渋谷で開催されたRVCAの同時多発イベント「RVCA SKATE」でフードイベントを手掛けたショウタ・クボ。食の道を選んだ背景、そして自身のルーツを振り返る。
──SHOTA KUBO / ショウタ・クボ
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Photos_Waguri
Special thanks_RVCA Japan
VHSMAG(以下V): まずRVCAのライダーになったきっかけは?
ショウタ・クボ(以下S): すべてはマーク・オブローのおかげ。マークはいつもサポートしてくれて、いろいろフックアップしてくれるんだ。
V: ふたりは長い付き合いだよね。
S: マークとはジェフ・ハートセルを通して出会った。ふたりは仲が良くてジェフは第2の父親みたいな存在なんだ。自分の父親と問題があるときは、いつもジェフに愚痴を聞いてもらっていたよ(笑)。マークとはGravisやAnologの時代からの付き合い。チーム全員をハワイに連れてきてくれたし、いろんな人に紹介してくれた。最初の服のスポンサーはジェフのPetreeというブランドで、マークを通してGravisのフロウチームに所属していた。
V: RVCA SKATEではShota's Food Experienceと題した食のイベントを手掛けていたよね。料理はどのような経緯で始めたの?
S: 料理歴は15年くらいになるかな。最初にやった料理の仕事は、ワロウズのすぐ裏にあるフレンチレストランだった。その頃はハワイのカイに住んでいたんだ。当時は20歳か21歳で、半年間カウチサーフィンをしながらLAでひとり暮らしをしようとしていた。結局上手くいかず、ハワイに戻ってフレンチレストランで働き始めた。最初はすぐに辞めようと思ったよ。ボスが最高にクレイジーだったからね。皿をあちこちに投げつけるんだ。でも彼にはたくさんのことを教わったから感謝の気持ちでいっぱいだね。とにかくそこで修行をしながら副料理長まで上り詰めた。それから7年してLAに移ったんだけど、そこからは親父のコネでさらにレストランで働くことができた。親父にはヴェニスのOGの仲間がいて、その人はもともとスポンサードサーファーだったんだけど、今はミシュランの星付きシェフで高級レストランを経営していた。自分がハワイで働いていたのも高級レストラン。彼はファミリースタイルのミシュランレストランも持っていたからそこで働くことになった。そこからはスケートとのバランスを考えながらキッチンで働き続けた感じ。今はカラバサスのホテルで料理長をしている。
V: 料理が職業なんだね。イベントではアサイーボウルをサーブしていたよね。
S: 夏だから何か冷たいものを作りたかったんだ。でも準備の段階でブルーベリーが超高くてイチゴは夏に入手困難ということに気づいて。でもRVCAが入手先を探してくれたり、いろいろ助けてくれた。とにかくハワイと日本のコラボをしたかったんだ。だからイチゴとバナナと抹茶わらび餅を使った。餅は日本の重要な食べ物だし、ハワイのラスタカラーにしたかったんだ(笑)。ほら、赤、金、緑。(高橋)ケントがこのアイデアを持ってきてくれて、それを実現してくれたことが本当にうれしいし、感謝しているよ。
V: 渋谷の宮下のボウルでのセッションはどうだった?
S: あそこでスケートするのは初めてだったから、慣れるのに苦労したよ。それに超暑かった(笑)。でも楽しかった。グッドヴァイブスだったし。スマホでDJできたのも良かった。自分で音楽を選べたからテンションを上げることができたね。
V: RVCAとの東京滞在で印象に残ったことは?
S: マークと一緒に旅をして、またケントに会えたこと。デジャヴのようで「これは現実か?」って思うくらい。本当に感謝しているよ。
V: 現在はDogtownのプロとして活動しているよね。かつて親父さんもDogtownに所属していたことを考えると、やっぱり特別な感覚なんじゃない?
S: とても謙虚な気持ちになるし、ありがたいよ。親父にも感謝している。もうこの世にはいないけど、親父には彼の仲間たちを通してずっとサポートしてもらっているような気がする。プロになって2年になるけど昇格して8ヵ月後にケガをして丸1年滑ることができなかったんだ。その1年間は「どうしよう、終わった」って感じだった。でもスケート以外にも夢中になれるものを持つのはいいことだよ。マークがいい例で何でもできる。彼は本当にいろいろな経験を積んできた。アート、オーディオビジュアル、マネジメント...。自分もあんな感じになりたいと思うよ。
V: 年齢を重ねるにつれて自分のルーツを大切するようになったと思う? インスタグラムに親父さんの写真を投稿しているよね。
S: そうだね、幼い頃は親父と時間を過ごすことがなかった。両親は離婚していたわけじゃなかったけど、親父はやるべきことがあったみたいで。これは自分がスケートについて何も知らなかった頃の話。親父がスケートをしている写真が冷蔵庫に1枚貼ってあるのを見たくらいで、あまり気にしていなかった。そして小学6年生か中学1年生の頃に親父が現れて、ちょうどそのときにDogtownのドキュメンタリー映画が公開されたんだ。かなり奇妙な感覚だった。「親父はプロスケーターで映画に出てる? どういうこと?」って感じ。インスタグラムのおかげで親父の昔の写真や映像がたくさん出てくるようになったから、今はもうこの世にいないけど時間をかけて親父のことをさらに知ることができるようになった。いい感じだよ。
V: 自身のハワイのルーツに関しては?
S: 両親は結婚して、無限に選べる場所のなかからハワイを選んでそこで自分を育ててくれた。本当に感謝している。'70年代のヴェニスやサンタモニカの連中はみんな引退後にハワイに住みたいと思っていたらしいんだ。親父が母親をハワイに来るように説得したんだと思う。母親は今もハワイに住んでいるけど、完全な日本人のお母さんという感じ。英語もあまり話せない。今でも日本にいると思っているみたい(笑)。母親とは日本語で、親父とは英語で話していた。そうやって育ったんだ。今はLAに住んでるけど、大切なものはなくなってみないとわからないものだよね。自分にとってハワイは特別な場所なんだ。
V: ショウタは日本とアメリカの両方のシーンを知っているけど、日本のシーンについてどう思う?
S: 最高だと思うよ。日本の人たちが大好きなんだ。ヴァイブスも最高。日本の仲間と一緒に時間を過ごしたり美味しいものを食べたりする度にうれしくなる。日本でスケートするのも大好き。いつか日本のスポンサーがつくとうれしいね(笑)。今後はとりあえず少しずつがんばっていくつもり。今はビデオパートに取り組んでいるから、近いうちにそれが実現するといいな。
V: いいね、パートを撮ってるんだね。
S: 丸1年ケガで滑れなかったから、映像を撮りまくっていい感じにカムバックしたいね。
V: では最後に、RVCAで今後したことがあれば教えて。
S: 自分はつねにフレキシブルで新しいアイデアにもオープンなスタンス。RVCA Japanのみんなも最高だった。彼らは本当に素晴らしい。新しいアイデアを共有しながらやり取りを続けていければうれしい。今後どうなっていくかは、風の向くままかな(笑)。
Shota Kubo
@kuboshota
1988年ハワイ出身。伝説のスケーターであるショウゴ・クボを父に持つDogtownのプロライダー。現在はRVCAに所属し、料理人としての道も歩みながらビデオパートを撮影中。