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30年に渡りさまざまなボードスポンサーを渡り歩いてきた御方の足取りをおさらいすることで、ひ…
──枝が揺れても根っこは揺れない

2016.11.11

 ここ日本では定年を迎えるまでひとつの会社に勤め上げるという、いわゆる終身雇用の慣行が長年美徳とされていますので、いくら時代は変わったとは言っても「職業を転々」というのはイメージ的にはあまりよろしくない響きがあります。実際の転職などの際に向き合う担当者の自分に対する印象や評価も、それによって随分変わるものかもしれません。そして強引ですが、プロスケーターの場合「スポンサーを渡り歩くこと」=「職を転々とする(よろしくない)」ということになるでしょうか? そこで今回、この30年弱に渡り、実にさまざまなボードスポンサーを渡り歩いてきた御方の足取りをおさらいすることで、ひとつの答えを導き出してみたいと思います。

 その御方とは、1988年にPowell-Peraltaからプロデビューしたマイク・ヴァレリー。翌年の'89年にはブランドの大企業化に異を覚えWorld Industriesへの移籍を果たします。ここでヴァレリー氏、現代スケートボードの原型となるいわゆるWキック(ノーズ、テールともに十分なキックが付いた板)のプロモデルを発表。そして'91年にはNew Dealへ移籍するも翌年には盟友エド・テンプルトンとともにTV-Skateboardsを発足。しかしこのカンパニーは短命に終わり、'93年には再びPowell Skateboardsに帰属します。やがてTransit Skateboardsというこれまた短命のカンパニーを経て'98年からはBlack Labelのライダーとして活躍するも、2002年にはVallely Skateboardsを立ち上げます。しかしこれまた振るわず'03年からはElementの一員としてのキャリアをスタートさせた後、By The Swordを立ち上げるもまたまた振るわず、三度Powell Skateboardsのライダーに返り咲きます。しかし2011年にまたしてもチームを離れElephant Skateboardsを立ち上げ、現在はStreet Plantに所属します。しかもこのプロスケーターとしてのキャリアの最中にもプロレスラーやホッケー選手にチャレンジしたり、つい最近はかの有名なハードコアパンクバンドBlack Flagのリードシンガーにもチャレンジなうという驚きの経歴の持ち主。

 ここまで振り返ってみて言えること、それは偉大なプロスケーターに関して言えば、いかに多くのスポンサーを渡り歩き、さまざまなチャレンジを重ねていても、その核心部分である「スケート」そのものに対する信念に迷いがなければどうやら問題ないということです。長きに渡り「スケートして生きる」ことへの情熱を持ち続ける漢、マイク・ヴァレリー。僕たちも見習わなければなりません。

─Takayuki Hagiwara(FatBros

 

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