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オーストラリア・メルボルン発のスケートカンパニーHODDLE。専属フォトグラファーのブライス・ゴールダーの協力のもと、フィルミングツアーで来日したラフ・ラングスロウとベン・ロウリーを直撃。
──RAPH LANGSLOW & BEN LAWRIE / ラフ・ラングスロウ&ベン・ロウリー

2024.09.27

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photos_Bryce Golder
Special thanks_Harvest Dist.

 

VHSMAG(以下V): 東京のストリートスケート事情は他の場所と比べてどうだった?

ベン・ロウリー(以下BL): マジで最高の経験でこの機会に感謝しているけど、東京でのストリートは本当に大変だった。座るのも違法、スケートするのも違法、ストリートをプッシュするのも禁止…。何もしてないのにキックアウトされる(笑)。でもスポットは超ヤバかった。

V: 来日初日に警察沙汰になったと聞いたけど。

BL: そうそう、初日に確かビジネスホテルみたいなスポットに行ったんだけど、そこでディグビー(・ラクストン)とディーン(・ジョンストン)が滑っていたんだ。そしたら警察が来てフィルマーのジェフ(・キャンベル)に損害賠償を請求してきて。明らかにオレらが滑る前からワックスが塗られていたのに。

ラフ・ラングスロウ(以下RL): 警察というより、騒いでいたのはホテルの従業員だったね。

BL: オレらが滑る前とまったく同じ状態なのにオレらが全部悪いって警官に言っていて。あれはヤバかったね。海外での初日の経験にしては恐しかった。テンションだだ下がり。その後はスケートをするのも警官の世話になるのも超怖くなった。

RL: それ以外はいい感じだったけどね。

 

キーガンが亡くなった後に彼の名前を彫ったんだ。キーガンとは長い付き合いだから(ラフ・ラングスロウ)

V: ではHoddleというブランドネームの由来を教えて。

BL: Hoddleは2015年に故キーガン・ウォーカーとデール・ヴァン・イアセルによって始められたブランド。 メルボルンのビジネス地区である「ホドルグリッド」にちなんで名付けられた。その名前の元となったロバート・ホドルは、メルボルンの街のレイアウトをデザインした都市計画家。街路がニューヨークのように東西南北に走っている。街が碁盤の目になっているから、自分がどこにいるのか、どうやって移動すればいいのかを把握するのが簡単なんだ。というわけでホドルグリッドはメルボルンのイメージと結びついているってわけ。メルボルンの有名なスケートスポットの多くはCBD(セントラル・ビジネス・ディストリクト)の中にあって、ホドルグリッドはオレらがスケートして育った場所なんだ。

V: Hoddle初のフルレングス『Heavy Mayo』が2021年にリリースされてキーガン・ウォーカーの2周忌に試写会をしたんだよね? ラフも脇腹にキーガンの名前を彫っているから彼はやっぱり特別な存在だったんだね。

RL: そうだね、キーガンが亡くなった後に彼の名前を彫ったんだ。キーガンとは長い付き合いだから。ガキの頃から「いつかHoddleに入ることになるかもな」って言ってくれて本当に実現してくれたし。一緒に最高な旅にも出られたし、キーガンとの思い出はたくさんあるよ。

 


 

V: Hoddleが初めてのボードスポンサーだったの?

RL: まあ、初めてのちゃんとしたボードスポンサーだね。

BL: いや、初めてのボードスポンサーを教えてあげなよ。

RL: 実はベンと一緒にSmoke Beer Skateboardsっていうブランドに所属していた(笑)。

BL: しかもライダーなのにデッキを買わないとダメだったんだ。1枚40ドル。母親に「Smoke Beer(ビールを吸う)っていうスポンサーがついた」って。グラフィックにはタバコとビールの缶、ThrasherじゃなくFlasher(露出狂)という雑誌が描かれてあって。そして女の子がおっぱいを揉んでいるんだ。母親は感心しなかったね。デッキにDGKのステッカーを貼ってチームからキックアウトされそうになったこともあった。デッキを買わされているのに。意味がわからないよね。

V: (笑)。ベンはまだHoddleのライダーじゃなかったけど、昨年LAツアーを敢行したよね。そのツアービデオの冒頭でケビン・シーリーがiPhoneにビール瓶を落として遊んでいたけど、それは何だったの?

RL: 過去にHoddleのアートワークを手掛けたことのあるイーライってヤツがFootprintのインソールにハマってたんだ。それで品質を試すためにドロップテストをしていたんだ。それがエスカレートして、なぜかスマホに直接ビール瓶を落とそうということになって。ケイレン(・ノリス)のiPhoneだったんだけど、その後2週間もバキバキのまま使い続けていたね(笑)。

 

V: エンダーのキャバレリアルはヤバかった。

RL: あれはワイルドなセッションだった。Neckfaceもいて安全反射ベストを着て交通整理をしてくれたんだ。金曜日の夕方5時とかで交通量が多かったから。なぜキャバレリアルがいいトリックだと思ったのかはわからないけど(笑)。

V: スピン系のトリックが得意だよね。Carhartt WIPのビデオでもエンダーがバック3だったよね。あれもヤバかった。

RL: 持ち技が少なくてあまりデッキを回せないから(笑)。あれはCarharttからクリップを撮るように頼まれて形になったビデオだった。ジェフといつものようにホドルグリッドで撮影した感じ。いつもやっていることを映像にしただけだね。

 

V: ジェフはInternet Birthdayを手掛けているよね。オーストラリアのシーンが身近に感じられる良いビデオシリーズだね。

RL: そう。Thrasherでシリーズを担当していて、最近はそのシリーズでツアーにも出ている。ニュージーランドにも行ったし、今年の初めには北島のオークランドでも撮影をした。

BL: Nikeのライダーだけじゃなくてメルボルンから他のシューズに所属する仲間を連れていけるのも最高だね。結局はディグビーとショーン(・ポール)を加えたNikeツアーのような感じだけど。


 
HODDLEはメルボルンを代表するブランドだし、メルボルンは世界で一番好きな場所(ベン・ロウリー)

V: ベンは7月にHoddleから“No Place Like Home”というエディットを公開したよね。

BL: Hoddleはブランドが始まったときからずっと好きなブランドだったんだ。Hoddleはメルボルンを代表するブランドだし、メルボルンは世界で一番好きな場所。他の場所に住みたいとも思わない。Hoddleの一員になれたのは最高だし、ライダーじゃなかった頃からずっとヤツらと関わっているような感じがしていたし。また故郷に帰ってきたような気分だ。

V: 一時期はスケートから離れていたんだよね?

BL: ああ、燃え尽きちゃったんだ。自分のためにスケートしていない状態に陥っていることに気づいてしまってね。頭の中はずっと12歳の頃のままで、自分が何者なのかわからなくなった。そんなマインドセットから抜け出せなくなって、いい意味で少し大人になる必要があったんだ。

V: でもスケートから離れたのは怪我のせいでもあったんだよね?

BL: まあ、怪我というほどでもなかったんだけどね。かかとを打撲して数週間スケートができなくなって、それ以降はなぜかスケートがイヤになってしまった。それまでは怪我をしても無理やり滑っていたんだ。でも「滑りたくなければ滑らなくていい」って気づいて。そして滑らない状態が3ヵ月になり、半年になり。なんとなくまた滑りたいような気がしても「まあいいや」って感じになって。「一度滑り始めたら周りに期待されるんじゃないか」とか。何度も考えすぎたけど、最終的には「もういいや。どうでもいい」って感じで滑りに行ったんだ。最初は50-50もろくにできなかったけど、楽しむためだけにまた滑り始めたからそんなことはどうでもよかった。だってそれまで滑らなかった時期なんてなかったんだから。12歳でスケートを始めてから、文字通り欠かさず毎日スケートをしていた。足首をひねって風船みたいに腫れても次の日に滑って、またすぐに足首をひねってしまう始末。そうなるとスイッチの練習をして、また足首をひねって。当時は足首がなくなっても滑っていたと思う(笑)。少し休むことを覚えればよかったのに、自分で自分を苦しめていたんだ。スケートをするということも大事だけど休むことも大事。そういうバランスを取ることができなかったんだ。

V: Thrasherのインタビューで「スケートから離れていた時期は仲間を避けていた」って言っていたよね。ラフに聞きたいんだけど、ベンがいなくなったときはどんな感じだったの?

RL: 間違いなく街の話題だった。みんな「ベンはどこだ? もう二度とスケートしないんじゃない?」って。オレはベンが戻って来るって信じていたけど、たしかに街からベンが消えたのは変な感じだったね。

BL: またスケートをするつもりだったけどね。でも変な噂をたくさん耳にしたのを覚えているよ。「ガールフレンドを妊娠させて出産費用がかかるからフルタイムで働かなきゃいけない」とか。誰がそんな話をでっち上げたんだろうね。でもみんなそこまでオレのことを考えてくれているのは事実だから。

RL: しかもベンの噂はメルボルンに留まっていなかったんだ。その年にコペンハーゲンに行ったんだけど、プロスケーターたちはみんな「リンカーンスクエアのあいつはどうしたんだ? どこにいるんだ?」って感じだったから。

BL: スケートを再開してコペンハーゲンに行ったときも、マイク・アーノルドが近づいてきて「オーストラリアから来たんだろ?」って言われたんだ。そしたら「リンカーンチャイルドは?」って言い始めて。オレは「そのニックネームはどういう意味?」って聞かれたと思ったから「ああ、オレはリンカーンスクエアっていうスポットでずっとスケートしていたから。静かなタイプだったから誰もオレの名前を知らなかったからそう呼ばれるようになった」って答えた。するとヤツは「えっ!? オマエがリンカーンチャイルドなの?」って。あれはヤバかったね。かなりランダムな体験だったけど、そういう体験談が他にもあるんだ。コペンハーゲンでトム・ペニーに会ったときも同じような感じだった。トムは「ああ、オーストラリアから来たの? メルボルン? 少し前に行ったよ。3ブロックの上にレッジがあるスポットでも滑った。そこでヤバいヤツがいてさ。バックテールで全流ししてたんだ」っていろいろ話してくれて。「それオレじゃん! あのときにもらったタオルは今でも持っているよ!」って感じで(笑)。実はそのときレッジが濡れていたからトム・ペニーがタオルをくれたんだ。

ブライス・ゴールダー(以下BG): 実はベンがスケートから離れたときはみんな怒っていたんだ。あんなにバックテールを流せるくらい上手いのにって。まあ、本人にしてみればスケートから離れた理由は単純なことじゃなかったわけだけどね。

BL: でもオレはスライドやグラインドを流すことしかできないんだ。ステアもほとんど飛ばない。ラフのように飛べればいいんだけど。お互いトリックを交換してバランスを取ったほうがいいね(笑)。

V: でもベンが復活したときはみんな喜んだでしょ?

BL: そうだね。みんなに誤解を解いて、オレがみんなを遠ざけようとしたわけじゃないってわかってもらえてよかったよ。オレはただスケートをしていないことにどう向き合えばいいのか考えていて、当時は周りから「スケートしろ」って言われることに耐えられなかったんだ。すべてはオレのせいなんだけどね。でも当時はどうすることもできなかった。戻ってきて友情を取り戻せたのは良かった。

 

V: エンダーのバックテールからのビッグスピンアウトについて聞かせて。アウトのしかたがヤバかったよね。

BL: その日が、あのエディットの締め切りだった。全体的にトリック数が少なかったから、どうしてももう1トリック必要だった。それで朝にあのスポットに行って、キックフリップバックテールをしようとしたら、すぐにキックアウトされて。ステートライブラリーに場所を変えて別のトリックをトライしていたら、背中からスケートストッパーに落ちて鬼スラム。身体がボロボロだったけど、どうしても1トリックが必要だからフェドスクエアに戻ったんだ。バックテールビギーをトライして、またスラム。今度は手首を骨折。だから転んで手をつくことはできない。あんな感じでポップアウトしたのはそれが理由。転ぶリスクを冒せないから、ああいう形でメイクするしかなかった。高い位置でデッキを完璧にキャッチしなければならなかった。メイクできてラッキーだったよ。あのスポットはメルボルンの中でもすぐにキックアウトされる場所だから。だから昔からあるけど誰も滑っていない。数年前にショーン・ポールがフロントテールをメイクしたくらい。だからあのトリックをメイクできてぶち上がったね。

V: デッキの回転も独特だった。

BL: フリップアウトをするときは、それが普通のフリップトリックだと思ってやっているから。少なくともレッジと同じ高さでフリップをキャッチしたい。そうじゃないと満足できない。

V: ヤバいね。Hoddleは姉妹ブランドのPass~Portと同じくオーストラリアの先住民コミュニティを支援しているよね。

BG: ああ、これまでチャリティのTシャツを作ったりした。つねに何かしらできればと思っている。みんなできることをやろうとしている感じ。

BL: オレたちが住んでいるのは、自分たちの土地でないということを忘れてはいけないと思う。これは主にメルボルンとシドニーに関して言えることかな。入植したオレたちがオーストラリア人って主張するのはフェアじゃないとさえ思う。アボリジニの人たちがどのように扱われてきたかを考えると悲しくなる。彼らをリスペクトしなければならないし、少なくともそういう事実を知っておかなければならない。何をするにしても、オレたちはオーストラリアにいることで利益を得ているわけだから。アボリジニの人たちに対してフェアじゃない。この歴史を知ること、そしてそれを知らせることはとても重要なことなんだ。 

V: Slamのインタビューで知ったんだけど、ラフはNGV(ビクトリア国立美術館)で働いていたんだよね?

RL: スケートの仕事が増えてから、ここ1年くらいはやっていないけどね。メルボルンのメインギャラリーであるNGVで働いていたんだ。イベントの設営や撤収をするような仕事だったんだけど、スケートとすごく相性が良かったんだ。特定のシーズンの短期の仕事。ケイレンは街中のアートギャラリーで仕事をしているから、彼と一緒に作品を吊るしたりもしていた。アートに囲まれているから最高の仕事だよ。

BL: ちなみにラフは本格的にアートを勉強していたんだ。

RL: まあ、VCA(ビクトリア芸術大学)で絵画を専攻していたけどドロップアウトしたから。

BL: ドロップアウトしたことは伏せて絵画を学んだって言うだけでいいのに。

RL: (笑)。スケートの仕事が増えたからね。海外の美術館を回って、大学で習った作品を実際に見ることができたら最高だね。数年して膝が痛み始めたらまた大学に戻って絵を描こうかな。

BL: Hoddleを通じてメルボルンのアーティストをサポートできるのも最高だね。

BG: スケートのネットワークだね。スケートからアートに移行して活動している連中もいるから。またコネクトしてグラフィックを描いてもらったり。いいネットワークだと思うよ。

V: いいね。では最後に。今後の予定は?

BL: いつかラフと一緒に何かできればいいね。

RL: オレはいつも通りジェフとメルボルンでInternet Birthdayの撮影をする感じかな。ベンとHoddleのWパートを実現できればうれしいね。

BG: それいいね。ベンが鬼流しのスライド系、ラフがスピン系。お互いのいいところをミックスすれば最高だね。

BL: だね。そうすることで両方の長所を手に入れることができる。

RL: ああ、一緒に何かやろう。

BL: AIで顔を入れ替えるのもいいかもね(笑)。

 


Raph Langslow @raphaellangslow
Ben Lawrie @lincoln_square

メルボルン出身。メルボルンのスケートシーンをサポートしてきたHoddleのメンバー。来日時に撮りだめたクリップも近日公開予定。

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