですけどなかなかメイクできなくて。初日は惜しかったんですけど断念して、数日後に戻ってようやくメイクできました。2日かかったのでそれが一番思い入れがありますね。パートの最初の撮影でフォトグラファーがアコスタだったし。

V: そうやって経験値を上げながら無事にパートを完成させたわけだけど、今の率直な感想は?

S: 結構時間かかっちゃったなっていうのはあります。1年くらいでできると思ってたんですけど、そんなに甘くなかったです。怪我もありましたけど、大学のテスト期間もあったし。特に去年は課題も多かったんです。目が開かなくなるくらいPCの画面を見てましたね。

スケーターとしての街の見方は今の学業にめちゃくちゃ役立ってる

V: そうか。学業と並行して撮影してたわけだもんね。大学の専攻は何なの?

S: 都市環境です。4年生になったら街づくりとか都市開発を学ぶんですよ。もともとスケーターとして街を見るのが好きだったんで都市環境を専攻しようと思って。スケーターとしての街の見方は今の学業にめちゃくちゃ役立ってると思います。公園をデザインしたり模型を作ったりするデザインスタジオっていう授業があるんですけど、基本的にそのクラスはA+とかSです。一番高い評価をずっと取れてるんですよ。スケートを想定してステアを作ったりとか。あとは海外に行く機会が多かったのも役立ってるのかもしれないです。昔から海外でいいなと思う場所は写真で残してたんです。それを参考にしたり。だからいろいろ海外に行かせてもらえたのはありがたいですね。

V: いつかスケーターが喜ぶ街づくりをしてほしいね。来年の大学卒業後の予定は考えてるの?

S: 大学卒業しても勉強は続けます。もちろんスケートも。スケートで培ったものと他のことが合わさったらまた違った世界が見えると思います。だからこそ大学に行ってよかったと思います。スケート一筋の道も選べるし、いろいろ学んできちんと仕事をしながらスケートをするっていう道も広がっていくんで。

V: では最後にひとこと。

S: 「行動したもん勝ち」ですかね。マジで白井空良とLAに行ってなかったら…というかオレひとりでLAに行っててもダメだったと思うんです。空良と一緒にLAに行って、KEさんが空良を撮るために来て、そこで一緒に動いて…。そしてそのときにConverseを買って履いてたこともあって、日本でブランドが始動したときに声をかけてもらって。そうやってチームに加入してそのままパートを撮り続けて。だから動かないと何も始まらない。あとはもう感謝しかないですね。

 

Kaito Sagawa
@kaito5agawa

Date of birth :
May 4, 1998

Blood type :
O

Birthplace :
Tokyo

Sponsors :
Converse Skateboarding, IFO, Krux, Ricta, Grizzly, Source Bolts, Ninja Bearings, Skate Sauce, Murasaki Sports QS, ThePeace

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