VANS - SKATE HALF CAB BY ELIJAH BERLE COLLECTION

VIOLENT GRINDはいまや「伝説」という形容詞がつく、ハードコアパンクとスケートが融合したブランド。1987年に下北沢でショップをスタートしてから35年。大きな節目を迎えた同ブランドのファウンダー、KURO氏に当時を振り返っていただいた。
──KURO

2022.09.30

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photo_Iseki(Portrait)

VHSMAG(以下V): まず1987年にViolent Grind(以下VG)を始めたきっかけからお願いします。EDISONというレコードショップの傘下として下北でスタートしたんですよね?

KURO(以下K): そう。最初はハードコアにしか興味がなかったんだけど、Bad Brainsのビデオとかを観たら流れがスケートになってて。とにかくEDISONでVGを始めるって話になった。スケート絡みのレコードも取ってくれるっていうことで、ハードコアとスケートをクロスオーバーすることになったんだ。当時はLAのメルローズにRene’sっていうレコードとスケートを取り扱うショップがあって、EDISONの社長がそこに視察に行ったんだけど「絶対にこれだ!」って思ったんだって。

 

Rene’sの前での1枚。壁画はランス・マウンテンによるもの。

 

V: レコードとスケートを取り扱うショップは当時から珍しかったんですか?

K: 珍しかったと思うよ。VGを始めて落ち着いてからアメリカに行ったんだけど、やっぱそういう形態の店はRene’sとDogtownの店くらいだった。あとSFのFogtown、Concrete Jungleにも行ったね。

V: Concrete Jungleに行ったことあるんですか!?

K: あの頃はよく行ってたよ。Concrete JungleのFinal SolutionのハンドプラントのデザインはそのままVGで拝借してたし。最初はPusheadを頼ってアメリカに行くわけじゃん。当時のPusは忙しかったから自分で調べてThrasherに行ったんだ。そのときに会ったのがThrasherのカメラマンでDrunk InjunsのボーカルのMofo。そいつらと仲良くなって帰ったらPusが「なんであいつらと仲良くなってんだ。どうせ一緒にXXXでもやってたんだろ」って。Pusは酒も飲まないから。アメリカにも堅物はいるんだよ(笑)。

オレのことをJAMO、つまりジャパニーズMOFOって呼んでた

V: Thrasherに行っただけでいきなりMofoと仲良くなったんですか?

K: そうだね。Santa Cruzの社長はオレのことをJaMo、つまりジャパニーズMofoって呼んでたくらいだから(笑)。Mofoは超パンクだから家に行ったときも歓迎ぶりがすごかった。超全開でSex Pistolsをかけてるんだ。「オマエSex Pistolsなんて好きなの?」って聞いたら、「この窓からあれを見てみろ。あのライブハウスはSex Pistolsが最後にやった場所なんだ。それをオマエに見せたかった」って。日本だったら絶対に通報されるような音量でずっとかけてんの。めっちゃいいXXXももらって酒も飲んでジャグジーに入って。

V: まさかMofoのエピソードが出てくるとは思ってませんでした(笑)。でもPusheadがVGっていう名前をつけたんですよね?

K: そう。でも最初にその名前を聞いたときはさ、「かっこ悪い」って思ったんだよね…。「こんなの覚えられないだろ」って。でも後々、自分のものになってみるとよく考えてくれたって思うね。

V: Pusheadとはどういう経緯で出会ったんですか?

K: 当時よく遊んでたLip CreamのJha Jhaから、「PusheadっていうThrasherのヤツが来るから空港に迎えに行こう」って言われて。それで空港で会ったのが最初。するとヤツは「なんでそんな格好してるの? Suicidal Tendenciesが好きなの?」って聞いてくるんだ。そのときのオレ、カンフーシューズを履いてたから。Suicidalギャングはカンフーシューズを履くんだよ。だからPusの家に行ったときも、隣のおばちゃんに「どこのギャング連れてきたの」って言われてた(笑)。

V: 当時のアメリカはどうでしたか?

K: アメリカにもビビりとそうでないヤツがいてさ。たとえば危ない場所に「あるモノ」を拾いに行くとして、日本とアメリカの違いは万が一ヤバいことをしたら撃たれる可能性があるってこと。それだけじゃん? 「それくらいのことだけだったらいいよ。オレが行くから金よこせよ」って思うから。オレは全然平気なの。危険よりあっちの欲のほうが勝るから。死んだときは死んだとき。

V: かなりの修羅場をくぐってそうですね…。

K: ラッキーだっただけだよ。「パン!」て撃たれて終わってた可能性も全然あるから。でもLAのダウンタウンでひとり歩いてたらヤバかったと思う。だってサウスセントラルの駅でマシンガン持って歩いてるヤツ見たことあるからね。お巡りだと思ったらギャングだった。あれは怖かった。日本人街のワンブロック先で平気でバイやってたり。目の前でキャデラックが突っ込んだりとか。映画の世界だったよ。それがニュースにもなってないんだから(笑)。

V: ではちょっと話を日本に戻しますが、当時の下北の立ち位置ってどんな感じだったんですか? たとえばスケートコミュニティでは原宿がよくメディアに取り扱われていて、そのカウンターとして下町があったという話はよく聞きますけど、下北はどうだったんですか?

K: 新しかったね。まさか誰も下北でやるなんて思ってなかったし。しかも当時のVGは値段を抑えて商品を売ってたから、日本の代理店からしたら商売的な敵地とか領域外と思われてたんじゃないかな。たぶん代理店のスケート業界のなかにオレらは入ってなかったと思う。まあ、やってるときはそんなこと考えてなかったけどね。当時はVGにスケートが上手いヤツらが来て一緒にビデオ撮りに行ったりするのも楽しかったけど、ファッションで板を持っててタイヤを一度も地面につけてませんみたいなヤツも来るわけじゃん。オレはそれでもいいと思うのね。原宿の店とかだと肩身が狭いかもしれないけど、オレは「頭きたらそれを武器にすればいいじゃん」って感じだったから(笑)。そういうヤツらが集まってきてVGでひとつのブームは作ったけど、オレよりも大先輩でこういう風を吹かせたのは大野 薫さんだよね。

 

VGのオープン時のフライヤー。

 

オープンしたばかりの頃の店内。レコードショップの什器をそのまま活用。

 

V: 大野 薫さんの名前はいろんな人から聞きます。どんな方だったんですか?

K: 薫さんは面白かったね。あの人はBetty’sでDogtownとSuicidalを入れてきて売ってたけど、VGが原宿から異質なものとして相手にされないのとまた別の意味で相手にされてない人だった。でも最初は薫さんと仲良くなかったんだよ。Betty’sにしかSuicidalのTシャツが売ってなくてさ。あのオヤジと会うのが嫌だったから女に買わせに行かせたからね(笑)。仲良くなったのはClub CittaかどこかでSuicidalが来たとき。それまでもいろんな場所で会ってたんだけど、そのイベントの後にFineが打ち上げをセッティングしてくれたんだ。そこで薫さんと一緒に飲んだんだよね。それでサーフィンの話になって「薫さんってまだサーフィンやってるんすか?」って言ったら「テメェこの野郎、テーブルひっくり返すぞ!」って超キレてさ(笑)。その日は一緒に結構飲んで、最後には肩組めるくらい仲良くなった。一度、薫さんがオレらのイベントで酔っ払って揉めたことがあったんだけど、そのときも翌日に連絡して謝ってくれた。いい人だと思ったね。謝ることができなかったらあの人のこと好きにならなかったと思う。あと友達のバンドのレコーディングでオレと薫さんがサンプリングで参加したんだ。一緒に酒飲んでニコニコできたのはそれが最後だったかな。全然連絡ないから「薫さん元気なの?」って周りに聞いたら「言わなかったっけ? 薫さん死んだよ」って…。

V: 当時は今と比べて存在感のある人が多かったような気がします。

K: みんな時代の感性に閉じ込められちゃってるんじゃない? オレも比較的そうだもん。デジタルとか訳わかんねぇし。

V: 当時VGに出入りしてた人で今も活躍してる人はたくさんいるんじゃないですか?

K: バンドだったらチボ・マットが凄いんじゃない? 当時は一緒にドレッドかけてて「絶対に切らない同盟」を作ってた(笑)。

V: それは凄い(笑)。では当時のチームには誰が所属してたんですか?

K: チームなんてないよ。オレは8pmまで店番してるけど、普通なら仕事が終わったら女と遊んでるほうがいいわけじゃん。最初は客に「そろそろ帰れ!」って言ってたけど、みんなと一緒にどこかに行くのが面白くなっちゃって(笑)。オレは免許ないからEDISONの車を誰かに運転させて心霊スポットに行ったり。そんなことばっかりやってただけ。チボ・マットの美保ちゃんも鶴川団地に連れて行った。本牧で花火戦争したり蓮沼に滑りに行ったり。それで朝方になると、駒沢で星野(正純)とか新倉(孝雄)がバンク作ってるからビデオ撮ったり。まあ、楽なもんですよ。オレは酒飲んでりゃいいんだから(笑)。

 

Violent Grind初期、'88~'89年頃の1カット。写真右は野坂稔和。

 

写真左から、曽根(S-ONE THE GANGSTA)と前田。

 

山田愉一郎。

 

Powell Peraltaのツアー時に来店。写真左から、スティーブ・キャバレロ、ランス・マウンテン、エイドリアン・ディメイン。
当時はパンクとスケートがいろんな場所でクロスオーバーしてた

V: VGは敷居が高くて怖くてなかなか入りづらい店だったというのは有名ですよね。

K: いろんな場所でDJしてるとさ、「昔VGに怖くて入れなかったです」って声をかけられるんだよ。そういうヤツが本当にわんさかいるわけ。それでわざと「そう言うの、キミで545人目だよ」って言うと「本当ですか!」って。いや、そんなの数えてるわけねぇだろ。それが楽しくてさ(笑)。

V: (笑)。そういう店の雰囲気は下北だけじゃなく元S.O.BでRFTDのナオトくんがやってた大阪店もそうだったって聞きますよ。

K: いや、他の店のことはあまり知らないんだよね。大阪はたまたまナオトで、神戸がたまたま藤本(修羅)だったって話。当時はパンクとスケートがいろんな場所でクロスオーバーしてたんだよ。GAUZEのシンに「オレの歩行を邪魔するスケーターがいる。オマエのせいだろ、この野郎!」って言われたことがあったんだ。それがすげぇうれしくて。シンがそこまでスケートを意識してたんだって。新宿のANTIKNOCKでGAUZEが亜無亜危異と対バンしたときにシンと会ってそのことを話したら「オマエ古い話するんじゃねぇよ!」って言ってたけど(笑)。

V: ちなみにこれは都市伝説かもしれませんが、下北のVGに万引き犯用の「お仕置き部屋」があったって本当ですか?

K: 出た(笑)! 当時知り合ったコシヤマっていうヤツがいたの。そいつがアニメとかの絵を描くのが好きで、永井 豪の『けっこう仮面』に出てくるサタンの足の爪っていうキャラの「ドギツ仕置き室」っていうお仕置き部屋があったんだよ。それで社長室に「ドギツ仕置き室」って貼ったんだ。だからそれは社長の部屋(笑)。

 

写真右側の社長室のドアには「ドキツしおき室」の落書きが。

 

V: 本当にあったんですね! 実際に万引きした客を入れてお仕置きしてたんですか?

K: 万引きは結構捕まえたけど、お巡りに渡しても何も面白くないから。お巡り嫌いだし。だからオレは犯人を捕まえて役者に浸るというか…。完全に松田優作化してる時間があるよね。大概、万引きされるとわかるんだよ。それで外で捕まえて店に連れて帰ってこう言うんだよ。「オマエさ、ヤルのは簡単だよ。オレんとこで8千円のタイヤ盗んで、オレの給料からその分引かれるんだよ。勘弁してくれよ」。まあ、これは嘘だけどね。とにかくそう言うと「そうですね」ってニヤニヤ笑ってんの。そしてここぞってとこで「バン!」って机を叩いて、「テメェ聞いてんのかこの野郎!」って怒鳴るとボロボロ泣くんだ。だから泣かせばいいの。それで名前だけ書かせて。そこからは松田優作だよね。「テメェ、次から盗むときは原宿でやってこいよ」って。そういう映画があるんだよ。その真似してさ。

V: 何なんですか、それ(笑)!

K: 万引きされたら店に鍵かけて、逃げルートは把握してるから追いかけるの。ルートは大体同じ。オレは別に盗られたっていいんだけど、盗られるってことは、要するに「あそこに座ってる店のヤツ」…つまりオレのことね。「アイツはたぶんイケる」って思われてることが腹立つんだよ。万引き自体はムカつかないんだよ。「挑戦されたな」って。そうなるとオレもいろんなバラエティで返さなきゃいけねぇかなって。

V: 都市伝説じゃなかったんですね。

K: いや、「ドギツ仕置き室」に入れたりはしなかったけどね。今も覚えてるのは、オレの電話中にトラックを床に落として足で引きずって盗ろうとしたヤツ。それが面白くてさ。すぐに外で捕まえて店に連れて帰って。謝るんだけど「もう盗っちゃってるからダメだよ。オマエ、サッカーか何かやってんの? 足で引きずるの上手いじゃねぇかよ」って(笑)。そういう感じでニヤって笑わせる場面だけは作っておいて、机を叩いて怒鳴ってボロボロ泣かせて松田優作。「大人をナメんじゃねぇぞ、テメェ」って。大人じゃないけどね(笑)。でもアメリカンスクールの小僧は腹立ったね。1回で何枚も板を持って行きやがって。それで捕まえて学生書を出すように言ったんだ。連れの女の子にも出すように言ったんだ。そこから松田優作モードだよ。「いいよ、じゃあ売ってやるから金持ってこいよ。持って来なかったらこの女犯しちゃうからな」って。そういう松田優作のセリフがあるんだよ。すぐに松田優作が降りてくるから(笑)。

 

初台移転時のフライヤー。

 

V: (笑)。そんな下北のVGもその後は初台とか高円寺に移転することになるんですよね?

K: 下北の店がなくなるって聞かされたときは、「1500万円払えるんだったらそのままこの場所で続けられる」って言われたんだよね。でもそんな金ないし。まだ合鍵を持ってたから、曽根(S-ONE THE GANGSTA)と今里と3人で店を見に行ったの。そしたら中ががらんどうになってて。そこで感慨深い顔して3人で撮った写真が残ってるよ。オレも写ってるから誰かが撮ったんだろうな。当時はセルフィなんてできねぇから。

V: ということは初台に移転した店はもうEDISON傘下じゃなかったということですか?

K: EDISONじゃなかった。VGのデザインでカタカナロゴがあるんだけど、それを手掛けたのが田中トモヨさんっていうオレの姉御みたいな人なんだ。NYに住んでてBoredomsのデザインもした人で。その人から連絡があって、同級生が洋服とかの仕事をしたいみたいだから一度会ってみてくれって。それで会ったら全然オレと違うタイプでYAZAWAな人なの。パンチパーマで。飲んでるうちに仲良くなっちゃって初台で一緒にVGをやることになったんだ。それで何年かやったんだけど、その人も42歳で亡くなっちゃって…。それまでにPusはオレが金に困ってるかもしれないってことで昔のレアなヤツを全部$2で売ってくれてたの。それをその人とふたりで会社の財産にしようって言ってたのに、それが無くなって今は世に出回ってる。誰かが売ったんだよ。犯人を探して捕まえてもいいんだけど、そういうのもやめようと思って。古いモノで勝負するんじゃなくて。今年でVGも35周年だから。

 

VGの35周年を記念して行われたHasunuma Tour ’22。

 

V: 35周年は大きな節目ですね。

K: 大瀧(浩史)も急に逝っちゃったじゃん。昔から知ってるわりにはお互い距離があったんだ。ところが急に「Advance Marketingが30周年でH-Streetの板を作ったからクロくんにあげたいらしい」って大瀧から電話がかかってきたんだ。それで世間話をしたんだけど、「大瀧はこのスケート業界じゃ神みたいな存在だから。オレをオリンピックに呼んでくれたらみんなで飲んだくれてブーイングしてやるぞ」って言ったら「オレもやる!」とか言ってたんだよ。それは普段の大瀧がオレに返すような言葉じゃなかったんだ。そしてその1週間後くらいに死んだんだよ…。なんかオレにメッセージを残したって気がしたね。本当はいろんな人が繋がって上手くやらないといけないんだろうけど、やっぱオレは毒の存在でいいのかなって。

V: VGは「伝説の…」って言われるじゃないですか。それについてはどう思ってますか?

K: 「伝説のショップ」とかよく書かれるね。「別に書きたければ書けば」って感じ。でもいつも「オレが死んでるみたいに言わねぇでくれ」って言うの。「伝説」って死んでから使う言葉だよ。「失礼だろ」ってわざと言うんだけど(笑)。全然どうでもいい。横文字で「リビングレジェンド」とか。なんじゃそりゃ。メタルのバンドの名前みたいじゃねぇか(笑)。

V: 数年前には今里さんが新代田でVGを復活させましたよね。

K: あれには本当に感謝してる。オレは飲んだくれてただけだけど。楽しかったよ。でも結局1年でよかったと思うよ。契約の更新をしないって決めた瞬間に新型コロナが起きたから。オレらにはまだ運があると思ったね。でもこれからの章があるとしても、それがBADであろうとGOODであろうと、オレには先のことを算段できないから。いいように転がっていこうとしか思ってないよね。

V: では最後にKUROさんにとってVGとは?

K: え〜…その質問、NHKっぽいな…。それよりVGの話がなかったら今頃何してたんだろうって考えるね。音楽やってるのか、それともパンクとかの音楽もなくて、たとえば普通に居酒屋やってるのかなとか。でもそれも後になって考えられるわけだから。今日こんなに酒飲みながら楽しく取材することを最終的に知った上で、もしも足が痛いからって取材をバックレてたら「オレは最低だ!」って思うわけじゃん。でもその逆パターンもあるわけ。「すみません、あの辺で写真撮ってそこらで話を聞きたいんですけど」ってマクドナルドに連れて行かれて、お茶飲まされながら相手がオレのことなんて何も知らなくて、「でも、それもしょうがねぇのかな」ってなって。その場合は「ああ…。足痛いってバックレりゃよかった…」って思うわけよ。そんなものですよ、人間って(笑)。

 

KURO
@kuro_violentgrind

神奈川県川崎市出身。1987年にレコードとスケートショップを融合させたViolent Grindをスタート。ハードコアパンクとスケートをクロスオーバーさせた東京ストリートシーンの重要人物。現在は実店舗ではなく、ブランドとしてViolent Grindを存続させている。

 

  • ゑ | Evisen Skateboards
  • VANTAN