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CLOSER ISSUE 01(翻訳記事第2弾)
──MIKE GIGLIOTTI INTERVIEW

2022.12.05

 

Pushead、パンクのフライヤー、ロバート・クラムなどを彷彿とさせる独特の作風。マイク・ジリオッティのアートは一目でそれとわかり、独創的で、ボールペンで精密に描かれた細かいディテールも注目すべき。BakerやAntiheroのグラフィック、Vansとのコラボレーションに加え、マイクはLA、そしておそらくアメリカで最も有名なスケートショップLottiesを経営していた。スケーターによって運営され、リアルでイケてるオリジナルグッズも豊富。さらにアンドリュー・レイノルズやスパンキー、アンドリュー・アレンといったレジェンドがバックアップ。それはスケートショップとしての理想をすべて実現した場所。地元のキッズのたまり場として表でスケートを楽しむことができ、スケートボードの価値観を学ぶ場としても機能していた。LAのウエストアダムスのエリアで何年もスケートのハブを築いてきたマイクは、突然ショップを閉鎖しBakerでのフルタイムの仕事に移行。ここではマイクと彼の長年の友人であるテッド・バロウを迎え、今日に至るまでの道のりを語り合ってもらった。ーージェイミー・オーウェンス

 

CLOSER(以下C): いつどこでスケートを始めたの?

マイク・ジリオッティ(以下M): カリフォルニアのサンタモニカ。7人兄弟で兄貴がスケーターだったんだ。小さい頃から家の前でスケートボードに乗ってはいたけど、トリックをしたり、本格的に夢中になったのは小5か小6の頃だったと思う。1998年だね。

C: 初めて観たビデオは?

M: 兄貴たちがスケーターだったからリアルタイムじゃなかったけど、初めて観たのは『Wheels of Fire』と『Streets on Fire』。

C: クラシックだね。

M: ああ、でもクラシックだって知らなかった。当時は「これが最新のスケート。これをみんなやってるんだ」って思ってた。実際、その頃はすでにGirlやChocolateのビデオが出てた。そんなこと全然知らなかった。

C: 当時のクルーは兄貴たちだけ? 兄貴たちは何で最新情報を知らなかったの? もうスケートしてなかったの?

M: すでにやめてた。

C: それで「ナタスやロブ・ロスコップが最高」って感じだったんだ?

M: そう。そういうビデオが家に転がってたんだ。一番上の兄貴がいろいろ教えてくれればよかったんだけど、当時は軍隊で家にいなかったから。長男がいたら「いや、これを観ろ。こいつとこのビデオがイケてる」って教えてくれたはず。でも向かいに住んでいたスティーブンというヤツがいて、そいつが1997〜98年当時の典型的なスケーターだった。

C: マイクにとってその時代の典型的なスケーターとは?

M: マット・ヘンズリーみたいだった。カーゴショーツ、坊主頭、チェーンウォレット。1997年にそんな格好してAirwalkまで履いてた。

C: タイムカプセルで育ったのかよ(笑)。NYに移ったのはいつ? AutumnはマイクがLottiesでやってたことの前身のような存在だといつも思ってた。当時のAutumnの思い出は?

M: Supremeで働けたのはラッキーだった。NYに移る前にLAの店舗で1年間働いたんだ。当時のスタッフは、オレ、バート、カッター、カーティス、ハヴィエルだけだった。それが全スタッフ。オレはまだ17歳。その年に高校を退学になったんだ。不良というわけでもなかった。ひどいことをしたわけでもなく、ただただバカなことばかりしてた。学校は好きだったし、成績が悪いとかそういうわけでもなかった。Supremeは最高だった。バルセロナに引っ越してしばらくスケートしたいと言ったら、バートやあの連中は「オレもオマエくらいの年齢だったら同じことをするぜ。戻ってきたときはまたここで働けばいい。もしNYに住みたいなら、向こうのショップで働けるように頼んでやる」って。それでバルセロナに引っ越したんだ。半年ちょっとか7ヵ月ほど住んで、あちこちを回った感じ。

C: バルセロナでは誰と住んでたの?

M: 仲間のクリス・シアフォンと、LA育ちでサンドギャップやHot Rodローカルのルイス・マルティネスと一緒にしばらくアパートに住んでた。ヤツらが出た後は、トーマス・ウィンクルというフィルマーとジョン・ニューポートと一緒に住むことになった。ヤツらとは4ヵ月くらい一緒に暮らしたかな。マーク・アップルヤードの弟もそこに住んでた。2004年頃の話。当時のホットスポットだよね。アメリカ人のフィルマーと一緒に暮らしていたから、マーク・アップルヤードやアリ・ボウララ、ジョシュ・ケイリスとかとセッションをすることもあった。ヤバい出来事をたくさん目撃したよ。

C: 当時は何歳?

M: 18歳。だから最高だった。InstagramやFacebookが存在しない時代。ラッキーだった。その後にNYに移ったんだ。バルセロナで7ヵ月過ごしてからNYに飛んだ感じ。そして夏のユニオンスクエアに行ったら、プライス(・ホームズ)やベン・ナザリオとかいろんなスケーターと出会うことができた。最初の週に多くのスケーターと知り合うことができたんだ。Quartersnacksのクルーがいろいろ繋げてくれた。

C: そのほとんどが自分の会社を立ち上げて今のスケートに大きな影響を与えているわけだよね。しかもみんなユニオンスクエア界隈でスケートをしながら自然発生していったことを考えると驚きだよね。オレと同じくマイクにとってもAutumnはハブのような存在だった?

M: そうだね。毎日いたよ。5thストリートと2ndアベニューに数年間アパートを借りてて、そこもQuartersnacksのたまり場みたいになってた。

C: Autumnのすぐ近くだね(笑)。

M: ああ、みんなAutumnでたまってた。Supremeから「Autumnには行くな」みたいな雰囲気もまったくなかったし。みんな仲間だった。Autumnはいつも表でスケートできるような雰囲気で、ボックスもあった。そしてスタッフは必ずひとりだけと決められていた。でも新しいスタッフになってから、今までのようにショップで寝泊まりすることができなくなったんだ。「もうダメだ。タダでモノをもらうこともできない…」って感じだった。そしてある朝、新入りのスタッフにこっぴどく怒られてね。「終わった」って思ったよ。あのショップにはいろんなスケーターの借用書もあった。ガキどもが万引をしたときも、そのひとりの写真に「泥棒クソ野郎」と書いて壁に貼ったこともあった。「万引なんかしないけど、あれはさすがに勘弁だ」って思ったよ。さらに「恥の壁」という壁があった。これが最高でさ。ロビー・マッキンリーとかがモデルをやってるヤバい写真が貼られてるんだ。あとはメイクしてないのに雑誌に掲載された写真。Autumnのトイレがそうだった。

C: スケートショップがまだハブ的存在だった頃の時代だよね。当時の経験があったからLAでショップを始めようと思ったの?

M: そうだね。Autumnがなくなった頃を覚えてるよ。そのときは悲しかったけど、オーナーのデイブ(・ミムス)が実は喜んでいたとも聞いた。Autumnの閉店は決して悪いことではなく、ヤツの個人的な選択だったんだ。自分の決断に満足してたってわけ。だからオレは「ああ、それはよかった。でもLAにもAutumnのような若いストリートスケーターが経営するショップがあればいいのに」と思った。というのも、LAにはオレが今でも通う素晴らしいショップがある。Rip Cityだ。でも客の層が違う。

C: 年齢層が高いってことだよね。

M: そう。そしてストリートスケートに特化してるわけでもない。オレゴン州ポートランドにShrunken Headというショップがあるんだけど、そこはまだ残っててスケートショップ界のバーンサイドって感じ。センス的にもAutumnと似てるんだ。壁には木のパネルが貼ってあってデッキが飾ってある。窮屈な感じがして、でもそれが心地よくて。「こんなのがLAにあったらいいな」と思った。それで「NYでやろうかな」と思ったんだ。そしたら「いや、もうLaborがある。2012年にオープンした」って言われて。NYではずっと創作活動をしてて、2014年から15年にかけてLaborでデッキやシューズを買ってたんだ。その後に完全にLAに戻ることになって、そういう雰囲気のあるショップを開きたいと思った。そうしてLottiesが始まったってわけ。

C: Lottiesという名前については?

M: ニュートラルなものだね。最初に思いついた名前は下品だったりヴァイブスが強すぎたりしてた。オレはGirl、Chocolate、BakerやAntiheroのような名前が好きなんだ。フレッシュとヘッシュ、その中間のすべて。Lottiesはファミリーネームだけど何かと使える名前。特に自分の作風を左右しない名前というか。メタル系の音楽が好きなこともあってそういう雰囲気のものも描きたいけど、遊び心のあるものも描きたいっていうのがあって。「Lotties 」は響きもいいし、いろんなものとの相性もいい。そんな感じで名前を決めたね。

C: マイクのアートは、ロバート・クラムをはじめとするイラストレーターの伝統を受け継ぐ美しい線と陰影のあるイラストが半分、トイレの壁に描いたような落書きが半分という感じかな。

M: ああ、どちらも好きかな。でもそれがある意味ずっと悩みだった。これはスケートにも大きく関わってると思う。スケーターでこんなことを感じるのはオレだけじゃないと思うけど、幼少期に見た映画や仲間から影響を受けることが多々ある。マイク・キャロルやGirl / Chocolateの連中にもかなり影響を受けたし、Bakerの連中にも同じくらい影響を受けた。ヤツらはみんな友達同士でストリートスケーターなわけだけど、見た目が全然違う。オレはいつも「なぜどちらかを選ばなければならないんだ?」と思ってた。どちらかしかダメという考えが嫌いなんだ。35歳になった今でも「ひとつの方向性に決めるべき」と思ったことはない。幸いにもAntiheroのグラフィックを担当することになったけど、オレはそういうスケートをしてるわけじゃないし。

C: Antiheroの美的センスはヤバいよね。

M: 最高だね。でも考えてみろよ。ジュリアン・ストレンジャーやフランク・ガーワーがアンドリュー・アレンと一緒にストリートスケートをしてるんだ。アンドリュー・アレンがAntiheroにいた頃が好きだし、そういう感じが最高なんだ。アートはその相関関係がダイレクトに伝わってくる。「オマエはイラストレーターなのか? もっと油絵を描けよ。油絵を描くのか? どうして人に見せないんだ?」と聞かれることがある。でもオレは全部やりたいんだ。何かひとつを選ばなきゃいけないなんて知らなかったよ。これまでBakerやVansと仕事することができたのは光栄だし、それはLottiesをやってたからこそだとも思ってる。でもやっぱり何かひとつに絞らなきゃいけないという風潮があると思うんだ。'80年代のSanta Cruzやジム・フィリップスのような緻密なアートワークも面白いし、皮肉たっぷりなWorld Industriesの超複雑に描かれてスクリーンプリントされたものもイケてる。まったく別の方向性があるわけだよ。スケートのグラフィックはシリアスすぎないほうがいい。使い捨てであるべきなんだ。かっこよくて笑えるもの。大事なモノとして持っておくものじゃない。スケートするときに映えればいいんだよ。

C: マイクの作品の魅力は、かっこよくもあり、ふざけてて悪さもあることだと思う。

M: だからBakerが好きなんだ。立ち上げたときから、デスメタル、ロック、カントリー、Hip-Hop、いろんな趣味を持ったライダーがミックスされてた。だからBakerのグラフィックを描くときにいろんな要素をぶっ込んでもまったく違和感がないんだ。やっぱり使い捨てという考え方が好きだね。それでいいと思う。それを肝に銘じておこうと思う。

C: Lottiesでデッキを選ぶ客で最悪だったのは?

M: それを話し出すと終わらないね。絶え間なくいたよ。オレはLottiesを始める前からずっとスケートしてた。でもウィールベースについて知らなかったし、そういう技術的なことも知らなかった。Lottiesができてからショップ同士で話すようになるんだけど、いつも飛び交うのはウィールベースに関するジョーク。一番面白いのは、具体的なウィールベースのデッキを要求するんだけどまったく滑れない客。そんな客に対してもなるべく真摯に対応するんだけど、まあ楽しいよね。たとえばローワン・ゾリラを見てみろよ。ローワンにどんなデッキを渡してもヤバいスケートを見せてくれる。どんなデッキでも、どんなサイズでも関係なく滑れる。オレは特定のサイズのトラックやウィールが必要だけどね。

C: オレの場合、高校の間はずっと好きなスケーターの真似ばかりしてた。ポール・シャープのようなノーリーがしたかったらConsolidatedのデッキを選ぶみたいな。

M: オレは今でもそうだよ! 今もVansのジェフ・ロウリーを履いてるけど「これにはDickiesを合わせないと。Dodgersのキャップはかぶれないな」って。わけわからないよね。馬鹿げてる。今は仕事でBakerの連中と会うことが多くなったけど、やっぱり影響されてしまう。マジで情けないよ。

C: オレもそうだよ。昨年、エリントンがWranglerを履いてたから買っちゃったからね。

M: そうだね。ガキの頃にアンドリュー・レイノルズがブラックジーンズを穿いてステアでフロントフリップしてるのを見て、そのジーンズを探そうとしたんだ。でも大人になってわかったのは、それはただの501だったってこと。どこにでも売ってるものだったんだ。着るものにこだわらない人がいつもうらやましかった。そんなこと気にしてなかったらもっとスケートが上手くなってたのかな。まあ、そんなことないだろうけど考えるのは楽しい。いろいろこだわるからこそスケートが楽しいんだよ。そんなことを考えながら今でもセッションに励んでる。もし足元を見てテンションが上がらなかったら、その日のセッションも最悪になるだろうよ。アンドリュー・レイノルズのインタビューで「自分の見た目を気にしない人がいるとしたら、それは嘘だ」と語ってたのを覚えてる。その通りだと思う。

C: でも面白い例外もいると思う。

M: ああ、WranglerとPolarのBig Boyの2択で「どっちでもいい」というタイプね。

C: Lottiesに話を戻すけど、ショップを取り巻くシーンはどのように作ったの?

M: AutumnとHot Rodの影響がでかいね。Autumnの近くにトンプキンスがあったのも素晴らしかった。ボックスもAutumnのものだった。どこにショップを開くにしても「さあ、買い物しろ」という感じじゃなく、表に縁石があったりとかそういう場所にしたかった。店以上の魅力が必要なんだ。Hot Rodには「LedgeBusters」というビデオレンタルのシステムがあって実際にスケートビデオを借りることができた。だからオレは古いデッキや写真を壁に飾って、キッズが今まで見てきたものとは違うタイプのスケートに興味を持つようにしたかったんだ。正直なところ、オレらがガキの頃はインターネットがなかった。2、3種類のスケート誌しかなかったし、スケートビデオも最低2回は観てた。ビデオに使われた音楽も全部覚えてた。今聴いてる音楽の95%はスケートビデオで知ったもの。でもそれも今は失われてしまった。オレのショップに来るローカルのほとんどが、初めて来たときに好きだったスケーターは聞いたこともないような、そしてこれからも聞くことはないような連中だった。人気YouTuberやフォロワー数百万人のInstagramスケーターたち。

C: だから「Instagramスケーターは知ってるかもしれないけど、ショーン・ヤングのことは知ってるかな?」とか、キッズを別の方向に誘導する必要があったんだね。

M: そう。オレらにはその責任があった。「オレら」というのは、オレとショップスタッフふたりのことね。キッズに情報や歴史を無理やり教え込むことに一生懸命だった。ガキの頃にHot Rodで何か買おうとしたとき、クリス・ケーシーはそれを敢えて売ってくれなかったんだ。代わりにAestheticsについて教えてくれた。古いChocolateのビデオとかも見せてくれた。Lottiesを通してそういう活動が有効だということを知ることができた。インターネットプロが好きなアマリというローカルがいたんだけど、今では昔のビデオも全部観てるくらい。今ヤツに会うと、服装や音楽の趣味とか、いい意味で昔のビデオから影響を受けてるのがわかる。ヤツはベン・サンチェスの影響を受けたんだ。ベン・サンチェスが大好きになったんだよ。最高だよね。多くのキッズは10〜12歳くらいにスケートを始めて、12〜17歳くらいまでの間にテイストや好きなスケーターがだいたい決まるんだ。そしてそれが滑り方やスケートとの向き合い方、スケートに何を期待するかといったことに大きな影響を与える。本当に柔軟な時期だよね。スケートショップはそれを提供するという意味で本当に重要な役割を担ってる。言い忘れたけど、これに関してはAutumnの存在も大きかった。カリフォルニアのウエストコビナにPawnshopというショップがあるんだけど、そこにビデオの試写会に行ったんだ。冗談抜きで、そこにいるキッズはみんなPawnshopのTシャツを着てたよ。Autumnが新しいTシャツを出すと、みんなそのTシャツとビーニーを欲しがるんだ。だからスケートショップをやるなら、他のブランドのものではなく、そのショップのものをつねに作りたいという思いがあった。オレは絵を描くから、アートを追求できるという意味でも都合がよかったのかも。

C: Lottiesをオープンする前にスケートカンパニーと仕事をしたことはあった?

M: そうでもないね。ショップを持つ前にBakerのボードシリーズを2回やったくらい。もしかしたら1回だけだったかな。NY時代にMax Fishに通ってるうちに、スパンキーと知り合いになったんだ。それで「Bakerのボードシリーズをやってみないか?」って言われた。答えは「 もちろん」。そのシリーズは好評だったと思う。そしていつでもまた声をかけてくれと伝えた。そうやって次へと繋がっていったんだ。

C: Max Fishの話が出たけど、当時からブランド同士や特定の人とのカプセルコレクションというコラボが主流だったような気がする。これは少なくともLottiesが登場する前はLAよりもNYの方が一般的だった。他のブランドとコラボをするスケートショップなんてなかったよね。

M: いや、あったと思うよ。Vansがすごいのは、ブランドとしてつねにアートを優先してきたこと。テキサスのNo-Comply Skate ShopやPawnshop、Laborとコラボしてたし。LaborがVansと一緒にOld SkoolとHalf Cabを作ったのも覚えてる。それからUpriseも何かやってたね。「スケートショップをやってれば、新しい人たちと一緒に仕事ができる可能性がある」と思ったよ。実現しなかったけど、EmericaのReynoldsモデルのコラボの話もあったんだ。Bakerとグレコのファンとしてはうれしい限りだった。オレは「どうやったらスケートとアートの両方に関われるんだろう?」とずっと考えてた。その答えはLAでスケートショップをオープンさせることだった。大きな街だから、ひとつくらい増えても問題ない。ただ他の小さなショップの近くに出店しないように気をつけた。そうすることで問題なく、しばらくは上手くいったんだ。

C: たしかにLabor、Uprise、Humidity、No-Complyとか、どのショップもアーティスティックなブランドアイデンティティを持ってる。特定のアーティストと組んでるんだ。グラフィックデザイナーや小さなメディアを社内に抱えてるのも面白い。オーナーがそのような人物であることは稀でクールだよね。

M: 最初からそのつもりだった。「これが上手くいけば、アートとスケートショップの経営、このふたつを組み合わせて生計を立てることができる」と思ってたから。そのときは今しかないって感じだった。



 

「ショップを畳んだときに大変だったのは、キッズと毎日会えなくなること。でも実は簡単な決断だった。最善なのは、前に進むこと」
 

C: オープン当初、他店との競合はなかったの?

M: 正直なところ、LAのSupremeの連中は「おめでとう!」って感じだった。しかも上層部がオレのことを電話で聞いてきたときも「協力してやれ」って言ってくれたらしい。みんな本当によくしてくれたよ。それに場所的にも離れてたからヤツらのゾーンには入ってなかった。ウエストアダムスに引っ越してきたときも周りにスケートショップは皆無だった。

C: どうやってスケーターが集まるようになったの? どのようにシーンを構築したの?

M: まあ、その頃にはうちのショップにも十分なファンがついてて、どこに行ってもうちのアイテムを気に入ってくれる人がいた。LAは広いから不便なんだ。便利な場所なんてない。便利なのは仲間がたくさん住んでるエコーパーク。でもみんなただでモノをもらえるスケーターばかりだから。そこでは経済的にやっていけない。それにエコーパークには、オレが好きな若い子がやっているAngelenoというショップがすでにあったんだ。そこを邪魔したくなかった。Kingswellもあった。オレはヤツらが好きなんだ。ロスフェリスにもショップがあって独自のクルーとシーンが定着してる。だからオレはLAの便利な場所で、ローカルなシーンを築くことができて、Lottiesが好きでよく遊んでいるキッズが住んでる場所を探してた。そしたら「ウエストアダムスに来いよ。家賃も安いし、フリーウェイ10号線からすぐだし、電車も走ってる」って。そして地元のスケーターが車で通りかかって「この物件どう? 空いてるよ」って写真を見せてくれた。内見に行ったら完璧な物件だった。そして即決。

C: ではショップを畳むことになった経緯を聞きたいんだけど…。

M: いつまでもショップを持ちたいとは思ってなかったんだ。Lottiesがオープンした頃、ウエストアダムスに引っ越してきたばかりの頃、実は癌と診断されたんだ。その結果、いろんな意味で人生が変わった。そのひとつが、「オレはショップを始める。でもある種の自由が欲しい。その自由のために一生懸命働けば、それを手に入れることができる」ということだった。哀れんでほしいわけじゃないけど、それを経験しながらショップを経営するのは本当に大変だった。「癌だから無理するな」なんて言われるのは嫌だし、かといって軽視されるのも嫌だし。オレらは1日中、クソみたいなことに対応してた。スケートショップはどこもそうだ。オレらのショップにもたくさんの人がやってきて、クレイジーな接し方をする連中がいた。そしてそのような連中から見下され、スタッフも自分も疲弊していった。健康上の問題を経験した後、ショップを持ち、ThrasherやVansとかみんなが熱狂するようなブランドとコラボをしても、収支が合うかどうかという感じだった。新しい商品を入荷するためには、かなりの金が必要なんだ。みんな変な誤解をしてるんだよ。あるときうちのショップに来て「グリップテープをタダでくれ」と言うキッズがいたんだ。「いいよ、でもキミがタダで欲しいと言ってるグリップテープは、オレが2ドル50セントで買わなきゃならなかったものなんだ。だから5ドルで買ってくれよ。これはキミにとっていいビジネスの勉強にもなるから」って伝えたよ。すると「オマエらは稼いでるだろ。ファックユー!」って。「ファックユー!」って叫び始めたんだ。「Palaceとコラボしただろ!」って。どういうつもりだ? 狂ってるだろ! 何もわかっちゃいない。まあ、しょうがねぇよな。ガキなんだから。つまり「もういいや、アートのキャリアでどうにかなるから、こんな小さなビジネスをするのはやめよう」と思えるようになったんだ。それで終わり。パンデミックもあったけど、実はパンデミックのおかげで結構繁盛してた。でもその後、品不足になってね。あとAutumnの話と似てるけど、ショップに入って知らない人がいるという状況。スーパーなら誰が働いてるかなんてどうでもいい。必要な食品を買えればいい。でもAutumnでは、何かを買うか買わないかは、正直なところスタッフ次第なんだ。Lottiesもそうだった。うちのショップで働いてた若いふたりは、いずれ転職するという話をしていた。でもショップとローカルの結束が固かったから、まったく新しい人を雇う気にはなれなかった。毎日働いてたのは、オレともうふたり、そしてローカルたち。Bakerやその他のブランドのグラフィックを担当してたからこそ、幸運にもローカルキッズをフックアップすることができた。これこそショップを持つ意義。キッズを刺激し、無料でいろんなもの提供できることが素晴らしい。そして3年半ほどLottiesを経営してると、あることがきっかけでローカルキッズが怪我をするようになった。オレたちの頭もおかしくなりそうだった。もうたくさん。かなり大きな出来事だった。かなり簡単に説明してるけどね。ただ「これはオレらの健康を損なうものだ」と思うようになったんだ。「こんなことは続けられない。バカげてる」ってね。癌によって母なる大地と調和するようになったというわけではないけど、健康を優先するようになったことも確か。スタッフふたりも悲惨な状態に陥ってた。昔は毎日ワクワクしながら出勤してたのに。ワクワクしすぎて、閉店時間になると怒っちゃうくらい。そして最終的に「これはオレらがやろうとしたことではない」と思うときが来てしまった。それで閉店したんだ。ショップを畳んだときに大変だったのは、キッズと毎日会えなくなること。でも実は簡単な決断だった。最善なのは、前に進むこと。狂ったゲームに付き合い続けても、オレにとっても他の人にとっても何の役にも立たないから。

C: でももっと広く言えば、スケートカンパニー、ショップ、トレンド…何にでも寿命があるということなんじゃない? マイクが60歳になってもショップにいるようでは困るように、ヴァイブスを維持するためにショップにいることで若いスタッフが他のチャンスを逃すようなことにはなってほしくないだろ?

M: 賞味期限があるということだね。ギルバート・クロケットがインタビューで「永遠にクールなものはない」と言ってたのを覚えてる。だからもっとポジティブに考えたいと思う。「Lottiesは存在したんだ。すげぇクールだった。Vansとも繋げてくれた。Bakerとプロジェクトを形にしてスケート以外のこともやってた。ヤバいショップだった」ってね。関係者はみんな前に進み、新しいことをやってる。人生で最も素晴らしいことのいくつかは、ただ消えていくもの。スタッフのひとりはスケート業界の仕事に就き、もうひとりは2週間後にNYへ引っ越す。すべて順調だ。すべてがポジティブに解決した。

C: 明るい未来へ向けてね。ちなみに今は何をやってるの?

M: Half Cabが30周年だからVansとプロジェクトを進行中。レイノルズとスパンキーと一緒につねに何かやってるし、個人的なプロジェクトとして小さな本も作ってる。ショップを持たないことで、より多くのカンパニーと仕事ができるだけでなく、本の制作や油絵とかいろんなプロジェクトに取り組むことができるようになった。油絵はあまり人には見せられないけどね。Lottiesで形にすると言いながら、結局、毎日ショップの業務に追われて実現できなかったから。

 

 

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