VANS × SHAKE JUNT - KYLE WALKER PRO 2

スケーターなら誰もが夢見るシグネチャーデッキとシューズをリリースした2020年上半期。湘南で育まれた自由な感性で飛躍する三本木 心が成功の秘訣を語る。
──SHIN SANBONGI

2020.08.12

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photos_Junpei Ishikawa
Archive photos courtesy of Shin Sanbongi & Kukunochi
Special thanks_Kukunochi

VHSMAG(以下V): 湘南の茅ヶ崎で生まれ育ったんだよね?

三本木 心(以下S): よく誤解されるんですけど、生まれは東京の吉祥寺なんです。でも物心がつく前に引っ越してきたので茅ヶ崎が地元ですね。

V: 地元に対する愛着が強い印象を受けるけど、茅ヶ崎の魅力は?

S: スケートやサーフィンというカルチャーが上の世代から根付いてるところですね。小学生の頃はサッカーをしてたんですけど、親父が少しスケートしてたんでたまに一緒にスケートパークに行ってました。それが自分にとって初めてのスケートでした。

V: 親父さんはサーファーなんだよね?

S: そうです。サーフィンがメインでスケートもやる感じ。スケーターではないですけど。

V: 「サッカーじゃなくてスケートだ!」って思った瞬間は覚えてる?

S: 覚えてますね。中学校2年生のときにサッカーのクラブチームの遠征でバルセロナに行ったんです。そのときにホームステイしてる子がサッカーやりながらスケートやってて。街を歩いててもスケーターを見かけることが多くて、それが衝撃だったんです。それで帰国したらサッカー熱が冷めて、地元に根付いたスケートやサーフィンのカルチャーに興味が向きました。あと地元には同級生とか同世代に世界を視野に入れて活動してるプロサーファーもすごく多いんです。そういう活動を身近で見ながらスケートで頑張ってみようかなと思いました。

V: 本当に土地柄だね。その頃はどんな感じでスケートしてたの?

S: がっつり始めた頃はトランジションが好きだったので鵠沼のスケートパークに行くことが多かったです。ミニランプを滑りに行ったり。当時は学校の友達のサーファーと一緒に滑ることが多かったです。湘南はCHATTY CHATTYとか上の世代でシーンがすでに盛り上がってましたね。そういう意味では戸枝義明くんとか中島壮一朗くんとか世界を知ってるスケーターが身近にいて、何気なくアドバイスをしてくれたことが自分の頭の中に残ってる感じがします。若い頃にそういう影響を受けることができたのはでかいと思います。

V: 初めてのスポンサーは?

S: 茅ヶ崎のR Surfっていうショップです。それ以外だと茅ヶ崎のサーフスケーターの人たちがやってたZenっていうローカルブランド。

「ここじゃん」ってピンと来て。自分にハマりそうだと思った

V: やっぱりサーフィンとの繋がりが強いんだね。Polarに加入したのは?

S: Polarのデッキを乗るまでは自分に合うブランドをずっと探してたんです。それでPolarのプロモビデオを観たときに自分の中で「ここじゃん」ってピンと来て。自分にハマりそうだと思ったんですよね。それで日本で展開してる代理店を調べたらKukunochiでやることになったって知って。その時点でKukunochiからいろいろ他のデッキをもらってたんです。Interstyleでミニランプの大会があったときにKukunochiのウルくんが声をかけてくれてたんで。それで自分からPolarに乗りたいって話してフロウからスタートしました。

V: フロウからスタートして、本国のチームに迎え入れられるにはそれなりの段階を踏まなければならないよね。

S: そうですね。まずウルくんとポンタスに挨拶しにスウェーデンのマルメに行ったんです。そこで一緒にスケートをしたりしたんですけど、そのときは挨拶して顔を合わせたくらい。それでまた翌年にひとりでマルメに行ったんですけど、そのときにちょうどパリツアーが予定されてて。しかもマルメに行くギリギリまで行くって知らせてなかったから自分はパリまでのフライトがなかったんですよ。そしたらヤルテ・ハルバーグが怪我をしててパリに行けないから彼のフライトを譲ってもらえることになって。それでPolarで10日間のパリツアーに行けました。こんなチャンスはないってことで自分のスケートを全力で表現したっていうか、見せたっていうか。チームメイトと顔を合わせて、同じ屋根の下で泊まって飯食って。そこで少しは自分のことを知ってもらえたと思います。それで自分にはここが合ってるって再確認できました。

 


 

V: ひとりで動いて、運を味方につけて、結果を残して。最高の流れだね。

S: その翌年には向こうから声をかけてくれて、今度はスケートキャンプみたいなツアーに参加したんです。そこでオフィシャルでアマチームに加入することが決まりました。

V: そのときのシチュエーションはどんな感じだったの?

S: ポンタスに直接言われました。夜にキャンプファイヤーをチームで囲みながら話してるときにチームメイトが「もう心、チーム入っていいでしょ」みたいな感じで言い始めて。そのとき自分は敢えて何も言わなかったんですけど(笑)。ちょうどNYからアンドリュー・ウィルソンもツアーに参加してたんですけど、ポンタスが「そうだな、心とアンドリューをアマとしてチームに入れよう」って言ってくれたんです。そこから正式にチームに加わることになりました。めちゃくちゃうれしかったですね。「キター! ライダーになれた!」みたいな。

V: 前に他のブランドで本国チームと一緒に動いたときに自分もアテンドでツアーに同行したことがあったけど、傍から見てて「いいタイミングで突っ込むな〜」って思ってたのね。しかも確実に結果を残して。Polarのツアーでもそういう動きをしてたんだろうね。

S: ただスケートしてるだけなのはイヤなんですよね。サポートされて、それを背負って、何を返せるか。それを考えたときに、本国チームと一緒に滑れるチャンスが一番大切なんです。それを通して、ブランドのオーナーに認められる以前にまずチームメイトと仲良くなること。その中で自分のスケートをしっかり表現することが大切なんです。やるべきときにしっかりやるっていう。

V: マジでそう思う。ちなみにポンタスはかなりストイックな人だよね。彼との時間で印象的な出来事は?

S: 初めてウルくんとマルメに会いに行ったときは、ポンタスが線路沿いに作ったDIYスポットのTBSで待ち合わせしたんです。そのときは待ち合わせの前にウルくんと街で撮影してて遅刻しちゃって。そしたら思い切り怒ってて。「嫌われちゃったかも」って思ったけど大丈夫でした(笑)。でも基本的にストイックな人ですね。作品作りにしても、映像撮るにしても、絵を描くにしても。妥協なし。人がどう思うかはまったく気にしてなくて、自分の表現を大切にしてる感じです。だからビデオを作るときも、ライダーそれぞれの良さを表現しようとしてくれます。

V: 2018年にはPolarからフルレングス『We Blew It At Some Point』がリリースされたよね。あの作品に収録されたメセナでのBsノーズブラントが世界中で話題になったけど、あのときはどんな感じだったの?

S: まず自分の得意なBsノーズブラントを日本のスポットで表現したいと思ったんですよ。それでどこでやるかって考えたときにメセナに決まって。20発くらいトライしたかな。ノーズブラントをかけるところまでは行くんですけど、クセが強いスポットだからノーズがスライドして落ちちゃうんですよ。それで今まで滑ってきたすべてのトランジションスポットをすべて思い出しながら、乗りに行けるテンポだけに集中するようにして。それで乗りに行ったらメイクできましたね。あれは今までで一番自分を表現できたフッテージだったと思います。
 

 

V: 最近はadidas Skateboardingでの活躍も目覚ましいよね。どうやってチームに加入したの?

S: Polarでスウェーデンにいたときにポンタスの行きつけのバーで一緒に何人かで飲んでたんですよ。それでふとポンタスとふたりになったタイミングで「そういえばadidasから声がかかってるぞ。グローバルからの話だから考えてみな」って言われて。それで帰国して一度考えたんですけど、素直に履きたいと思ったんでそこからですね。たしか2017年だったと思います。

V: いきなりグローバルからだったんだ。そのタイミングでジャパンチームの『Splits』が出たんだったね。

S: そうですね。みんなちょうどあの作品の撮影をしてて自分も数カットだけ出ました。
 

 

V: 昨年はQuartersnacksのRemixとかOJ Wheelsのクリップとか海外ネタが多かったけど「海外から注目されるようになった」と感じる瞬間は?

S: やっぱり『We Blew It At Some Point』が出た後くらいからですね。あれから世界の人たちが「Shin Sanbongiって誰だ?」ってなったんだと思います。当時はあの作品に出ることしか考えてなかったですから。Polarのフロウになった頃はウルくんと撮ったVXの映像を10カットとか送ったんですよ。でもポンタスはまだ自分のことを知らないし、そのときに出した『I like it here inside my mind, don’t wake me this time.』でまったく使ってくれなくて。でもそれで逆にすごく出たくなりました。だから『We Blew It At Some Point』に出れたのが一番でかかったと思います。
 


 

V: なるほどね。そうやって精力的に動いただけあって今年はハンパないことになってるよね。まずadidas Skateboardingからシグネチャーカラーウェイのリリース。

S: まずシューズを出せるなんて思ってなかったですね。ジャパンチームのTMのローレンス(・キーフ)から電話があったんです。「シン、オメデトウ。シグネチャーカラーウェイ、ダセルヨ」みたいな。

V: 今ちょっとモノマネしたね(笑)。

S: そう、ローレンスから片言の日本語で電話が来て(笑)。「ヤバイネ!」みたいな感じでいきなり話が来ました。でもイメージはしてたんです。いずれadidasから自分の名前が入ったシューズを出したいって。ウィールもデッキもそうですけど。そしたらたまたまデッキよりシューズが先に来たっていう。普通は逆なんですけどね。最初はCampusをベースにしようと思ったんですけど、結局ブランド的にイチオシのMatchbreak Superになりました。このモデルをベースに何でも好きに決めていいってことになって。それで「日本から世界に」って意味で、少し色を濁らせたんですけど白赤の日の丸でイメージしました。

V: 自分の名前がシューズに入ってるってどんな感じ?

S: 最初はそこまで実感なかったんですけど、周りの友達のスケーターが履いて滑ってるのを見て「あ…自分のシューズを履いてくれてる」みたいな。そこで実感しました。素直にうれしいですね。

 

 

V: プロモビデオに関しては?

S: 撮影ツアーでいろんな場所に行ったんですよ。LAから始まって、NY、フィリー、デトロイト、パリ、台湾っていう流れで。それで“SHIN”ができた感じです。そのツアーで一緒に滑りたいスケーターを聞かれて、Polarとadidasのチームメイトでスウェーデン人のフィリップ・アルムクイストとGirlのアマのニールス・ベネットがツアーに同行することになって。そして終盤のパリでサイラス・バクスターニールとデニス・ブセニッツが後押ししてくれました。うれしかったですね。自分がスケートを始めた頃にビデオで観てた大好きなスケーターたちが自分と目線を合わせてくれて。「お前のツアーなんだから、お前が行きたいところに行こうぜ」って感じでパリと台湾を回りました。サイラスは台湾に来れなかったんですけど。大好きなスケーターと滑る時間は印象的でした。生で見て滑りのヤバさが体感できたし。スケートでちゃんと食べてる人たちと同じチームで時間を過ごせることはなかなかないし。全力でスケートを楽しみながらやりました。
 

 

V: さらにその数ヵ月後にPolarのプロ昇格のニュースがアナウンスされたんだよね。

S: きっかけは昨年の年末だったんですよね。Boardkillの表紙に載ったんですけど、それを見たポンタスからDMで「このカバーはヤバい。これからお前のプロモデルを作る」ってメッセージが来ました。そこからどんなデッキにするか進めていきました。Polarはすでにいろんなシェイプを出してるんですけど、ちょうどポンタスも新しいシェイプを作りたいっていうタイミングだったんです。そこで「心はサーフスタイルだからサーフボードみたいなデッキを作ろうか」って感じで始まりました。それで自分好みのシェイプを出せることになりました。グラフィックに関しては向こうが自分をイメージして描いてくれたものです。最初はデザインの右下に海外の人がイメージする漢字みたいな文字が書いてあって「これは何て読むんだ?」って聞かれたんですけど、日本語でも何でもないからまったく読めなくて。それで「自由」っていう文字に替えてもらって、自分のサインを入れました。

V: 「自由」の文字は三本木 心のスケートスタイルそのものを表現してるね。

S: そうですね。スケートにはルールがないじゃないですか。そういうところが好きで何を表現してもいいし。だから「自由に楽しめばいい」ってことでこの言葉を入れました。

 

 

V: ちなみにPolarの新しいプロモデルもリリースされたばかりだね。今回のボードグラフィックは誰が担当したの?

S: 今回は自分のスケートスタイルに合わせて波の上をサーフィンしているようなイメージの絵を野坂稔和さんに描いていただきました。シェイプも新しいSide Cuts、あとArigatoというシェイプのモデルもあります。

 


 

V: シグネチャーカラーウェイにプロモデル。最高の上半期だね。ある意味ここからが本当のスタートだと思うけど、今後の展望は?

S: 今は次のPolarのプロモビデオの撮影を進めてます。やっとプロとしてのスタートラインに立てたんで、よりスケートと向き合って、滑る意味を考えながらそれを形にしていきたいです。映像や写真を残して、呼ばれたデモで人を沸かせて。そうやって自分のスタイルを表現していけたらと思います。

 

Shin Sanbongi
@shin_sanbongi

1992年生まれ、神奈川県茅ヶ崎在住。フロウあふれるスタイルを誇るオールラウンダー。adidas SkateboardingからカラーウェイをリリースしたPolarのルーキープロ。

 

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