創刊30冊目となるSLIDER最新号はもうチェックしていただけましたでしょうか? 今号のメイン特集は“グラウンドゼロ”と題して、日本国内のスケートシーンの礎を築いた面々をフィーチャーしたわけですが、取材をした自分自身にとっても非常に勉強になる貴重な話をたくさん聞くことができました。
日本スケートシーンの新たな出発地点をマークした堀米雄斗。T19のファウンダーのひとりであり'80年代終わりをヴェニスビーチで過ごした大瀧浩史。'80年代から'90年代にかけてアメリカのコンテストに出場し日本人スケーター初のシグネチャーシューズをリリースした江川芳文。'80年代初めからスケートを撮り続けてきた樋貝吉郎。'90年代半ばから日本を代表する映像プロダクションとしてさまざまなスケーターをキャプチャーしてきたFESNの森田貴宏。そして、伝説のフォトグラファーとして知られる故・西岡 “DEVIL” 昌典(※西さんの記事はGSMの横井洋平さんのご協力と石原 繁さんの素晴らしい原稿で実現)。
これらの取材の中でも、特に勉強になったのがフォトグラファーの樋貝さんのインタビューでした。2015年に出版された自身の写真集『JUDO AIR』のページを1枚ずつめくりながら当時の話を聞かせていただいたのですが、あっという間に2時間半が経過。これまでに数え切れないほどのスケーターの取材をしてきましたが、おそらくこれがインタビューに要した時間の最長記録です。日本のスケートシーンで起きた出来事の貴重な話が出るわ出るわ……。当時のスケーター、スケートパークやスポットの話、渋谷の109付近で敢行されたバーチカルショーの話、さまざまな来日スケーターのデモの話。これまでに多くの人たちの活動があったからこそ、今日の日本のスケートシーンが存在するのだと改めて実感することができました。
樋貝さんのインタビューに出てきた話の中でも、動画とともにここでご紹介できるものが、1984年のトニー・ホークの来日。TV番組の収録のために来日したとのことですが、制作サイドの無茶振りにかなり翻弄されたようです。当時は17歳だったにも関わらず、『世界びっくりちびっこ大集合』という番組名に合うように勝手に14歳にされたり、ボトムなしの風変わりなバーチカルを滑らせて“モンキーバックドロップ”、“ムーンサルト”、“サタデートップスペシャル”など馬鹿げたトリック名を言わせたり…。スケートを知らない視聴者が楽しめるようにさまざまな演出をしたのでしょうが、トニー・ホークにとっては少々恥ずかしい体験となったようです。放送を見てみると、どこか笑顔が引きつっているようにも見えます。2020年の東京オリンピックが近づくにつれて、良くも悪くもこのようなTV番組が増えていくことでしょう…。
今号でご紹介した6名だけで日本のスケートシーンの黎明期すべてを語ることができないのは重々承知していますが、少しでもこれまでに日本のシーンを築いてきた人たちの話を知っていただければと思います。ちなみに、VHSMAGのGUEST TALKというインタビュー企画に初めて登場したのは、何を隠そうトニー・ホーク。こちらでも当時のTV収録の件について話しているので、SLIDER Vol. 30と併せてご覧ください。
--MK
1984年に放送されたTV番組。当時17歳のトニー・ホークが翻弄されていますw。
VHSMAG初のGUEST TALKはトニー・ホーク。