VANS - SKATE CLASSICS ANDREW REYNOLDS COLLECTION

大田区を支えて17年
──5050

2020.11.30

今年の春にオープンが予定されていた大田区・糀谷駅高架下のスケートパークは近隣住民との兼ね合いもありお預け状態。セクションのデザインを手掛けたのは、同パークに併設する形で営業中のスケートショップ5050の店主であるカレーこと冨田 誠。大田区のスケートシーンを長年支えてきた5050の軌跡とパークのオープンにかけた思いを語ってもらった。

--MK

 

VHSMAG(以下V) まずはショップを始める前の話から聞きたいんですけど、最初は代理店で働いていたんですよね?

冨田 誠(以下T) そうです。自分は13歳の頃に地元の大森でスケートを始めたんだけど、当時は原宿まで行かないとショップがなかったんです。だから20歳くらいの頃からスケートショップを地元でやりたかった。それで当時サポートしてもらっていた地元のTHE SURFの繫がりで店長にカツ(秋山勝利)さんを紹介してもらって。それで「お店がやりたければギアを触って、覚えて、商品がどれくらい動いてどういうものが売れるのか勉強すればいいじゃないか」って言ってくたんです。それでRootsのライダーをさせてもらいながら、少しだけBe'-In Worksの仕事を手伝わせてもらいました。当時は(小林)幹夫、(上田)豪、(小川)元とか望月大輔とかが在籍していましたね。だから代理店からショップに移った感じです。

V そして2003年に念願のショップをオープンしたわけですよね。5050っていう名前について聞かせてください。

T 「伸るか反るか」や「一か八か」っていう意味だったり「男女」もそうだし「半分半分」とか分け隔てを感じさせるもの…。なんていうか5050って「全部」を示している気がするんですよね。勝手にコンプリートされたものという気がしています。また5050は基本のトリックでそこから発展して行くものだと思うので、みんなのスケートライフのベーシックな存在でありたいなという思いも込められています。2003年にオープンしたときはトリマーの奥さんと職場を共有していたから、スケートショップと犬用品のお店が合体した感じで人が集えるようにカフェもやっていたんです。酒もお茶も飲めてスケートも買える。みんなが集まれるのいいじゃない? そういうのが好きで。でもこのとき激しくやりすぎちゃって倒産しちゃったんですけどね。それで小さいスペースで再オープンしたら立ち退きに遭っちゃって。おかげで移転先が少し大きくなりましたけど(笑)。そのあとのロケーションが今の糀谷駅前になったわけです。


V スケートパークのオープンに合わせて今のロケーションに移転したんですよね。ちなみにカレーさんがパークを設計したって聞きました。

T はい、パークのオープンに合わせて17年間営んできた大森を離れてこちらに引っ越してきました。パークにはストリートコース、バーチカル、ミニランプが設置されています。レベルに応じてオールマイティなスタイルや人たちに適応できるように考えて作りました。そして電鉄の高架下という限られた敷地や条件のなか、施工を担当したMBMの木村さんや職人さん、絡んでいただいている本間さんらのチェックやご意見も頂戴しつつ進めてきました。キッズや女性、おじさんや初心者でも楽しめるようになっています。たとえばレッジやレールは低めに設定しているので、上級者が自身のレベルに合わせて練習してネクストレベルを目指すことができるように設計しました。また小学校がすぐ脇にあるということもあって、スケーターが鍛錬していたり、ダイナミックに飛んでいたりするところをスケーター以外の人たちに見てほしいという願いをこめて壁の大半を透明のアクリルにしています。



V 現在はパークのオープンが延期になってますが、今はどういう状況なんですか?

T みなさんにはお待たせして恐縮です。オープニングとプロモ動画の撮影を行った際に京急さんより通達が出てしまいました。この施設から何デシベルの音が出るのか騒音測定をしたのですが、その際に近隣住民から苦情が寄せられてしまって…。騒音が当初の予定値を越えてしまったとこともあって、現在は遮音性の高い素材を検討するなどいろいろ見直しが必要になっている状況です。近隣住民と調整をしつつ、どのような対策をすればみなさんに納得してもらいオープンできるのか、引き続き京急さん関係各所と検討を重ねて行きたいと思います。

V なるほど、そういう状況なんですね。ちなみにカレーさんにとってスケートショップの魅力って何ですか?

T スケートとスケーターが好きで、接するのが100%スケートとスケーターだったらこの上ないですよね。お金にならなかったり大変なこともいろいろありますけど…。社会の歯車になって生活すればそういう不安も軽減されるのかもしれないけど、好きなことと100%トゥギャザーして毎日過ごせるなんて最高です。あとはスケートショップは基本的に小売業ですけど、自分はそう思ってなくて。仕入れたものをただ右から左に流すんじゃないというか。スケートには可能性と夢が詰まってるから。シーンとしての楽しみもあるし、土地柄の特色にも触れることができる。そういうものを一挙に体験できるのがスケートショップの魅力だと思います。あとはスケートスポットとか情報交換もできるし。

V 大田区のスケートシーンはどんな感じですか?

T この地域について一番知ってほしいことは、大田区のスケーターが大田フェスタっていう区民祭に2000年から参加してるってこと。これはスケートパークを城南島に作ろうっていう活動の一環でした。城南島のパークは2005年にできたんですけど、1997年に署名活動を始めたときから大田区のスケーターは団結してるんです。当時は今みたいにおじさんスケーターがいなかった。特に'90年代は行政にスケボーの説明からしなければならかった。説明しても行政は理解できなかったから、実際に見せるのが一番だと思って大田フェスタに参加することになったんです。毎年2日間で3〜40万人の来場者があるんですけど、そこでスケートを見せれば理解が得られるんじゃないか。それが始まりだったんですよね。OTSC(大田スケートクルー)や力を注いでくれる城南島父母会や地域のみんなで設営して、会場を整えて、キッズからおじさんまでスケートを楽しむ活動を20年間しているんです。だから当時から大田区のスケーターにはそういう意識が根付いています。そうして東京都が初めてパークを作ることになったんですけど、そこで申請者の代表だった自分がスクールを任されるようになって。それでスクールを2005年からやっています。大田区のシーンにはそういう長い歴史があるんです。こういうことはひとりじゃできないから。みんなの理解と協力があってこそ。だから5050は地域のみんなと団結し、一緒に活動し、支えられてやってこれた感じかな。店と客以上の関係を築けていると思います。

V 今でこそスクールが増えましたけど、始めてもう15年も経つんですね。

T 佐川兄弟、池田大亮や渡辺雄斗も来てました。山下京之介もそうですね。最初の講師はRootsのアキ(秋山弘宣)さん、カツさん、(鈴木)茂一くんと僕。アキさんがアメリカに住んでたときにスクールをやってたからノウハウを教えてもらって。やっぱりスケートに幸せをもらってるから。ちょっとしたアドバイスでスケートをさらに楽しめる機会を提供できるのはうれしいですよね。


V 現在5050のチームに所属してるスケーターは誰ですか?

T アキ秋山、横溝太一、増田力也、店長の山之内義知、小林幹夫、小澤正道、笠原雄太、渡辺星那、飯田葉澄、山下京之介、芳賀己太郎。

V 第一世代のOGから超絶スキルの若手まで世代の幅が広いですね。ショップを始めて17年経ちますが、忘れられない出来事とかありますか?

T 毎年忘れられないことばかりですよ。それこそ立ち退きとか手術とか人生の事件はたくさんあったけど、毎日濃いですね。バスを借りてみんなでツアーに行って田んぼに落ちたりするわけじゃないですか、スケートツアーなんて(笑)。なにもかもが最高の思い出ですよ。だって普通、この歳になると1日の大半を仕事して過ごすわけでしょ? そうなるとやっぱ仕事は選びたいですよね。いろいろ事情はあるだろうけど、できるならそうしたいです。これまでにいろいろ失敗もあったけど今も生きてるし。「死ぬこと以外かすり傷」とはよく言ったもので、やっぱ楽しいことをやりたいじゃないですか。それを純粋に形にしてるだけです。

V 5050のこだわりは何ですか?

T 流行りで仕入れをする気が起きないというか。もちろんトレンドに目は行くし勉強したりするけど、どちらかといえば友達の事務所に行ったときにシルクスクリーンを熱心に刷ってる背中を見ちゃったときとか…そういうバックボーンで惚れちゃうことが多いですね。そうやって惚れたものを置きたいというか、とにかく思い入れのあるものが好きだから。そういうものが5050には詰まっていると思います。

V では最後にショップの今後の目標を。

T パークを開けることしかないですよ。120%それしかない。設計をして、ずっと進めてきて、ショップの目の前にあるから毎日眺めて。建設中も朝晩見に来て。いざ形になって楽しみにしてたらこれだからさ。だからマジで、今の望みはこのパークのオープン。それに尽きますね。

5050 / 5050skateboardshop

 

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