Nike SB dojo | スケートパーク

ADIDAS SKATEBOARDINGのグローバルチームに所属するフランキー・スピアーズ。幼馴染とともに掴むインダストリーでの栄光。
──FRANKIE SPEARS

2019.12.21

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photo_Junpei Ishikawa
Special thanks_adidas Skateboarding

VHSMAG(以下V): まずは出身地から。

フランキー・スピアーズ(以下F): ニューヨーク州ロングアイランド出身で今もそこに住んでる。マンハッタンから25kmくらいの場所。最低でも週に4日はマンハッタンでスケートや撮影をしてる。

V: タイショーン・ジョーンズと一緒にスケートして育ったんだよね。

F: そうだね。お泊り会とかもしてたくらい。本当にガキの頃からの付き合い。

V: 2012年に公開されたふたりのWパートを先日観たばかり。タイショーンとのスケートセッションはどんな感じだったの?

F: タイショーンとのセッションはいつも刺激的だった。ヤツがSupremeやadidasにフックアップされる前から世界一のスケーターになると確信してた。直感的にそう思ってたんだ。そんな可能性を秘めたスケーターだった。13歳のガキが巨大なハンドレールでBsオーバークルックをメイクするのを見ながら「これはマジでヤバいことになる」って思ってた。それにメイクの仕方が尋常じゃないんだ。すべてが完璧だった。

V: 2012年当時は何歳だったの?

F: 2012年のパートのずっと前からタイショーンを知ってるから…。たぶん初めてヤツに会ったのはElementのMake It Countのコンテスト。オレが13歳でヤツが11歳とかだったかな。そしてその2年後に例のパートが出たんだ。だからオレが15歳でヤツが13歳。

V: 大人顔負けのパートだったね。

F: タイショーンがオレの可能性を拓いてくれたんだ。お互いというより、ヤツがオレをプッシュしてくれた感じだった。ガキの頃のオレらの違いは、ヤツのほうがオレよりもパッションがあったこと。狙ったトリックは絶対に乗りに行く。決して諦めない。一方でオレはスケートや撮影より学校を優先しなきゃならなかった。でもタイショーンは遅くまで家に帰らずやりたいことをやってた。オレもそんな生活をできればよかったけど親が厳しかったから。タイショーンの親が厳しくないというわけじゃないけど、単純に当時のオレらのメンタリティには大きな違いがあった。そんなヤツをずっとリスペクトしてきたし、偉大なスケーターになるまでのヤツの進化の過程をこの目で見れたのは素晴らしいことだと思う。
 


 

ブランドがなくなるかオレが死ぬか。オレは絶対にAWSを裏切ることはない

V: 初めてのスポンサーは?

F: ガキの頃からスケートショップといった細かいスポンサーはたくさんあったけど、初めてのボードスポンサーはShut。ただ次第に先が見えなくなっていった。そんなときにタイショーンが各方面に連絡してくれたんだ。ヤツはコミュニケーションとか交渉が得意なんだよ。そんなこんなで高校の頃にいろいろメールしてくれたんだ。「Diamondのサポートが決まったぜ。もうすぐパッケージが届く」と言ったと思ったら翌週には「Silver Trucksも決定」。さらにその翌週には「DeklineとPig WheelsもOK」って(笑)。

V: 最高の仲間だね。

F: タイショーンは昔からToy MachineとEmericaが大好きだった。チームマネージャーのマイク・シンクレアにオレらのフッテージを送ったことがきっかけでオレもTum Yetoの連中と話すようになった。そしてPig WheelsとDeklineに誘われてチームに加入することになった。でもタイショーンは妥協せずにそのオファーすべてを断ったんだ。つまり13歳のガキが、自分が本当に手に入れたいものを的確に把握していたということ。だって普通はガキの頃なんて「タダでもらえる! やったー!」って感じだろ? オレがそんなガキだった。そしてヤツはさらにフィルミングを重ねるようになっていった。あのビデオを撮ったときもずっと一緒にいた。“Buddy”だったっけ? 

V: SupremeのCMね。

F: そう。コートハウスのドロップスポットでのノーリーフリップとか。あれがきっかけでタイショーンのキャリアが始まったと言っても過言じゃない。クレイジーだった。オレはというと、その数年後にアレックス・ミドラーを通してRealからサポートされるようになって、SpitfireとThunderに加入。そしてジェイク・ジョンソンに誘われてAlien Workshop(以下AWS)へ。AWSが活動休止を経て復活したらジェイクもチームに戻る予定だったんだけどね。ヤツはQuasiに行ってしまった。ということでAWSには5年ほど所属してる。ブランドがなくなるかオレが死ぬか。オレは絶対にAWSを裏切ることはない。

V: ではスケートでの大きな転換期は?

F: マンハッタンで撮影を重ねて最高のフッテージを量産した高校最後の年かな。アウトレッジでバックノーズブラントやブラントスライドからのキックフリップアウト。ヤバいフッテージを撮影しまくってハンドレールをスイッチで入り始めた頃。でかいハンドレールでスイッチスミスをメイクしたのも覚えてる。そして高校を卒業した夏にフィルマーのジョー・フェイスとジェイク・ジョンソンが自分の家にステイしてたんだ。当時はフロウとしてadidasのシューズをもらってた。タイショーンよりも前からadidasにフックアップされてたんだけど、ヤツは精力的にフィルミングを重ねてたのに対してオレはずっと高校で進路を考えてた。

V: それで?

F: タイショーンは学校に行かなくなってスケートに専念してたから、オレよりも撮影をがんばってたのは知っていた。だからこそ先にシューズをもらってたオレよりもヤツが先にチームに迎え入れられたのは理解できる。別にムカついたとかそんな感情はなかったけど困惑したんだ。「シューズをもらい始めて1年以上。タイショーンがチームの一員でオレは違う。どういうことだ? 最高のフッテージも撮ってる。よくわからない」って思ってた。そしてジョー・フェイスがオレのフッテージをVansに見せたら「いいフッテージだ。チームに迎えるという約束はできないけど、Vansを履いてパートを撮ってくれれば可能性はある」って返事が来たんだ。そんな状況をadidasに共有するとオレのフッテージはすべてadidasで使うから心配するなと言ってくれた。マジでうれしかった。でもやっぱり一番大きな転換期はAWSに迎え入れられてチームマネージャーのブレナン・コンロイがオレの可能性を認めてくれた瞬間かな。ヤツには感謝しきれない。

ノンストップで走り続けたい。どれだけやれるかがんばりたい

V: 活動をサポートしてくれる人の存在は大きいよね。

F: 本当にそう思う。初めてSFに行ってブレナンに会ったこと、そしてThrasherの企画のLunatic Fringeにフィーチャーされたこと。オレにとってはマジでヤバい出来事だった。実力のあるスケーターなんて無数にいるけど、その全員がThrasherに取り上げられるわけじゃないから。Thrasherでインタビューが掲載されるなんて普通のことじゃない。ここ数年で何度かインタビューを受けてるし、アドもいくつかあった。これからはノンストップで走り続けたい。どれだけやれるかがんばりたいんだ。ガキの頃は自分のことをハンドレールやステアだけを攻めるスケーターだと思ってたけど、最近はテクニカルなトリックにも磨きがかかってる。今は誰もがやってないトリックに挑戦したいと思ってる。そんなトリックを練習して、諦めずに形にしたいんだ。

V: 昨年プロに昇格したばかりで“Control Room”も公開されたよね。ヤバいパートだった。

F: ありがとう。そう言ってくれるのはありがたい。でもあのパートが完成した時点で他に3分ほどフッテージがたまってたんだ。だからすでにもうひとつパートが完成してる。しかもこっちのほうがヤバい。ただ“Control Room”のパートに関してはいい感じのバンガーが収録されてた。特にバックスミスは気に入ってる。

V: あのバックスミスはどんな感じだったの?

F: 実はずっと前からシンシナティのあのスポットでバックスミスをやりたいと思ってたんだ。ハンドレールで一番好きなトリックだから。ということである日、Zumiezのコンテストのジャッジでシンシナティに行くことになった。ということはもちろんあのスポットにも絶対に行く。到着するとアプローチに車が2台停まってた。レールを見ながら「でかいけどできないことはない」って集中力を高めてた。1台は動いたんだけど、まだレールの手前にもう1台停まったまま。映像を観ればわかるけど、ぎりぎりアプローチできる隙間があったからトライすることになったんだ。でもひとつ言わなければならないことがある。停車していた車のライセンスプレートの番号が666だった。あれには集中力が乱されたね。「ファック! 666だと? ケガするんじゃねーか?」って。最悪だった。苛ついた。怖いハンドレールを攻めるときは絶対にまずボードスライドと50-50をやるんだ。あのレールは怖すぎてボードスライドをしようとしたのにレールそのものをオーリーで飛び越してしまったほど。怖くてレールにかけられなかったんだ。結局ボードスライドを3回、50-50を1回メイクして、バックスミスを仕留めた感じ。3トライでメイクできたのかな。
 


 

V: ヤバいね。adidasのフロウチームに長年在籍してグローバルチームに格上げされたわけだけど、その理由は何だと思う?

F: できる限りのベストを尽くしたからだと思う。マンハッタンで最高のフッテージを撮り続けたことが大きいと思う。自分の可能性を広げてやりたいトリックを確実にメイクしたこと。向上心がすべてだと思う。ケガも多いけどそれも人生の大切な一部。失敗なくして成功はない。グローバルチームに入れたのはオレが失敗を恐れなかったからだと思う。何度も失敗し続けてきたから。ケガをしながらもプッシュし続けてきた。今はスケート以外やりたいと思えることはない。

V: adidasとのプロジェクトで印象的だったのは?

F: “Broadway Bullet”の撮影は楽しかった。ツアーに出て撮影できるプロジェクトはすべて楽しい。Liberty Cupの撮影も最高だった。オレの新しいadidasのパートもいい感じだと思う。最近はマーク・スチュウと一緒に滑ってるからレッジやマニュアルトリックもいい感じに撮れたと思う。

V: 今回のパートは満足できてるの?

F: 今回のパートは大満足。断然前回より良くなってる。やっぱりパートは出す度に良くしないと。これからもそうやってパートを撮っていきたいと思う。それかまったく違うアプローチでやっていきたい。今回のパートではこれまでできないと思ってたトリックばかり。ウォールライド、バンプtoバー、ハンドレール、レッジトリック。これまで誰もやったことのないトリックを組み込んたラインも収録されてる。マジでうれしい。こういう気持ちでこれからもやっていきたいね。
 


 

Frankie Spears

NY・ロングアイランド出身。ローティーンの頃にステアやハンドレールをはじめとするハンマートリックで頭角を現し、洗練されたスケーティングでプロキャリアを昨年スタートさせたばかり。スポンサーはadidas SkateboardingやAlien Workshopなど。
@frankyspears

 

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