Nike SB dojo | スケートパーク

'90年代初頭に一世風靡したNEW DEALが来年設立30年。当時の映像作品やギアの復刻させたスティーブ・ダグラスが当時を振り返る。DA DEAL IS BACK!
──STEVE DOUGLAS

2019.10.01

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Photos courtesy of Steve Douglas

VHSMAG(以下V): まずは出身地とスケートとの出会いから教えてください。

スティーブ・ダグラス(以下S): イギリス・サウスロンドン出身。'76年にスケートを始めてストリートやパークで滑っていた。Harrowというパークもその年にできてローカルになった。Toy Machineの『Welcome to Hell』のジャケットやTWSの表紙を飾ったマイク・フレイジャーのフロントブラントが撮影された有名なパーク。

V: アメリカ以外の出身にもかかわらずMadridが初スポンサーですよね。UKのシーンを飛び越えてアメリカのカンパニーにフックアップされた経緯は?

S: まず地元UKでU14のコンテストに出場した。そのクラスで優勝を重ねて、'83年にスウェーデンで開催されたU16のコンテストに出たらそれも優勝。それでMadridのスポンサーが決まった。当時は毎年スウェーデンのサマーキャンプに行く途中にアメリカから2名のプロがUKに寄っていたんだ。そこで築かれたコネクションによってUKのスケートシーンが活性化されたって感じだね。


V: スケートキャリアの転換期は?

S: 始めた頃にニーボーディングを覚えたこと以外だと、'86年のバンクーバー万博で開催されたワールドチャンピオンシップのバーチカルのコンテストで3位に輝いたことかな。

V: '80年代終わりにSchmitt Stixからプロに昇格してキャリアを重ねたわけですが、New Dealはどのようにスタートしたのですか?

S: Schmitt StixはVision傘下だったんだけど、オレたちはその中でも厄介者と思われていた。そんなときにトレードショーでNHSのボブ・デナイクが「辞めたければいつでもオレらが助けてやる」って言ってくれたんだ。うれしくてそれをポール・シュミットに伝えたら「そんなこと知ってる。スティーブ・ロッコも同じことを言ってた」って言うんだ。そうしてVision傘下のSchmitt Stixを辞めて自分のカンパニーを始めたいという思いが芽生えた。ちょうどその頃にクリス・ミラーがチームを抜けたんだ。それが決定打。アンディ・ハウエルと話して、ポールに新しいカンパニーを立ち上げようと伝えた。'90年の1月か2月にNSAのコンテストでポールに計画を打ち明けたんだ。ヤツがこっちに来てくれて本当によかった。ちなみにNew Dealとは昔にあったNew Deal Skatesというロンドンのスケートショップの名前が由来。

V: 当時はプロスケーターとして活動しながらNew Dealを運営していましたが苦労したことは?

S: 苦労なんてまったくなかった。忙しかったけど、仕事と感じたことは一度もなくて楽しくてしょうがなかった。やりたいことだったから全力で向き合っていたね。

New Dealに文字通り命を救われた

V: そして次第にプロを引退してNew Dealの運営に専念することになったんですよね。葛藤はありませんでしたか?

S: 葛藤はなかった。だって死んでもおかしくない交通事故に遭ってしまったからノーチョイス。でもNew Dealに文字通り命を救われたんだ。というのも車内いっぱいにデッキを積んでいて、それがクッションになって死なずに済んだんだ。ショップに持っていく途中の事故だった。病院に運ばれたんだけど医者は助からないと言っていたらしい。

V: ひどいですね…。ちなみにどんな事故だったのですか?

S: まあ、スケートキャリアが絶たれるくらいの事故だから。もう以前のようにスケートできなくなっていた。スケートは続けたけど他人の身体のような感覚だった。頭の中ではできているのに身体のバランスがついてこない。8年前まで週2〜3回は滑っていたんだけど、今度は足を折ってしまって18ヵ月のリハビリ。今はプッシュするくらい。

V: 当時はどのようにライダーを集めていたのですか?

S: 立ち上げ当時のチームはほぼSchmitt Stixと同じ。既存のライダーを育てることを優先した。そして各地から届くスポンサー・ミー・ビデオを観てフックアップしたり。アーマンド・バラハスもそのひとりだった。スキルだけじゃなく人間性も条件のひとつだったね。
 


 

V: New Dealのビデオは最初の3作をスティーブが手掛けていますよね。当時の映像制作のプロセスはどのような感じだったのですか?

S: かなり大変なプロセス。トリックを書いたメモを手で紙に記して、どんなパートにするか想像する。またそれを手書きで並べてパートの順番を決める。そしてトリックを順番に編集で繋げて見返し、それを頭の中で解剖してまた紙の上で作業する。そうやってようやく完成。イントロとクレジットはスタジオだったけど、その他すべての編集はポールの自宅で行っていた。

V: 『15 Minute Promo』。当時の裏話は?

S: ポールがフッテージのほとんどを撮影して、オレのフッテージは4年前の古いものだった。オレが編集している間にアンディとゴーム・ボバーグがアートワークを制作して、ポールは工場でデッキのシェイプを作っていた。魔法のような最高の時期だったと思う。
 


 

V: では『Useless Wooden Toys』は?

S: 何週間もかけた編集を終えてCASLの年末恒例の食事会に参加したら、団体のディレクターのソニヤ・カタラノが『Useless Wooden Toys』を紹介してくれたんだ。でも「ポールが完成させた」ってアナウンスしたんだ…。あれには落ち込んだね。
 


 

V: 『1281』というタイトルは『スタンド・バイ・ミー』が由来ですか? というのも劇中の町の人口が1,281名だったと思うのですが…。

S: いや、当時のオフィスの住所だね…。
 


 

V: なるほど(笑)。ではThe Odd Numbersについて聞かせてください。彼らの曲を聴くと当時のNew Dealの記憶が蘇ります。

S: 実は『15 Minute Promo』のBGMはAgent Orangeになるはずだったんだ。でも最後の最後でエージェントからポールに連絡が来て、新しいレーベルとの契約に差し支えが出るかもしれないから使用NGということになってしまった。もう完成間近だったから落ち込んだよ。デッキと一緒にスケートショップに卸す予定もあったし。金曜の午前にそのバッドニュースが届き、その日の午後にサンノゼに車で向かって親友のレイ・スティーヴンス(※Factionのメンバーで819 Productions代表)に相談することにした。するとThe Odd Numbersのデモテープを手渡してくれたんだ。その後はご存知の通り。それ以来、The Odd Numbersと親交が続いている。



V: New Dealのビデオ制作を他に任せて411VMを始めた頃の話を聞かせてください。

S: 当時のライダーだったジョシュ・フリードバーグがビジネス面でも関わりたいと言ってきたんだ。オレもビデオ制作をずっと続けられないと思っていた矢先のことだった。運営で忙しくなっていたし、ちょうど編集の手法がデジタルに移行した頃で機材の説明書を読むのも苦手だったこともあって…。ジョシュは勉強熱心なタイプだった。出張先のUKからよく進捗を確認していた。「ジョシュ、New Dealのビデオはどうだ?」って。するとヤツはこう言うんだ。「完了」。驚いたね。続けて「Underworld Elementの『Skypager』はどうだ? 」って。すると「もうすぐ完了」って(笑)。ヤツは最高だったね。そうしてNew Deal、Mad CircleやUnderworld ElementのPRのためにZineを作っていたんだけど、それについても話すことにしたんだ。当時はビデオのスクリーンショットを紙に掲載していた。ジョシュが言うには、その作業は時間がかかりすぎて頭を抱えているとのことだった。そこで紙ではなくビデオに移行しようと提案した。そのほうが簡単だったからね。さらには自社だけじゃなく他社の巻き込もうと。411VMはそうやって始まったんだ。

V: New Dealの時代の最良の思い出は?

S: 自由だったこと。同じ志を持った仲間と情熱を注げたこと。

V: '90年代はアメリカ人ではないヨーロッパの人たちがスケートインダストリーでビジネスを始めていたような気がします。ドン・ブラウン、ピエール・アンドレ、パー・ウェリンダー…スキン・フィリップスもTWSの編集長でしたし。スティーブの見解は?

S: アメリカという国が成功しているのは、良くも悪くもその地を訪れた人を迎え入れてきたからだと思う。昔はみんな命がけでアメリカに渡っていたわけだから。スケーターは他の人よりもアメリカに行きやすかったと思うけど、それでもすべてを捨てる覚悟が必要だった。後戻りするなんて考えていなかったからね。だからアメリカを目指した人は現地の人よりも覚悟が強かったということじゃないかな。

V: New Dealがブランド設立30周年を記念して復活しましたね。その経緯は?

S: これまでにも設立者3人それぞれに復活のオファーが何回も届いていたんだ。ポールと数回話したことがあったんだけど、ビデオのマスターも紛失しているし時間もないってことだった。マスターがなければ復活の話も無理だからね。でもインスタを通してマスターが見つかったことを知ったんだけど、ポールはこのタイミングではないと首を縦に振らなかった。そして30周年を機にもう一度連絡したんだ。「このタイミングを逃したら次はない」って。するとアンディと相談してくれってことになった。アンディは「新しい要素があるなら協力する」って言ってくれた。現在のNew Dealはふたつのラインがある。Dwindleを通した復刻、そして10月にローンチするNew Deal WTFという限定ライン。こうやって当時の時代を祝っている感じかな。

V: New Dealは時代によっていくつかフェーズがありましたよね。スティーブの思い入れが強い時代は?

S: 間違いなく'90年から'92年。でもライダーに関して言えばどの時代も最高だった。

V: 復刻アイテムもその時代のものばかりですよね。

S: ブランド設立30周年だし、オレがその時代のビデオを作ったんだから辻褄が合うだろ?

V: そうですね。チームも最高でしたし。当時はストリートスケートが急激に進化した時代でもありましたね。

S: その進化を実際に目撃できてよかったと思う。オレがアメリカに来たのが'85年。そしてマーク・ゴンザレスのようなスケーターと出会うことができた。ヤツにはいつも驚かせられたよ。そんなスケーターと親交を深めることができてよかった。

V: 復刻させるアイテムについて教えてください。

S: '90年から'92年の時代からセレクトされたデッキ。今後はどうするかまだわからないね。でも来年の夏にNew Deal WTFのラインからリリースされるアイテムはヤバいということだけ言っておこう。'90年から'92年の間にリリースされたビデオのリミックスが収録された限定DVDもリリースされる。DVDのリクエストが多いから作ることにしたんだ。ソクラテス・レアルを雇ってリミックスしてもらい、“Best of '90 to '92”を作ったんだ。その他ボーナスも入っている。気に入ってもらえると思う。

V: ではNew Dealがスケートコミュニティに与えた影響とは何だと思いますか?

S: スケートボードを知らない人間がスケートカンパニーや代理店を運営する時代の終焉。クリエイティビティ、そしてライダーと親しい関係を築いてカンパニーを運営するということ。

V: では今後の活動予定は?

S: New Dealの復活が現時点での一番のフォーカスだけど、スケート関連のビジネスをふたつUKで運営しているんだ。だからかなり忙しいけど、大好きなスケートだから最高だね。
 



 

Steve Douglas
@stevedouglascfc1
newdealskateboards.com

1967年生まれ、ロンドン出身。'80年代に活躍したバートスケーター。New Deal、Underworld Element、411VM、Destructoなどを立ち上げたことで知られ、GiantやDwindleといったディストリビューターの発足人でもある。現在はスケート関連の事業を運営しながらNew Dealの復刻に奔走中。

 

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