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 よくスケーターの友人から、訪れた土地のスケートショップに好んで行くと…
──第8回:SKATE SHOP

2016.07.05

 よくスケーターの友人から、訪れた土地のスケートショップに好んで行くという話を聞きます。自分も同じく、スケートショップに行くのを趣味にしています。初めて行く場所にスケートショップがあれば機会を見つけてできるだけ行くようにしています。感度の高いスケートショップは各々の個性を打ち出した店作りをしているので、飽きることはありません。

スケートショップは大きく分けて3つのタイプに分かれるのではないかと考えます。

1. 純粋にスケートボードギア全般を取り扱うショップ
2. アパレルや小物寄りに商品構成されたセレクト系ショップ
3. スケートボード用施設に併設されたショップ

1番目のスケートショップは取り扱う商品数が多いぶん集客間口は広いですが、取り扱い商品で他の同タイプのショップと差別化を図り、個性を打ち出すことが難しいと思われます。そのため、商品構成プラスαで他の店舗との差を図る努力をしていると思います。

2番目のショップはスケートボードギアの取り扱いブランドを絞り込んでいる場合が多く、それにより在庫が把握しやすいこと、スケートボードギア以外の商品構成に力を入れることができるので、比較的ショップとしての個性を出しやすいと思います。ですが商品構成には偏りがあるため、スケートボード目的の集客間口は広くはなくなってしまいますが、逆に他の商品目的の集客が望めます。

3番目のショップは基本的にスケートボード用施設に重きを置いている場合が多く、基本的な商品構成は施設で滑走中のお客さんが破損したパーツを交換できる商品を一通り置いてありますが、全般的な商品の構成ではない場合が多いです。また取り扱うブランドもコアなブランドやショップオリジナルを取り扱う場合が多いと思われます。

 自分がスケートボードを始めた'80年代後半はスケートショップの数は今と比べると少なく、当時存在したスケートショップは他業種の店舗と比べると店内の独特な雰囲気や店員の発する尖ったオーラが伝わってきて、入りづらいものが多かったと思います。そんな経験をしたからこそ、自分は入りやすいショップを構えてスケートボードを世に広めたいと頑張っているスケーターのショップオーナーの話を聞いたことがありますし、その通りだとも思います。ですが自分はそんな入りづらいスケートショップが大好きで、当時よく通っていました。'80年代、自分はパンクショップやインディーズのレコードを取り扱うお店に通っていたので、スケートショップの入りづらさはさほど高いハードルではありませんでしたし、何しろ店頭で得られる生きた情報というのは、インターネットが無かった当時は本当に価値のあるものでした。当時、自宅近くに存在したMax Motionというスケートショップは、そんな入りづらいスケートショップを地で行くようなお店でした。

 Max Motionが魅力的だった理由のひとつは、当時雰囲気のあるスケーターたちが集っていたということでした。それまでに見た上手いスケーターたちもとても印象的でしたが、彼らはスケートボードが上手いことに加え、常識のリミッターを振り切ってしまったような感覚や行動を普段の生活の中でしていたので、それも自分には興味深く感じたのだと思います。中でもライダー兼スタッフで当時のストリートスケートシーンを一世風靡した五十嵐まさひろ(通称まーちゃん)はスケートボードの技術も磨き抜かれたものでしたが、チョイスするトリックやスタイルが格別なスケーターでした。当時10代の彼のスケートスタイルは確立されていて、特にその時流行っていたストリートプラントのバリエーションでサッドプラント、ヨーヨープラントは群を抜くスタイルと完成度だったと思います。しかしスケートボードをしていない時の彼の行動は究極にデタラメで、仲間以外は理解不能なオリジナル言語、例えばすべての会話を「アカチャーン!」、「ハーイ!」の掛け合いだけでコミニュケーションをとったり、詳しい理由はわかりませんが甘みのある飲料をなぜか多量頭部に付けてしまい、自宅で睡眠中に大量のアリに頭をたかられ頭皮をかまれて目を覚ましたり…と、それはそれで面白かったのですが、かなりハイレベルな行動をしていたのでした。
 そしてもうひとつ、Max Motionの素敵なところはオリジナルプロダクツを当時次々とリリースしてきたことでもあります。今では良質なオリジナルの板やさまざまなグッズを販売しているショップがたくさんありますが、スケートボードの板(Blood SkatesやShine A Moon)、板のグラフィックも自分たちでシルクスクリーンプリントしたり、ステンシルしたり、さらには軽量化をはかったAir Truckの開発まで、Max Motionを運営していた先輩方は当たり前のように当時考えられないことをやってのけていました。そんな画期的で魅力的な商品開発をしていた先輩方は当時もバリバリのスケーターでしたし、若さもあったのでかなり鋭くて恐ろしく黒いオーラを発していました。排他的ではなかったのでしょうが、誰にでも笑顔でニコニコオープンマインドの接客姿勢をしている店舗ではありませんでした。それがこのお店が入りにくい理由のひとつではなかったのではないかと思います。職人気質のショップだったのでしょう。

 今はインターネット通販が一般的になり、オンラインストアでの販売が主流になっていますが、自分は実際に商品を一度手に取り見た上で購入したいと思っているので、店頭で買うことが多いです。実際にWeb販売に特化したショップもお客さんがオンラインストアで商品をチェックして、最終的にはお店で購入するパターンもあると聞いた事があります。理由のひとつとしてはカスタマーにとってスケートショップでの店頭購入は買い物をするだけでなく、自分の知りたい知識を共有できる場でもあります。自分は良質な商品を丁寧に販売するショップが大好きですが、一方でスケートボード業界全体の潤滑のために多くの物量を動かすことができるチェーン店舗を否定するつもりも毛頭ありません。

 スケーターにとってスケートショップは買い物をするだけでなく、コミュニケーションの場であったり、仲間と過ごすことのできる場でもあります。日々スケートシーン拡大のためにスケートボードの窓口を広げるべく普及活動をしているスケートショップは素晴らしいと応援しています。これからオリンピックに向けてスケートボードはスポーツ競技化していき、ひとつのスポーツとして一般的に認知されていくことになるでしょう。そして一方ではスケートボードの持つサブカルチャー的な面を好み、自由に独自のスケートボードを楽しむスケーターたちも存在し続けると思います。海外では当たりのことですがひとつのシーンの中でスケーターは二極化しつつも共存していくのだと思います。すべてのスケートショップにエールを送りつつ、これからも特に個性を全面に押し出した、敷居の高いスケートショップも強くスケートカルチャー発信の場としてシーンに貢献していって欲しいと望んでいます。

 


The 1st Shop
残念ながら現在は休業中の岩崎進吾氏が自ら店頭で接客する東京一(?)、日本一小さなスケートショップThe 1st Shop。ショップ自ら発信していていいお店です。

 
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Max Motion、Air Truck、Skate To Liveの広告1986年“Movin' On Vol. 2 No. 6”掲載
乗っている板はLive To Skate、つけているトラックはAir TruckとMax Motion全開の広告です。東京駅八重洲口に存在した通称八重洲バンクでのカツ秋山氏によるハンドプラント。

 

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Max Motion スケートボード製造現場 1987年“ラジカルスケートブック2”掲載
シルクスクリーンやステンシルを駆使したプリント手法を用いて生産するMax Motionのスケートボード製造現場です。

 

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Street Of VeniceのFlyer
ヴェニスビーチのショップ、Street Of Venice。'80年代後半のオープン当時のフライヤーです。実際に行ったことはありませんが、ほぼ間違いなく当時入りにくいお店だったと思います。

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