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VANS SKATEBOARDING x SPITFIRE WHEELS

NIKE SBを牽引する全テライン型スケーター。ジャパンツアーの合間に行われたイショッド・ウェアとのクイックインタビュー。
──ISHOD WAIR

2019.05.03

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photo_Junpei Ishikawa, Special thanks_Nike SB

VHSMAG(以下V): よく言われると思うけど、珍しい名前だよね。

イショッド・ウェア(以下I): そうだね。フルネームはイショッドケダール・ブルティ・ウェア。だからファーストネームはイショッドではなくイショッドケダールで「栄光の黒い肌」という意味。そしてミドルネームのブルティの意味は「師」。

V: ニュージャージー出身だよね。スケートを始めた頃はどんな感じだった?

I: 1年ほど何の知識もなくひとりで滑っていた。それから幼馴染もスケートを始めてスケートビデオを見せてもらった。ヤツと一緒に滑り始めていろいろ覚えていった感じかな。

V: 初めて観たスケートビデオは?

I: Girlの『Yeah Right!』。最初の2年ほどはスケート誌やビデオなんて持っていなかった。母親もそんなものに金を出すタイプじゃなかったから。だからシーンのことなんて何も知らずに2年ほど滑っていた。

V: ストリートだけでなくトランジションも得意だよね。早い段階からパークに通っていたんでしょ?

I: いや、最初はずっとフラットだけ。スケートパークに行くようになったのは結構大きくなってから。それにエアーとか全然できなかったし。今のようなトランジションスキルを身につけたのは比較的最近。ここ4年半ほどかな。

V: マジで? それであのレベル?

I: 若い頃はエアーなんてできなかった。エアーを覚えたのはここ4年半の間。Monsterのツアーで前に日本に来たときはレイヴン・ターシーと一緒だった。その前のオーストラリアツアーではロニー・サンドヴァルと一緒。これらのツアーから帰ってきてからトランジションを本格的に練習し始めたんだ。だから前回日本に来たときはエアーなんてできなかった。リーンtoテールすらできなかった。

V: そうだったんだ…。

I: まあ、ロックンロールやブラントのヴァリエーション、コーピング下でキックフリップtoフェイキーやトレフリップとかはできたけど…ステールフィッシュもできたかな。でもそれくらい。

V: トランジションが得意なスケーターは早い段階でスキルを身につけている印象があったのに…。

I: いや、ツアー中に仲間にインスパイアされただけだね。

V: では影響を受けたスケーターは?

I: 当時観たビデオに出ていたスケーター。なかでもP・ロッドの影響が大きかったかな。初めて観た『Yeah Right!』にも出ていたし。オレと同じくガキなのに超上手かった。P・ロッドが写っているMountain Dewのポスターを壁に貼っていたくらい(笑)。

無駄な骨折で終わらないようにメイクしなきゃって(笑)

V: それから18歳でフィリーに移ったんだよね。フィリーといえばLOVEギャップ。トリックを量産していたけど、なかでもSs Fsビッグスピンが印象的だった。トライしながら指を骨折していたよね…。

I: 左手の薬指が5、6箇所折れてしまったんだ。粉々に砕けた感じ。だから5、6本のピンで固定しなければならなかった。説明すると、高速で着地した際にデッキが脚の間に挟まってしまったんだ。それで頭を打たないように左手を肩にやったと同時に全体重が指にのしかかって砕けてしまった。それでもトライし続けた。オンラインで全トライが公開されていると思う。さらにはデッキも折れたから、仲間のものを借りてようやくメイク。なかなか上手くいかなかったから大変な1日だった。

V: 骨折しながらのメイク。痛みは大丈夫だったの?

I: 無駄な骨折で終わらないようにとりあえずメイクしなきゃって思ってたね(笑)。


 

V: たしかに。それ以外にもいろいろメイクしているよね。

I: ラインでキックフリップ、Ssフリップ。ヒールフリップ、Fsシャヴ、そしてSs Fsビッグスピン。

V: LOVEのギャップでの数々のメイクが転換期になったって聞いたことがあるけど。それがきっかけでRealにフックアップされたの?

I: LOVEはアイコン的なスポットだから、たしかに転換期のひとつになったと思う。Deluxeにずっとフッテージを送り続けていたんだけど、LOVEギャップでのSsフリップが大きかったと思う。

V: そういえば、2010年にDeluxeでトミー・ゲレロを取材していたときに、イショッドがオフィスに入ってきたことがあった。「あいつはイショッドっていうんだ。この先、絶対に有名になるから覚えておいたほうがいい」ってトミーが言っていたのを思い出したよ。

I: ヤバいね。

V: じゃあ、まずはRealでその後にNike SBに加入したってことだよね。

I: Tampa AMでフッテージをいろんな人に渡したんだ。当時はちゃんとしたスポンサーがひとつもなくてただコンテストに出場していた。結果は17位か18位。するとTampa AMの1週間後にBonesから連絡があってウィールを送ってくれることになった。そしてその1週間後にDeluxeからも連絡があったんだ。「Real、Spitfire、Thunderでサポートしたい」って。すでにBonesの話が決まっていると伝えたら「じゃあ、Bonesを辞めるしかないな」って言うんだ。そうしてBonesの話をなかったことにしてDeluxeに行くことにしたってわけ。それがすべての始まり。さらにその1ヵ月後にNike SBとFourstarのフロウチームに加入。だから今も続いているメインスポンサーのほとんどは同じタイミングで話がまとまったんだ。それからアマ、そしてプロに昇格した感じ。

V: Nike SBで印象的なプロジェクトは?

I: 『The SB Chronicles Vol. 02』。Nike SBで参加した初めての大作だったし世界中を旅できたから。いろんな経験ができた作品だった。それに今はみんな忙しくてスケジュールを確保するのが難しくなっている。同じフィルマーと撮影するのが大変なんだ。でもこの作品は一貫してジェイソン・ヘルナンデスと撮影することができた。いつでもクリップを撮影できる環境が揃っていたんだ。何も考える必要がなかった。ヤツの仕事はオレを撮ること、そしてオレの仕事はヤツと撮ること。だからすべてがスムースだった。


 

V: では“Back on my BS”パートは? あのパートのプロセスはどうだったの?

I: ツアーに出て撮影したものもあったけど、『The SB Chronicles Vol. 02』のように予算があって世界中で撮影できる感じじゃなかった。ただ毎日ストリートに出て撮影を重ねただけ。フィリーに戻って撮影したこともあったけどそれくらい。一緒に動いたフィルマーはVolcomの専属でもあったから時間を合わせるのも大変だった。ツアーで1ヵ月半いなかったこともあったし。それに撮影期間にケガが続いたこともあったから…。

V: 2017年はケガが続いたよね。

I: そう。本当は撮影しなければならなかったんだけどね。パートを見返したらわかると思うけど、All Courtを履いているカットがあるんだ。BMWのキャップを被ってバンプtoバーでハードフリップをするカット。あれはケガする前に撮影した古い映像。

V: フラットバーでのFsフィーブルからオーリーオーバーのFsスミスは? あれは個人的に一番好きなトリックだった。

I: ありがとう。あれは難しかった。あれはあてもなく動いていた1日だった。あのフラットバーを発見して適当にセッションしていたんだ。初めは50-50から何かをしようと思っていたんだ。50-50からフロントブラントをして車道にポップアウト。でも最初のフラットバーが2本目よりも低いからしっかりとテールを叩く必要があった。つまり、50-50からだと十分にテールが叩けなかったんだ。でもフィーブルからだと、しっかりと叩ける。50-50よりもレールとテールの間の隙間があるわけだから。そうしてFsフィーブルからFsスミスをトライし始めたんだ。スミスを最後まで流そうと思ったんだけどどうしてもうまくいかなかった。結果的にポップアウトしたほうがクールだったけど。あのフッテージは撮れてうれしかった。


 

V: ちなみにテールとノーズがシンメトリーなデッキを乗っているんだよね?

I: そうだね、今もそう。テールとノーズ関係なしに乗れるのがいいんだ。何も考えずにデッキを地面に置いてそのまま滑ることができる。スイッチスタンスで滑るときはノーズをテール代わりにするのが通常だろ? でも利き足じゃないほうの不器用な足で、しかもテールよりも地面からさらに離れたノーズを叩くのは大変じゃないか。

V: ノーズのほうがテールよりもキックが強いということだよね。

I: そう。キックが強いということで強烈なポップが得られるかもしれないけど、必ずしもそれがいいというわけじゃない。オレは強いポップよりも確実なポップを求めているんだ。特にケガする可能性のあるハンドレールをトライするときは、叩き損ねて身体だけ空中に放り出されるのがイヤなんだよ。つまり、不器用なスイッチスタンスなのにメインスタンスよりしっかり強く叩かなければならないのが理解できないんだ。みんなダブルテールに乗るべきだと思う。

V: たしかに合理的だね。ちなみにStanceのライダーでもあるよね。

I: ハンティントンビーチで開催されたMaloof Money Cupの直後にオファーをもらったんだ。ライアン・キングマンがソックスブランドを立ち上げるということで、まずオレとクリス・コールに声がかかった。だからクリスとオレが最初のライダー。それ以来、ずっとStanceに所属している。ずっとフレッシュなソックスを穿くことができるのはうれしいね。アンダーウェアも最高だし。普通のリラックスしたボクサーを履いている。柔らかくて穿き心地が最高なんだ。一度穿いたら他には戻れないね。他だと股間がゴワゴワして気持ち悪いから。

V: では最後に今後の予定は?

I: まだ内容は言えないけど、夏の終わり頃にNike SBからリリースがある。あとはずっと取り組んでいるRealのビデオプロジェクト。年内には公開できそうだ。

 

イショッド・ウェア
@ishodwair

1991年生まれ。ニュージャージー出身。テクニカル、バンガーからトランジションまでオールマイティに対応。2013年には黒人初のSOTYに輝いている。

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