Nike SB dojo | スケートパーク

帰ってきた、弟子コラム
──第28回:ファジーネーブル

2019.07.08

 「今すぐ防衛医大病院に行ってもらいます」。
 20歳くらいの頃、当時住んでいたイルマティック入間(埼玉)にある小さな病院でそう言われた。数日熱が下がらずその病院に3回行き、「だから風邪ですよ!!」と強く言われた。ただ「でも、風邪だけでこんなになるんですか?」と僕は先生に向けて自分のおでこを指で押し、5mmほどプクっと凹む様子を見せた。顔がパンパンに浮腫んでいたのだ。先生は目の色を変え「血液検査と尿検査をしてもらいます」と言った。そして僕はとある病気と診断され、大きな病院に移り1ヵ月ほど入院することになったのだ。
 僕は幼い頃からアイスクリームが大好きだった。たしか小5くらいの頃、明治エッセルスーパーカップが発売となりそれにドハマりした。「すげ〜! 新幹線の中でしか売ってない高級アイスと同じ味だ! これは大ヒット商品になる」と純粋無垢で野球に夢中だったデシ少年はそう確信し、友達にも勧めまくった。その他、あずきバー、ブラック、板チョコアイス、ガツンとミカン、サクレ、白熊などなど、数多くのアイス(コンビニアイス)をこよなく愛していた。スケーターとコンビニに行くと「デシ、最近オススメのアイスある?」なんてよく聞かれ、その人から今どんな気分か、喉の渇き具合、お腹の満腹度、その日の気温などいろいろ考慮し、今一番適したアイスを真剣に選んであげていた。もうかなり昔のことが、Satoriからシグネチャーモデルを出させてもらったときのデザインは、あずきバーをモチーフにしたものだった。

 そんなアイス好きの自分ということもあり、病気になったとき周りからは「おまえアイス食い過ぎだからだろ」と冗談でよく言われた。そして先生からは「もう激しい運動は控えた方がいいですね、スケートボードもあまりしない方がいいかもしれません」と。その頃は雑誌やビデオにも出演する機会が増えていた時期で、自分としてはスケート意欲のボルテージが上がりまくり。さすがに堪えた。しばらく気持ちも病んでしまった。ただ「まあ、死んでもそれは運命だ。思う存分スケートして後悔ないようにしよう」と吹っ切り、病気になる前以上にスケートに明け暮れた。今思うとかなり無謀で親もだいぶ心配しただろう。幸いにも今に至るまで病気は再発しておらず、病院に行くこともなくなった。
 病気になってから1、2年経ったある日、僕はとあるスケートのイベントに呼ばれた。そこである男性が声をかけてくれた。「デシくんですよね? いつも雑誌見てます」。「オレも知らない人から声かけられるようになったなぁ」なんて軽く有頂天になり、その人と雑談などで盛り上がった。が、いきなり最後に「ところでデシくんて、ちょっと聞きづらいんだけど、1日にアイス食いまくって死にかけたっ本当?」 いきなりの問いに僕は戸惑い「あっ、病気になったことですかね? あ、いや別に死にかけてもないですし、アイスが原因かどうかは…そもそもアイスの致死量ってどれくらいですか?」と苦笑いした。

 それと同時期に、知り合いのガールスケーターからいきなりメールがきた。「デシくん結婚したらしいね、おめでとう!」 僕はさっぱりわからなかった。なんせその頃の僕は数年彼女もいなく、毎週クラブ通いし、ダンスホールを縦横無尽に駆け巡りナンパしまくるも、まったく成果を出せていない日々を過ごしていたから。大勢の女子たちにひたすら酒だけ奢るという、なんとも切ない男だったのだ。声をかけた女子にカクテルを渡すも「ありがとう、お互いに楽しもうね!」と最高の作り笑みを見せられ、人を掻き分けながらそそくさとダンスホールにフェードアウトされる。ジントニック、カシスオレンジ、ファジーネーブル、カルーアミルクなどなど、何杯頼んだことか。てなこともあり「なんで、こんなよくわからない噂になるんだ?」と不思議でたまらなかった。
 何がどうなってそんな噂になったのかわからないが、僕はそれ以来、ちゃんとした確信がもてる話以外は人の噂話を話半分に聞くことにしている。もちろんスケーターのウケるゴシップなどは遠慮なく笑わせてもらうけど。

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