
僕は以前ここで「良質なスケートビデオというものには技術的な要素に加え、そのカンパニーなりスケーターのスタイルやセンス、さらにはスケートボードのビデオパートが持つ独特の臨場感を効果的に演出してくれる良質な楽曲が必要不可欠なのではないか」ということを書きました。そんな良質なビデオパートは星の数ほど存在し、それを観る側の個々人によってそのお気に入りもまた千差万別です。僕の場合であれば、Stereo の名作『A Visual Sound』全編に流れるジャズの心地良い響きや、ジェイソン・ディルがこれまた名作『Photosynthesis』で使用したレディオヘッドの哀愁漂う楽曲なんかがすぐにそのメロディーとともに頭に思い浮かびます。どちらも完璧にその作品の世界観に“音”でもってリンクしていると思います。
ここでひとつの疑問が生まれます。では良質なスケートビデオというものは、良質な楽曲なくしてはありえないのか? 答えはNoです。今回、楽曲の一切を使用せずとも完璧にその臨場感を表現しているスケートビデオをいくつか紹介します。どれもずいぶん前に発表されたものですが、楽曲がなくてもそのインパクトが僕の脳内から薄れることはありません。
デッキをはじく乾いた音やアスファルトに規則的に刻まれるリズム、レッジに重く沈むようなグラインド音など、スケートという行為に付随して表れる“音”は、まさにスケートの臨場感そのものです。
ここでひとつの疑問が生まれます。では良質なスケートビデオというものは、良質な楽曲なくしてはありえないのか? 答えはNoです。今回、楽曲の一切を使用せずとも完璧にその臨場感を表現しているスケートビデオをいくつか紹介します。どれもずいぶん前に発表されたものですが、楽曲がなくてもそのインパクトが僕の脳内から薄れることはありません。
デッキをはじく乾いた音やアスファルトに規則的に刻まれるリズム、レッジに重く沈むようなグラインド音など、スケートという行為に付随して表れる“音”は、まさにスケートの臨場感そのものです。
--TH (Fat Bros)