VANS Skateboarding - The Lizzie

大手トラックブランドが市場を牛耳る時代にACEで殴り込みをかけたジョーイ・ターシェイ。このブランドのスローガンは「LOOSE TRUCKS SAVE LIVES(ルースなトラックは命を助ける)」。
──JOEY TERSHAY / ジョーイ・ターシェイ

2022.03.15

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Special thanks_BP Trading

VHSMAG(以下V): 家族にニック・ダイヤモンドがいたり、レイヴン・ターシーが従兄弟だったり。ジョーイの家系にはスケートが根づいているよね。まずスケートとの出会いは?

ジョーイ・ターシェイ(以下J): まずレイヴンの父親がスケート、自転車、サーフィン、ブギーボード、車といったいろんなことを教えてくれたんだ。兄貴のような存在だった。当時の彼はサーフィンやスケート、ローラースケートもしていた。レイヴンの叔父もオレらをスケートパークに連れて行ってくれた。実家の向かいに住んでいた連中もスケーターだったから、ガキの頃からその家族と一緒にスケートパークに行ったり。だからレイヴンの父親の影響が一番大きかったかな。

V: それはいつ頃の時代?

J: '70年代終わりから'80年代初め頃。

V: '90年代のSFはスケートシーンにとって重要な存在だよね。当時のSFはどんな感じだった?

J: 難しい質問だね。一般的にスケーターはあまり多くなかった。だからスケートをしていれば、ある意味、ガキから大人までみんな知り合いな感じ。スケートショップもいくつかあって、そこでハングアウトするうちにみんなと顔見知りになっていく。一緒に滑る仲間がいて、そこから幅広い世代のスケーターと繋がって、みんなで一緒に滑るようになる。そしてスポットが現れたり消えたり。SFは都会だから移動も楽だし、街の隅々までスケートすることができた。しかも坂が多いからスケートパークみたいな感じ。スノーボードみたいにいろんなダウンヒルをボムしていた。

V: ジョーイはジュリアン・ストレンジャーとジョン・カーディエルとよく滑っていたイメージがあるけど、ふたりとの出会いは?

J: ジュリアンとは高校の終わり頃に街でスケートをしていたときに出会った。だからよく一緒にスケートをしながら育った感じ。カーディエルと会ったのはもっと後でグレッグ・キャロルを通して知り合った。ヤツはSFを拠点にしている時代のDogtownとVentureに加入したんだ。だからカーディエルとは'90年代初めに知り合った感じ。オレらより少し若くて、4、5歳年下だった。当時はまだ16歳か17歳くらいだったけど、SFに出てきたり、オレらもヤツの地元のサクラメントに行ったり。ベイエリア周辺で一緒に滑っていた。当時のシーンはみんな知り合いで仲間だった。

V: スケートインダストリーの裏方として働き始めたのは? 初めて働いたブランドがIndependentだったの?

J: いや、最初はRealとかが始まる前のDeluxe。今のビジネスパートナーのシュルーギーがオレを雇ってくれたんだ。'80年代終わりか'90年代初めか…その辺りだったと思う。しばらくはDeluxeで働いていた。それからPrint TimeでTシャツのプリントとかもやったり。全部Thrasherの一部だった。Thrasherで発送を担当していたこともある。トラックを製造していたErmicoでも働いていた。冬や休みの日に大きな注文があったりすると駆り出されるんだ。だから裏方で働き出してかなり長いけど、Realが始まる前のDeluxeが初めての職場。Realが始まってちょっとしてからから辞めてスケートをしたりしていたけど。それから4、5年ほど他のブランドで働いてからIndependentに行った感じ。

V: Independentでは何をしていたの? チームマネージャーをしていたという話は聞いたことがあるけど。

J: そうだね。チームマネージャーもしていた。広告も担当していた。ロゴやグラフィックを考えたり、服を作ったり…とにかく何でもやっていたね。でも普段はSF・ハンターズポイントの鋳造工場にオフィスがあって、Thunder、Venture、Independentを作っていた。そこが毎日の職場で、週に1、2回、自分の旅行とかでサンタクルーズのNHSに行くこともあった。

V: Independentを辞めた理由は? ファウスト・ヴィテッロの他界は関係あったの?

J: いろいろあったんだよ。Independentの40周年の本を作ってやり尽くしたというか…。Independentに13年いたからね。ニックとDiamondも運営していたし、そっちにもっと専念したかったんだ。そしてファウストも亡くなって、作りたいトラックの構想もあった。いろんなコネクションがあったおかげで自分のトラックを作るチャンスが浮上した。だからとりあえず行動に移した。腹を決めて飛び込んだ感じ。

V: それでAceを始めたんだよね。2007年頃?

J: 2006年にIndependentを離れたからそうだね。2007年の夏にAceの第1弾が完成して売り出したんだ。

V: Independent、Thunder、Venture…。確立されたトラックがすでにある時代に新しいトラックのブランドを立ち上げるのはどんな感じだったの?

J: たしかに変な感じだったね。でも後押ししてくれる大きなサポーターがいたから。それに作りたいトラックの構想もすでにあった。問題はいつ作るかというタイミングだけだった。だから迷いはなかった。

V: かなりの挑戦だったと思うけど…。

J: ああ、そうだね。でもずっとトラックを作ってきたから運が良かったというか。Aceを始める前からみんな喜んで応援してくれたんだ。だから助かったね。すでにチームもあったし。ゼロからのスタートじゃなかったから。

V: トム・レミラードとかが初期のライダーだったよね。

J: そうだね。トムは初期のライダーのひとりだった。レイヴンとジュリアン・ストレンジャーもそう。カーマ・トシェフやブラッド・マクレイン。たくさんいたよ。最初の頃にいろんな人がサポートしてくれた。ブライアン・アンダーソンも初期のライダーで、一時はIndependentに移籍したけどまたAceに戻ってきた。どんなブランドでもそうだけど、最初の商品を世に送り出すのが大変なんだ。だから支えてくれた仲間には感謝している。みんな耐え抜いてくれたんだ。新しいトラックを送り出すのはマジで大変だったから。時間もかかるし。そして、5年、6年、7年と、だんだん良くなっていった。でもショップやディストリビューター、そしてライダーたちが初日からサポートしてくれたのはラッキーだった。まず自宅からスタートして、倉庫に移ったと思えばまた自宅に逆戻りしたり。大変なことの連続だったから。

 

新品の状態で超ルースなトラックを作る方法を編み出した

V: Aceを始めた頃はどんなトラックを作りたかったの?

J: 高性能で最高品質。慣らす必要なく新品の状態で完璧に機能するトラック。トラックをタイトに作るのは簡単なんだ。硬いブッシュを使って締め付ければいいんだから。でも最初からルースなトラックを作るのは難しい。でも新品の状態で超ルースなトラックを作る方法を編み出したんだ。そのデザインをもとにAceが完成したってわけ。だから可能な限り最高の品質と、すぐに使える高性能なトラックを作ることが最初からの目的だった。

V: デザインに関しては? Independentの初期のトラックを参考にしたって聞いたことがあるけど。

J: ああ、さっきも言ったようにオレはずっと鋳造工場にいたから。そこで古いトラックがたくさん入った大きな箱を見つけたんだ。Independentの全ステージ、Thunder、Ventureとかのベースプレートやハンガーなどが入っていた。そしてBennett、ACS、Motobilt、G&Sなどのトラックのルックスも気に入って….。そしてそれらの構造も。とにかくいろいろ研究して実験しまくった。いろんなパーツを組み合わせたりして。そして5、6年かけて上手くいく構造を発見して、そこからさらに工夫を凝らしたんだ。とにかくいろんなことを試行錯誤しているうちに、自然とAceが生まれたってわけ。

V: Aceと他のトラックとの違いは?

J: 新品のまますぐに使える高性能なトラックだということ。でも今のトラックは初期のものの100倍、いや1000倍も品質がいい。設計、構造、ブッシュは当時のものと同じだけど、金属の密度など品質を向上させたんだ。今オレらが作っているトラックの品質は他社のトラックよりはるかに優れている。より強くなっているんだ。ハンガーもトラックの構造に合うように綿密に正しく配置してある。AF1は最高品質。さらにオレらはつねに改良を重ねてより質の高いトラックを作ろうと日々努力している。

Aceの目標はすべての人に楽しんでもらうこと

V: ねじ切りを内蔵したアクセルナットを付けたり、新しい試みをしているのも最高だよね。

J: オレらはスケーターだから。「何が必要か? 何が欲しいか? 何が最悪か? 滑っていると何が起きるか?」 そんなことをいつも考えている。たとえば現場でウィールを変えようとしてもアクセルナットが入らないとか。ベアリングがはずれないとか。そうなると、セッションを止めてわざわざスケートショップに行かなければならない。そういう最悪なことをなくそうとしているんだ。Aceの目標はすべての人に楽しんでもらうこと。だから必要なものはすべて揃える。

V: これまでAceでいろんなプロジェクトを形にしてきたけど、なかでも印象的なのは?

J: 旅で仲間とスケートするのがオレの生きがいだから。どんな旅も最高だ。わかるだろう? 印象的なのはケガしないでずっとスケートを楽しめた旅。それが最高だね。

V: 日本のチームも座間翔吾、三本木 心ら最高のライダーがいる。素晴らしいチーム構成以外で、Aceの成功の理由は何だと思う?

J: 特に新しいトラックやその構造が理由だと思いたい。品質が向上していることは間違いないから。日本に関しては、iPathやDiamondの初期の時代からBP Tradingのヒロシと知り合いなんだ。ヒロシとは長い付き合いで、いつも仲間としてサポートしてくれた。オレが新しいトラックブランドを立ち上げたいと言ったときも乗り気でいてくれた。日本は最初から思い切りサポートしてくれた。そして今ではブランドが10年以上も続いている。だから自然の流れで成長してきた結果なのかな。

V: Aceについて詳しくないスケーターのために、ClassicとAF1の違いを教えてください。

J: 品質の違いだね。AF1は1000倍も強くて耐久性があって洗練されている。Classicの強度や品質は基本的に他社のトラックと同じレベル。AF1ほどの品質を誇るトラックは他にない。オレらにはこのトラックを作るための独自のフォーミュラがあるんだ。

V: そしてホロー(中空)のキングピンを採用した新しいトラックも開発されたんだよね。

J: そう、ホローのLowだね。中空のキングピンの登場。他のモデルにも中空のキングピンを搭載する予定。いろんなプロジェクトが目白押しだ。新しい製品、ツアー、ビデオ。オレらは自分たちのやり方で最高品質のものを作りながらスケートを楽しみたいだけなんだ。

V: トラックにはまだ進化の余地はあると思う?

J: もちろん。オレがビジネスパートナーや仲間について気に入っているのは、みんな実験することを厭わないところ。AF1の開発のときも完成までに2年間ほど実験を行った。オレらは高品質の製品を作りたいんだ。自分たちが良いと思えれば、それはスケートボードに関わるすべての人に利益をもたらすことになる。それが第一の目標なんだよ。

V: '80年代からスケートインダストリーに携わってスケートの進化を目の当たりにしてきたわけだよね。今日のスケートについて思うことは?

J: スケートは世界中で人気で広く受け入れられるようになった。オレは個人的に、スケーター、スケートパーク、スケートをするもの、行ける場所、繋がることのできる人が増えることに大賛成だ。ただただ楽しい。そしてスケートは誰がどう思おうが進化し続ける。キッズたちはこれから限界を押し広げていく。オレが生きている間に、カービングから今のような形になっていくのを見てきた。スケートをするための場所が増えれば増えるほど、スケートは受け入れられていく。スケートの可能性は無限だ。想像することができれば何でも実現できる。今日のスケーターのスキルを見ればそれは実証済みだ。本当にヤバいと思う。オレは滑るのが好きなのと同じくらいスケートのファンなんだ。その進化を見守ることができるのは最高だ。本当にすごいことになったと思う。

V: そしてジョーイは今も変わらず旅をしながらスケートを続けている、と。

J: ああ、身体が持つ限りはね。

V: では最後に一言お願いします。

J: スケートをやめず、ずっとグライドし続けろ。

 

 

Joey Tershay
@joey.tershay

サンフランシスコ出身。'80年代終わりよりスケートインダストリーに携わり、Independentで研究を重ねトラックのノウハウに精通。2007年にAceを立ち上げ、現在もトラックの新たな可能性を日々追求している。

 

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