僕は先日膝を怪我した。膝がばっこりずれて「オーマイガッ!」てな感じで痛いなんてもんじゃない。一瞬にして悟るワケです。「こりゃもーだめ」って。落ち込んだって悔やんだって痛いのも変わらないし、治りが早くなるワケでもないので、怪我ライフを満喫することにしよう。まあでも怪我ってたまには悪くない。ゆっくり休んで回復しすぎて前より良くなったりするかもしれない。それに怪我している間はなんと言っても注目される。話題に困ることがない。初対面であろうが、久しぶりに会った人であろうが、毎日顔を合わせている人であろうが、まず全員が必ず僕のギプスをした右足に目をやりこう言うだろう。
「あれ? どうしたの?」
ここから怪我をするまでの経緯や気持ちを話していると、あっと言う間に時間は経つ。昔なにかで聞いたことがある「怪我の話と病気の話は実は一番盛り上がる」。これは要するに同じ怪我や病気をした人同士は…ということなのだけど、痛かったことや辛かったことは共有できると果てしなく会話が続くのだった。膝靱帯に詳しい人や手術の経験がある人は自分のケースを細かく教えてくれた。おかげで外側靱帯、内側靱帯、前十字、後十字など膝靱帯の名称や、手術の方法が大きく3通りあることなど、かなりの知識が身に付いてしまった。自分より重傷な人の話を聞くと、自分の怪我が大したことないと思えるのも最高だ。この方法だと身体中のすべてを怪我すれば人体マスターになれるかもしれない。怪我は知識の源なり。
怪我をしたその後も生活はつねにギャグみたいなものだ。こないだ従兄弟の結婚式で親戚の家に泊まった時、おじいちゃんの仏壇にお線香をあげようと思ったが、膝が曲がらないので正座なんてできない。片膝をつき怪我した右足は立てて、まるで陸上選手のクラウチングスタートの様な格好で合唱して線香をあげる僕を見て従兄弟は大笑いしていた。どこぞの宗教に入ったのかというような姿だったようだ。きっと従兄弟は名簿を見るまでもなく、僕が結婚式に参加したことを何十年も覚えているだろう。人の記憶に残るってすばらすぃ~。これも怪我の恩恵。
また、とある日の出勤中、珍しく腹痛に襲われ新宿駅でトイレに駆け込んだ時のこと。もう崖っぷちの状態で頭の中では「ちょいちょいちょいちょーーいッ!」とか謎の奇声を発しながら駆け込んだトイレは和式。ズボンを下ろして気がついた。「しゃ、しゃがめない…」。とっさに左足は曲げて右足は伸ばしたままの、股関節を伸ばす準備体操のような体位で大量の汗をかきながらなんとかメイク。こんなにもエキサイティングな試合は初めての経験だった。またひとつ経験値がアップしたのと、すべらない話を手に入れた喜びを噛み締めながら会社に向かった。怪我最高。
そう言えば、約4年前に初めて娘が産まれる2週間前のこと。福島のパークで鎖骨を折っていたことを思い出した。運転するのがきつくて、ここVHSMAGのブロガーであり(更新しなさい)、MxMxMのライダーでもある元気に東京までの帰りの運転を全流ししてもらったんだっけ。その時母の友人で遠隔ヒーリングをできる人が、僕の状態をどこか遠くから見てくれたらしい。「息子さんはお嫁さんのこれからくる出産時の痛みを少し引き受けてあげたみたいね」と母は言われたらしい。確かにその時の出産はびっくりするほどすんなりと行った。「痛みもあまりなかった」と嫁は言っていた。あまりにも早く産まれそうということで、病院まで走っていったら鎖骨を手術した肩の傷口から血がぴゅっぴゅと吹き出して嫁の出産後に特別に僕の傷口も消毒してもらった。どういう偶然か今回膝を怪我した1ヵ月後がふたり目の娘の出産予定日だった。実は怪我をした瞬間、まず最初に「また引き受けちゃったか!?」という考えと「今回は走れないぞ」というふたつが頭に浮かんだ。そして1ヵ月後だった予定日は早まり、怪我から2週間後に娘は無事産まれた。病院まではバイクで向かった。
この「引き受けた」という考え方はどうなのか分からないが、事実としては怪我をしてスケートがまったくできないため家にいる時間が多く、結果的に産後の嫁をケアすることと、家族との時間に集中できたことは間違いない。スケート欲とは19年間つきあってきたので、結局のところ何事にも勝ってしまうのは十分に理解している。まともな身体だったら何としてでも滑りに出かけてしまうのはもう仕方ない。夫婦が協力しなくてはならない時期に「滑りにいってきま~す」というのはレベルが高く、家庭崩壊のきっかけにもなりかねない。怪我様のおかげでそんな危機が訪れることもなかったのだ。嗚呼怪我様ありがたやありがたや~。
ちなみに僕の娘の産まれたばかりの顔はほっぺたが落ちそうで、ヤンマガで連載していた4コマ漫画の『食べれません』に出てきそうな顔をしている。ふたりとも。