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40年に渡る渋谷のスケート文化の継承
──大瀧浩史メモリアルパーク

2020.03.11

 スケートパークについて書いた前回のコラムはさまざまな反響があり、お叱りも受けました。「日本のスケート環境が少しでも良くなってほしい」という想いで書いたのですが、振り返ってみるとかなり前のめりになってしまっておりました。自分の勝手な思い込みやリサーチ不足など配慮が足りず多くの方々にご迷惑をおかけしてしまいました。心よりお詫び申し上げます。この反省点を活かし、ビューワーのみなさんに有益な情報を発信できればと思っております。

 今回の件をきっかけに、渋谷に新しくできるMIYASHITA PARK実現へのストーリーを聞くことができましたので、今回はそちらをご紹介いたします。
 渋谷・宮下公園の再開発によって宮下パークがクローズ・取り壊しが行われたのが2017年。渋谷のストリートスケーターのマナーや騒音に対する近隣住民からの苦情が多かったため、そもそも新しい施設計画にスケートパークは含まれていなかったという。そんな状況を打開したのがT19の故・大瀧浩史。パーク建設への署名活動に加え、毎晩のように渋谷・明治通りに足を運びスケーターへ注意・啓蒙を行うなど、影で人知れず地道な活動を行い、不可能と思われていた再開発後のスケートパーク開園は現実味を帯びてきます。しかしその矢先に大瀧さんは惜しくも帰らぬ人に…。そんな中、故人の遺志を引き継いだ後輩たちが署名活動を継続、パーク建設へとこぎつけることができたそうです。
 40年に渡る渋谷のスケートヒストリーを紐解くと、1970年代後半のカリフォルニアスケートパーク(東急文化会館)、’80年代の代々木公園歩行者天国に美竹公園、2010年代の宮下公園スケートパークという歴史があり、この流れに新しく加わるのがMIYASHITA PARK。先輩たちから受け継いだカルチャーを、今の世代が次へとつなぐ大切な架け橋。大瀧浩史というパイオニアとその後継者たちの努力によって渋谷のど真ん中に作られたスケートパークは6月18日のオープン。
 MIYASHITA PARKの詳細や設計・建設にいたる苦難の物語はまた後日ご紹介させていただきます。

—TM




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