VANS - SKATE CLASSICS ANDREW REYNOLDS COLLECTION

NYCスケート黎明期からシーンを支えてきたOGスケーターのロドニー・スミス。これまでのキャリアの足跡を振り返りつつ、新たに始動したブランドALL ONEに迫る。
──RODNEY SMITH

2021.04.12

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Portrait_Ryan Zimmerman
Archive photos courtesy of Michael Cohen
Special thanks_ALL ONE

VHSMAG(以下V): まずスケートを始めたのは? '70年代後期だよね?

ロドニー・スミス(以下R): そう。'73年か'74年頃。8歳くらいだった。初めてスケートボードを見たのは、Sears and Roebuckっていう'60年代のメールオーダーのカタログだった。ページをめくると、安いソリッドパインの木製とか金属製のデッキ、ローラースケートのトラック、鉄製のウィールが載っているセクションがあったんだ。これはウレタン製のウィールがついたプラスチック製のスケートボードがオレたちの地域で流行る前の話。とりあえずやってみたいと思った。スケートボードを持ってる同世代の子供はいたけど…乗ることもなければオレに乗らせてもくれなかった。それで'74年の終わり頃に実家の裏庭を歩いていると、シャベルや芝刈り機に混じって物置の中に何か赤いものが見えたんだ。兄貴のスケートボードだった。簡単に言うと、兄貴からそれを譲り受けたってわけ。

V: ThrasherやTWSといったスケート誌の創刊前の話だね。

R: そうだね。オレはニュージャージーで育ったんだけど、'74年当時はスケートボードに関する情報がまったくなかった。スケートボードに乗っている人どころか、それをスケートボードと呼ぶことすら知らなかった。'60年代後半にSkateboarderのような雑誌があったのも知らなかった。カリフォルニアだけでなくアメリカ中の人がスケートボードに興味を示していたことも'74年まで知らなかった。そして'75年にSkateboarderが復活して、購読、サーフショップ、ホビーショップ、食料品店、一部のトイショップ、バイクショップ、ハードウェアストアなどで広く販売されるようになったんだ。

V: ではスケートコミュニティとの出会いは?

R: ある日、兄貴にもらったデッキで地元の小さな坂を上り下りしていると、どこからともなく金髪の年上の子供がスケートボードに乗って高速で下ってきたんだ。パワーカービンをしているんだけど、自分の目が信じられないほど速かった。一瞬の出来事だったからショックで立ち尽くしていたよ。するとオレが坂を下るよりも速くプッシュで上がってきてこう言ったんだ。「スケートボードは好きか?」「うん」と答えると彼は皮肉を込めて「それに乗れるのか?」って。デイビッド・サドラーっていうスケーターだった。お互い自己紹介するとデッキに飛び乗って去っていったのを覚えているよ。その奇跡的な日から1年半の間に彼とは3回ほどしか会ってない。でも会うたびに、デイビッドはオレがまだスケートをしていることに興奮して笑顔で拳を突き上げて褒めてくれたよ。次に会ったときには「自然に乗れるようになってる」って言ってくれた。彼はオレに可能性があると思ったんだろう。スケートボードについてもっと知りたいか聞いてきたんだ。そして母親の許可を得て2ブロック先の彼の自宅に行くと屋根裏部屋に案内された。階段を上がっていくと接着剤のような匂いがした。さらに上がってドアを開くと、そこにはサーフボード、スケートボード、ウエットスーツ、雑誌などがぎっしり…。驚きの連続だよ。その屋根裏部屋にはスケートボードやサーフィンのあり方を象徴するものすべてが詰まっていたんだ。スケート誌を手渡されて瞬きもせずにページをめくり続けた。どのページも当時のスケートボードを象徴するような内容で最高だった。さらに使い古しの新しいデッキもくれるっていうんだ。お金はないと伝えると「もしオマエがオレが出す課題に挑戦して成功したらタダであげる」って言ってくれた。その課題とはダウンヒルをボムしてタイトなカーブを左に曲がるというもの。結局2回のスラムを経て成功することができた。そうしてSimsのPure Juiceのロングボードを手に入れるだけじゃなく、クールなスケートの師匠であり友人ができたんだ。

 



V: '80年代にはSHUT SKATESをスタートしたよね。

R: SHUT SKATESは当時のインダストリーが抱えていた問題、つまり粗悪なデッキを仲間と一緒にどうにかするために始めたものだった。数週間かけて仲間たちと計画を練ったんだ。話し合った結果、これを成功させるためには本気で取り組まなければならないことが明らかになった。ブルーノ・ムッソ、オレ、そしてチームがSHUT SKATESをスケートカンパニーへと昇華させたんだ。このビジネスは本当に必要に迫られて実現させたものだった。オレたちはバートスケート用のデッキを製造するカンパニーからスポンサーされていた。でもそのデッキは当時の新進的なストリートスケートの激しさに耐えられなかった…だから自分たちで作ることにしたんだ。最初はAlphanumericやPhat Farmで知られるアリー・オワーカ・ムーアのブルックリン・ベッドスタイの家の屋上でバート用のデッキをリシェイプしていた。SHUT SKATESはNYC初のスケートカンパニー。他にも州内にカンパニーがあったとは思うけど、'70年代のトレンドの終わりとともにそのほとんどが消滅したはずだ。当時のNYCはスケートカンパニーにとって理想的な場所ではなかったけど、オレたちはどうにかそれを成し遂げたんだ。

V: '93年にはZoo Yorkを共同設立したよね。ブランドネームは'70年代のグラフィティ/スケートクルーであるThe Soul Artist of Zoo Yorkに由来しているんだよね。

R: The Soul Artist of Zoo Yorkはグラフィティとスケートボードが軸のクルーだった。そのなかでもアンディ・ケスラーとジェイミー・アフマードがリアルなスケーター。NYCではスケートボードとグラフィティは切っても切り離せない関係なんだ。Hip-HopやDJもこれらのサブカルチャーのなかで重要な役割を果たしていた。若者たちは電車や壁にタギングしていたけど、リアルなグラフィティアーティストは傑作を生み出していたよ。Soul Artist of Zoo Yorkというフレーズを作ったマーク・エドモンズ通称ALIは、他のアーティストたちと一緒に地域に根ざした活動にも従事していた。特に注目されたのはALIのZoo Yorkというzine。NYCで起きていることを政治や地域に関連した情報とともに掲載していたんだ。
 ある日、FuturaとALIが電車に描くためにトンネルに潜ったときに事件が起きたんだ。Futuraいわく、暗いトンネルの中に警察が入ってきたらしい。逮捕されないように逃げたんだけど、そのときに事故が起きてALIが怪我をしてしまったとのことだった。このようなトンネルでの活動は危険と隣合わせ。MTAの私有地に侵入して列車にボムする際に起きることはすべて自己責任。これはグラフィティだけでなく、プールを滑るために人の裏庭に侵入するスケーターたちにも当てはまることだ。結局、Futuraは無事に逃れたけどALIは重傷を負って入院。この事件の噂がNYC中に広まったよ。FuturaがALIを見捨てたってね。そうしてFuturaは自らの意思でNYCを離れて軍に入隊したんだ。とにかく彼らのレガシーをリスペクトするオレたちを信頼してくれたThe Soul Artist of Zoo Yorkに感謝してる。ALIの作ったzineはスミソニアン博物館に所蔵されている。Zoo Yorkは好む好まざるにかかわらず、NYCの歴史の1ページに刻まれているんだ。R.I.P. マーク・ALI・エドモンズ&アンディ・ケスラー。

V: Zoo Yorkの名前をスケートカンパニーに使う際に彼らと実際に話したの?

R: FuturaとSTASH IIがPhilly BluntsのグラフィックTeeで有名なGFS/Not From Concentrateを経て新しいプロジェクトを始めたんだ。STASH IIはSUBWAREを立ち上げたんだけど、新しいスペースが必要とのことでミートパッキング地区にあるZoo Yorkの倉庫を借りられないかと相談してきた。 オレたちはこれを承諾したよ。Zoo Yorkを始めるときにZephyrやHAZEと話をしたけど、FuturaがOKなら問題ないということだった。それでほぼみんなが賛成してくれたんだ。The Soul Artist of Zoo Yorkは会社でもなければ、商標で保護されたものでもなかった。クルーが解散してからあるレコード会社がZoo Yorkという名前の商標を何年も持っていたんだよ。だからそのレコード会社の商標権が消滅した後にオレたちが取得したんだ。オレたちの約束は、グラフィティ、クルーのレガシー、そしてNYCのスケートシーンを守り続けるというものだった。FuturaはThe Soul Artist of Zoo Yorkのナンバー2。彼の承諾とジェイミー・アフマードの協力を得られたことがすべてだった。
 ちなみに'93年にZoo Yorkの倉庫で運命的な出来事があったんだ。FuturaとALIが久しぶりに電話を通して再会したんだ。ALIがオレたちの倉庫に電話をかけてきて、Zoo Yorkのオーナーが誰なのかを聞き出そうとしたんだよ。その日にたまたまFuturaが倉庫にいたんだ。その電話を受けてFuturaはALIと再会し、Zoo Yorkというスケートカンパニーが何であるかを説明してくれた。そうしてALIからも承諾を得ることができた。そうなると、あとはアンディ・ケスラーの承諾を得ることができればすべて解決。というのもアンディは'99年か'00年頃まで納得していなかった。いずれにしても彼らのレガシーはスケートカンパニーという形で生き続けることになったんだよ。

個人の人生をよりポジティブに生きていくために、どのように成長するべきかというメッセージを掲げるムーブメント

V: では新しく始まったブランドALL ONEについて。ブランドのコンセプトは?

R: ALL ONEのコンセプトは、基本的に世界とそこに住む人々の状況。これはある意味、ALIがやろうとしていたこと。つまり明るい未来のために彼が求めた「他者への奉仕」を形にしようとするもの。人生に意識的になり、自分のためじゃなく他人のために生きるほうがいい結果をもたらすことができるというメッセージをALL ONEは伝えようとしている。ポジティブな心を持ち、いろんなことを意識することで他者に奉仕することができる。どうすれば人に影響を与え、自分自身の成長を追求すると同時に他者にもいい影響を与えることができるか。ALL ONEは、個人の人生をよりポジティブに生きていくために、どのように成長するべきかというメッセージを掲げるムーブメント。そしてこの地球上のすべての人とともに成長していくということ。すべての人の目標はこのコンセプトを反映したものであるべきで、自分自身と他者のためにもっと多くのことを望むべきだと考えている。人生経験を積むということは、ネガティブで苦難に満ちたものでなければならないのか? オレたちはそうは思わない。それを証明するためにALL ONEというブランドを推進しているんだよ。オレたちはスケートボードで肉体的にも精神的にも自由になれることを例に挙げている。オレたちが生まれながらにして持っている権利のようなもの、つまり個人は集合意識の一部であるというスケートコミュニティの共通認識について改めて考えるんだ。スケートボードに乗っているときは誰もが平等。頭を強打しても、その痛みを乗り越えてまた立ち上がることができる。これこそALL ONEが世界の人に伝えたいこと。それぞれの人生の可能性を示したいんだ。オレたちの使命は、あらゆるスタイルのスケートを通してスケーターだけでなくスケーターでない人にもメッセージを伝えること。ストリートのダウンヒルやランプのような過激なスケートに共感できない人にとってはフリースタイルがより魅力的に映ると思う。スケートカルチャーが世界に与えた影響は大きい。スケートボードはスケートをしない人たちには理解しがたいものだけど、もしかしたらALL ONEがそのような人たちを目覚めさせることができるかもしれない。オレたちが生きている世界のシステムは全員で維持する必要があることを伝え、より大きな潜在的な結果や成果を達成するためにこれまでと違った方法で物事を行わなければならない。これがオレたちの責任であり、精神的にも肉体的にも言えることだ。常識的に考えれば、正しいことをして、可能な限り最高の結果を求めて努力するのが当たり前。これは決して変わることはないけど…今の世の中がそうなってるとは思えない。

V: チームには山本 勇というフリースタイラーが所属してるよね。他の所属ライダーは?

R: 勇は新しい世代の思考を持っているからオレたちの目的にぴったりなんだ。ALL ONEのフリースタイルのプロチームは、山本 勇とカイル・ハミルトン。ストリートのプロチームにはルイス・トレンティーノとパット・ホブリン。ほかに新進気鋭のストリートスケーターもいる。勇とカイルはタイトなスケートスタイルの持ち主でありながら、違ったタイプのクリエイティビティで独自の立ち位置を確立している。ルイスはオールラウンドな素晴らしいスケーターで、パットはテラインに応じてクリエイティビティを発揮できるボードコントロールの持ち主。彼らはスケート以外の日々の生活の中でもALL ONEのムーブメントを実践している。すべてにおいてポジティブであり、健康への意識と細部への責任感から他者への奉仕を行っている。ALL ONEを代表するのに彼ら以上のスケーターはいないと思っている。それでも…彼らのようにALL ONEを代表できると思う人には門戸を開いている。人がエゴに溺れてしまうと、本当に重要なことを忘れてしまうことがある。精神の健康は、個人と世界全体の現実との間で葛藤することになる。たとえば、エネルギー的に良くない食べ物を頻繁に食べていると、栄養価の低い食べ物を食べているという結果になってしまう。スケーターは身体を健康に保つことでスケートを長年続けられる。オレは何年もずっと「スケートの前後にはストレッチをしろ」と言ってきた。スケーターの中にはヨガ教室に通ったり家で実践したりしている人もいる。昔はヨガやストレッチをするのはクールじゃなかったんだけどね。

V: サルバもプールを滑る前にヨガをやってるもんね。

R: スティーブ・アルバは独立心の強い人間だと思う。彼は周りに何を言われても気にしないんだ。きっと健康のため、そして50歳を超えてもプールを滑り続けるためにやっているんだと思う。ジェイミー・アフマードとサルバは旧知の仲だ。Puppet Headことジェイミーは毎日良質な食事をとり、精神的にも肉体的にも健康を維持している。スケートボードに限らず、人生に制限があってはならない。特に個人の自由がこの地球上で行うあらゆることに関係している場合はなおさらだ。スケートボードはイベントに限定されるべきではないし、金や名声に左右されるべきでもない。スケートボードを通して、自分の中でどれだけ意識が拡大しているか、地球上の人間として、そして宇宙に向かっているかでカテゴライズされるべきなんだ。オレたちは無限に広がる宇宙の一部。もっと広い視野をもたなければならない。長期的に生存するためには今のやり方ではダメだ。どうにかしなければならない。この先どうするかはキミ次第だ。

V: なるほど。

R: 人類がこの地球上に存在する理由は、少なくともお互いを助け合うためだと信じている。オレたち全員、そして特にオレ自身が、適切で真摯なガイダンスを必要としている。今の時代、これまで以上に分断しながらこの地球上で暮らすことはできない。オレはメンターたちによって多くを教わり考える機会を与えられた。オレの存在意義は、スケーターにもそうでない人にも独自の視点でスケートカルチャーの真実を伝えることだと言われたこともある。誰もひとりですべてを行うことはできないし、誰もひとりで大きなことを成し遂げたことはないと断言できる。これは事実だ。他を批判することなく自分のできる範囲で良いことをすれば、それが自分のためにもなる。人間がかけがえのない地球に何をしてきたか考えるべきだ。オゾン層についての議論は毎日行われ、誰もが耳にしなければならないはずだ。チェルノブイリや福島など、人災である核災害が地球を破壊し、植物、動物、人間に死をもたらしていることについても誰も話し合っていない。毎年、広島と長崎を追悼する日がやってくるけど、罪のない魂を失い、誰かを犠牲にして地球を無意味に破壊したことについて考えているのは日本人だけだじゃないか。これは毎日、世界中でさまざまな形で起きていることであり、止めなければならない。ALL ONEは、無意味な残虐行為に反対する人たちを積極的にサポートしたいと考えているんだ。

 

Rodney Smith
@all_one_rodney_smith

ニュージャージー出身。SHUTやZoo Yorkの共同設立者で、'80年代からNYCのスケートシーンの活性化に尽力し続けている。現在は壮大なコンセプトを掲げるブランドALL ONEを運営中。

 

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