2001年9月12日。NYのワールドトレードセンターを襲った惨劇の翌日、マイク・オミーリーはジェフ・パンやトッド・ジョーダンらとともに静まり返ったマンハッタンの街へと繰り出した。それから20年以上の時を経て、映像作家/編集者のジェレミー・エルキンとタッグを組み、当時の貴重なコンタクトシートをセレクト、構成して写真集『9/12』としてまとめ上げた。そこに記録されているのは、衝撃のなかにあったNYの姿と、それでも前へ進むための手段としてのスケートだった。
──MIKE O'MEALLY & JEREMY ELKIN
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VHSMAG(以下VM): 2001年9月11日に事件が起きたときはどこにいたの?
マイク・オミーリー(以下MO): NYにいたよ。たまたま9月10日にLAから飛行機で戻ってきたばかりだったんだ。その夜は遅くまで外にいて、9月11日の朝は遅くまで寝ていた。オーストラリアにいる母親から電話がかかってきて、それで何が起きたのかを知ったんだ。結局、NYには1998年半ばから2004年か2005年頃まで住んで、アメリカで暮らしたのは合計23年間。その後オーストラリアに戻って、今はそこで生活している。
ジェレミー・エルキン(以下JE): 当時はまだ14、15歳くらいで、モントリオールに住んでいた。でも母方の家族がNY出身なんだ。9月11日の数日後、家族を支えるためにNYへ行った。その家族は残念ながら、この事件が原因で1週間くらい後に亡くなったから、その週はずっとニューヨークにいた感じだった。
VM: 9月12日に街へ出ようと思ったのはなぜ?
MO: まず、テレビをずっと見続けることにうんざりしたんだ。ニュースでは飛行機が衝突する映像や、ビルが崩れ落ちる映像が何度も繰り返し流れていた。ずっと家にいるのが耐えられなくなってきて。外へ出るのも怖かったけど、中にいるほうがもっと辛かった。だから、とにかく街へ出て何が起きてるのか自分の目で見たかったんだ。
VM: その日のセッションはどうやって始まって、どこへ向かったの?
MO: ユニオンスクエアでジェフ・パン、トッド・ジョーダン、それからいつもの仲間たちと合流した。スケートスポットを探しに行ったわけじゃなくて、とにかく街の様子を見ようって感じでミッドタウン方面へ滑っていった。グランドセントラル駅まで行って、そこからハウストンストリートまで戻って、西へ曲がってウエストサイドハイウェイへ。そこが一番遠くまで行った場所だった。滑っていたのは長くても2〜3時間くらいだったと思う。



VM: あの日、音や匂いなんかで特に記憶に残ってるものは?
MO: どんな会話をしてたのかはかなり曖昧なんだけど、サイレンの音と、上空を飛ぶジェット機の音、それからワールドトレードセンターの匂いははっきり覚えてる。現像したフィルムを見て一番印象的だったのは、道路からクルマが完全に消えていたこと。ブロードウェイのど真ん中をプッシュしていても、タクシーもバスも普通のクルマもまったくいない。走ってるのは緊急車両だけだった。
VM: それから20年以上経って、あの日の写真が『9/12』になった経緯は?
MO: 本当に偶然の流れだった。昨年ジェレミーと話しているときに、何年も触っていなかった写真を見せたんだ。興味を持ってくれて、「SUPER LABOのヤスノリに見せてもいい?」って聞いてきた。向こうも興味を示してくれてからは、ジェレミーがプロジェクトを全部仕切ってくれた。写真のセレクト、レイアウト、タイポグラフィ、構成、ページ数、写真の流れまで全部。自分の作品を編集してもらえたのは本当に大きかった。自分の作品は、どうしても細かいところに入り込みすぎて全体が見えなくなることがあるから。
VM: ジェレミーはマイクの写真をどうやって編集、構成していったの?
JE: オレは映像畑の人間だから、静止画も映画の1フレームみたいに見ている。フレームを順番に並べていくことで流れが生まれて、読者が目の前で何かが起きているのを見ているように感じられるんだ。何十万時間もの映像素材を扱う長編ドキュメンタリーの編集に比べたら、写真集の編集はかなりシンプルで扱いやすい。出来事をシンプルで明確なビジュアルストーリーとして伝えられる、一番強い写真を選ぶことに集中した感じだね。
MO: ジェレミーが最初に編集したものを見たときは衝撃だった。オレにとっては、目的もなく街を滑った1日の断片的なスナップでしかなかった。でも彼はそこから、筋の通った明確なストーリーを見つけ出してくれたんだ。
VM: この写真集以前に、アーカイブの中からどのくらいの写真が公開されていたの?
MO: 以前に公開されたことがあるのは、Skateboarder Magazineの“The Day the Town Went Quiet”っていう記事に掲載された6〜8枚くらいだけ。すべてのコンタクトシートを見たのは、実質ジェレミーが初めてだった。素材を渡してから1〜2週間くらいで、完成度80〜90%くらいの編集を送り返してきたんだ。
VM: メインの写真で、ジェフ・パンがロングボードに乗っていることを指摘する人も多いよね。あの日はどんなセッティングだった?
MO: ジェフは賢い選択をしていたよ。街を横断するくらいプッシュすることになるってわかっていたから、でかくて速いボードに乗って、履き心地のいいNikeのシューズを履いていた。オレ自身も10 × 36インチのロングボードにでかいソフトウィールを付けていた。それならみんなの前を後ろ向きに滑りながら撮影しても、マンホールに引っかかって転ぶ心配が少なかったから。
VM: 写真集を『9/12』と名付けることが重要だったのはなぜ?
MO: 何年もの間、ジェフ・パンの有名な写真は9月11日当日に撮られたものだと思っている人がたくさんいたんだ。写真集を『9/12』と名付けることで、この写真が事件当日じゃなくて、その翌日に撮られたものだとはっきりさせたかった。
VM: それぞれ、写真集で個人的に好きな写真は?
MO: 特に印象に残っているのは、男性が恋人を抱きしめながら、彼女の肩に頭を預けてる写真かな。
JE: オレはパークアベニューで年配の女性がジェフ・パンと話している写真が好きだね。イーライ(・ゲスナー)が“Kill Bin Laden”と書かれたTシャツを着ていて、左側ではスペンサー(・フジモト)がカメラを持っている写真。

VM: 25年経った今、改めて『9/12』はふたりにとって何を意味する?
JE: オレにとって、この写真は新しいNY、そして街にとっての新しい時代が始まった瞬間を表している。NYが大規模にジェントリフィケーションされる以前の、ひとつのはっきりとした時代の区切りでもある。それに、ロウアーマンハッタンの再建が始まった最初の日でもある。
MO: オレにとっては、NYが最悪の状況にあった時期を封じ込めたタイムカプセルみたいなもの。でも最終的にこの写真が表してるのは、ニューヨーカーたちのたくましさだと思う。長い間、あの日にスケートしてたことを、軽率だったり、不謹慎だったりと受け取られるんじゃないかと心配していた。でも今振り返ると、あれはオレらくらいの年齢の人間が悲劇を受け止めて、そこから前へ進む勇気を見つけるための、ごく自然な感情の解放だったんだと思う。どれだけ大きな悲劇に直面しても、また立ち上がって、耐えながら前へ進んでいける。あの日、オレらスケーターが外へ出て滑ったことも、自分たちの感情を整理して、勇気を取り戻すための自然な方法だったんだ。

Mike O'Meally - 9/12
Edit: Jeremy Elkin
Publisher: SUPER LABO
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Mike O'Meally
@mikeomeally
1990年代初頭からスケートとその周辺カルチャーを記録し続けてきたオーストラリア出身のフォトグラファー。オーストラリアの『SLAM』で活動した後、1998年にNYへ移住。SLAP、Skateboarder、TransWorldをはじめ、世界各国のブランドやメディアで撮影を手掛けてきた。2001年9月12日に撮影した写真は『9/12』の核となっている。
Jeremy Elkin
@jeremyelkin
カナダ出身の映像作家、フォトグラファー、編集者。カナダ・モントリオールで育ち、10代の頃からスケートの撮影を始める。NY移住後はVanity Fairの映像制作に携わり、その後、ドキュメンタリー映画『All the Streets Are Silent』を監督。『9/12』では、これまで未公開だったオミーリーのアーカイブをセレクト、編集、構成し、ひとつのビジュアルストーリーへと仕上げた。

















