VANS - ROWAN PRO

BACK TO THE ROOTS
──第15回:DIY

2020.05.28

 パンクカルチャーからスケートボードに傾倒した自分は、これらふたつの根本には共通のDIY精神があると感じていました。DIY(Do It Yourself)とは第二次世界大戦後にナチス・ドイツ軍の空爆により破壊されたロンドンの街を自分たちの手で復興しようと始まった国民運動のスローガンとして生まれた言葉。その後ヨーロッパ全土に拡散しアメリカへと広がりました。アメリカは大戦の際、本土への戦災をほとんど受けなかったがためにDIYは復興という概念ではなく、週末レジャーや余暇のひとつとして広まったそうです。パンク発祥の地イギリスやヨーロッパのシーンにおけるDIY精神はこの説明で納得できますが、アメリカのスケートシーンにおけるそれの起源は前者と少し異なるのではないかと思い仮説を立ててみました。
 '70年代に始まったスケートブームは'80年代前半に突然終了。その悪影響に加え、設計上の安全性の問題も重なり、スケートパークは軒並み閉鎖されてしまいました。それまでシーンの花形だったバーチカルスケートはそのあおりを受け壊滅してしまいます。コアなスケーターは滑る場所を求めて自分たちでランプを作り始め、その多くは自宅バックヤードに設置されました。それによりバートスケーターたちの活動の場はバックヤードが中心に。スケートボードメーカーもコンテストを開催する場所がなかったため、バックヤードランプでコンテストを開催し、それがシーンの主流になりました。当時のコンテストは協会が運営するものとは違い愛好者が集まり運営するもの主流だったため、大会競技ではありましたが若者たちが集う自由な場所として大いに盛り上がっていました。結果、バックヤードコンテストがきっかけになりスケートボードシーンは再燃し復活に至ります。滑る場所を求めて自前のセクションを作っている人たちは以前からもちろんいましたが、この頃が契機となり「ない物は作る」「自分たちから行動するのが当たり前」というスケーターのDIY精神が根付いたのではないかと考えます。

 


P-NUTS BOWL
オーナーが手掛けたDIY建築のインドアコンクリートボウル。万人向けの設計ではありませんが、ニッチに向けた愛好者にはたまらなく価値のある場所。

 

 スケートとパンクのDIYには明確な共通点があります。インターネットの発達に伴い紙媒体が廃れていく両シーンの中で、Zineは今なお世界中で活発に発行されています。コピー機があればできてしまうZineは元々インターネットがない時代、専門メディアが少なかったため、共通の趣味に関する情報を収集、発信する媒体として生まれました。それはスケートもパンクも同じで、あのThrasherも創刊から数号はZineでした。
 1984年には世界中の55ものパンクバンドを集めたコンピレーションアルバム『P.E.A.C.E』が発売。このアルバムはMDCのデイブ・ディクターとMaximum Rock'n Roll(ワールドワイドに展開するパンクZine)の手によりインディーズレーベルからリリースされ世界中で流通されました。なぜインターネットがない時代にこのようなことが可能だったのでしょうか? スケーターもパンクも昔から世界中にコアな愛好者がいて、文通による独自のネットワークを持っている人たちが存在していたからです。彼らは手紙や物をトレードすることによる情報交換を行っていました。インターネットのようなスピード感はありませんでしたが、確実でコアな情報をやり取りすることができていたのではないかと思います。当時のZineには今でいうSNSのコミュニティの「文通を希望する人たちを繋ぐ掲示板」のようなページが掲載されていました。

 


CONFUSION MAGAZINE
世界中のDIY物件やアンダーグラウンドスケートシーンを扱うドイツ発のスケートマガジン。編集長のジョナサンはかつてSFを拠点に刊行されていたConcussion Magの編集も手掛けていました。スラッシュメタルのコンサート会場の外でZineを売り始めたのが彼のルーツ。

 


HACKMAG
Osaka DaggersのMeganeが手掛けるDIY Zine。フェルト表紙に中とじミシン(?)製本。丁寧な仕上がりで眺めているだけでも楽しい1冊。関西のDIYマスターであるShiga-Chang特集は内容も秀逸。Chopperこと中村泰一郎のインタビューも交え、自由を追求するパンクとスケートのいい側面を垣間見ることができます。

 

 パンクバンドたちはアナログ音源(レコードやカセット、安価なFlex ※別名ソノシート)で楽曲を発表し、スケーターたちはビデオを駆使してコミュニティの世界観を映像化しました。インデペンデントという言葉から派生したインディーズという言葉があります。
01. 大手(メジャー)に属さない独立性の高い状態である。
02. インディーズの共通項はメジャーに所属しないということだけで、実際には有名・無名が存在する。
03. インディーズはメジャーと異なる手段を追求することが多く、主にニッチを対象にしている…
という意味合いがあります。自分がインディーズのパンクを聴き始めた'83年頃は、アナログ音源とライブのふたつが音楽や情報を収集する一番の手段であり場所でした。ちなみにインディーズのライブ開催情報は今でもインターネットよりライブハウスなどで配布されるフライヤーの方が早いです。この今も昔も変わらない情報発信は実に特殊ですごい。インディーズレーベルを扱うレコードショップも情報収集の場として優れていました。ショップによってはアーティストやレーベルに近いスタンスを有効利用し、リリース情報等を掲載したニュースペーパーも定期的に発行していました。そして音源をリリースするレーベルもアイデアを振り絞ったプロモーション活動を行っていました。日本のパンク、ハードコアを主にリリースするADKというレーベルがありましたが、これは新作情報をオフィスの留守番電話で伝えるという手法を採用していました。電話回線はひとつのみだったので、電話が繋がりやすい夜間を狙って留守電インフォを聞いていたのが懐かしいです。インディーズはコアな情報をニッチに向けて発信していたので、当時は本当に必要な人だけが情報を得られる世界でした。そしてそれは現在も変わりません。

 


チャッカーズ『ダブチャッカ-ズ』
チャッカーズが今までに発表した曲のDub Mix集。インディーズレーベルのFade In Recordsより限定リリースされた7インチのアナログ、CDのボックスセット。妥協なしの音作りとレコーディング、企画内容はインディーズならでは。

 

 バンドが演奏したりスケーターが滑ったりするライブハウス、スケートパークは大切な活動拠点。これらの多くは個人経営というインデペンデント、DIYという共通点があります。経営側は日々の売り上げから施設を維持し、利益を出して生活していかなければなりません。たとえ営業ができなくても経費だけは捻出し継続していかなければなりません。好きという気持ちが原動力であっても経営を続けていくことは容易ではありません。ライブハウスやスケートパークはとんでもないセッションが繰り広げられる、シーンにとって欠かせない場所。今のご時世、大切な場所を守るためのサポートは最大限したいものです。
 アメリカの有名なDIYスケートパークであるバーンサイドは、小さなローカルたちのDIYから始まり、今では州から正式な許可を取り、訪れるスケーターたちからの募金だけで維持を続け、現在もパークを拡張しています。滑走はもちろん無料、プロテクターもしたい人だけがする。スケーターたちの運営による独立した自由な空間です。

 


BRIDGE
スケートショップ、インドアスケートパーク、油性シルクスクリーンプリント工房も併設した仙台のBRIDGE。スケートパークはスケートボードが本当に好きな人でなければ考案できないような、飽きのこない秀逸な設計です。

 


ANTS
岐阜のライブハウスantsにて行われたBarrier Kult “Horde II” 試写会。スケートボードにも理解があり、このようなイベントを開催させてくれる非常に貴重な場所。

 

 自分がスケートボードを始めた'80年代はパンクもスケーターもマイノリティだったので、自分の好きにやりたい人もメジャー指向の人もみんなDIYの手法を用いた活動が当たり前でした。現在はさまざまな技術や手法が発達、情報の入手方法も多岐にわたっているので、アイデアを駆使すれば大規模で展開をすることが可能ですし、アンダーグラウンドで活動することもできます。大手がインディーズの独自性を利用してアーティストやブランドを売り出すこともあります。実際にはDIYではなく、それ風に見せるだけなので厚みも重みもなく、作られた感は否めません。本当の意味でのDIYやインディーズこそが、何ものにも縛られず自由な発想で活動ができる唯一の方法なのです。

 


DIY POOL COPING
ドイツ在住のスケーター、プディが製作したプールコーピング。商品問い合わせのe-mailのやり取りから始まり、ある日突然送られてきたのがこの写真。

  • ELEMENT
  • NB Numeric: New Balance