大きな地震と津波が東北を襲った東日本大震災から15年。そう遠くない過去に感じる一方、個人的に普段の生活ではあの日のことを思い出す機会も薄れているのが実際のところ。この原稿を書いているのは仙台の隣にある多賀城市というところ。この街も大きな被害を受けたに違いありません。聞こえてくるラジオからはあの日を振り返るトークであったり、ちょうど震災の起きた14時46分には街にサイレンが鳴り響き、多くの人が二度と同じような出来事が起きぬよう、祈りを捧げる時間となりました。
あの日といえば自分はバイトで渋谷道玄坂にいて、急な揺れと続く余震、人や街がパニックになっている中で、ただただその時を過ごすという選択肢しかありませんでした。携帯は繋がらない。どうやら電車も走らない。そんな状況下だったのでその日は特別にバイト先での寝泊まりが許可されました。深夜近くになり街も少し落ち着き、夜食を買うべく行った近くのドンキに設置されていたモニターで流れていた東北の被災の様子を見て、そこでようやくとんでもないことが起こっているのを知ったのです。都内は都内でエライことになっているけど、それどころの話じゃない、慌てている場合じゃないな…と。
震災から2、3週間はショッキングな気持ちからパークやストリートで滑る気にもなれず、ただクルーザーを移動手段として使うのみ。繁華街の各地も普段の煌びやかな広告や電飾は自粛され、しばらくの間ちょっと暗い街の状態が続きました。その後復興が進み人々も通常の生活に戻りつつある中で、スケート誌では時々、東北の被災地でのスケートフォトなんかも見られました。大地震によって地面が歪み、突如スポットと化した路面を攻めている写真。繰り出されるトリックの背景にある、震災や津波が残した生々しい残骸。大きな被害を受けたはずの地でしたたかに滑り、記録に残していた当事者たちは何を思いながら撮影に臨んでいたのだろう。残念ながらそれらを記録したスケート誌が今は手元にないので、見返してあれこれ思い出すことができないのですが、15年という少なからずの年月が経った今、それらは当時の様子を残す貴重な資料であるはずです。
震災で受けた被害の痕跡もほとんど見受けられないほど市街地は復興し、またひとつオープンするスケートパークの建設に携われていることにありがたく思う今日この頃です。
—Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)

















