ADIDAS SKATEBOARDING

ステンレスを中心とする金属加工を手掛けるステンレスアート共栄が、茨城県常陸太田市に新工場を開設。その広大な敷地内には、スケートボードやBMX、サーフスケートなどを楽しめるパークが併設され、地域に無料で開放される予定。製造拠点でありながら、なぜ工場の敷地にこれほど大規模なスケートパークを作るのか。その背景には、代表取締役・永友義浩自身のボードカルチャーとの長い関わりと、子どもたちの遊び場を次世代へ残したいという思いがあった。ステンレスアート共栄代表の永友義浩と 常務取締役川端康雄、そしてパークの設計・施工を手掛けるMBM Parkbuildersの木村將人に、このプロジェクトが生まれた経緯と、これから目指す場所について話を聞いた。
──ステンレスアート共栄 × MBM PARKBUILDERS

2026.09.14

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photos_Taiyo Tanida
Drone_ステンレスアート共栄
Special thanks_MBM Parkbuilders

VHSMAG(以下VM): まずは永友さんの自己紹介からお願いします。

永友義浩(以下YN): ステンレスアート共栄代表の永友です。子供の頃は福生に住んでいました。米軍横田基地のすぐ隣だったので、スケートボードやBMXが当たり前のように身近にある環境で育ちました。当時の日本では、まだ今のようにそうした文化が浸透していなかった時代です。その後、埼玉に移ってサーフィンをやりたくなったんですが、海なし県なので毎日は海に行けない。だったら陸上で何かできるものはないかとなったときに、本格的にスケートボードを始めました。清瀬のパークに通って、ボウルやランプに挑戦しては骨折したりしながら、すっかりその魅力に取り憑かれてしまった。ムラサキスポーツにも行くようになって、スティーブ・キャバレロが来日したときに見に行ったりしながら滑っていました。僕は昔から球技のような団体競技が苦手で、とにかくこういうアクティブなスポーツばかりが好きだったんです。

川端康雄(以下YK): 実は僕の家は社長の家の隣だったんです。僕の方が10歳年下で、子供の頃は本当にただのちっちゃな子供として「兄ちゃん、兄ちゃん」って後ろをついて回って遊んでいました。その後、社長が結婚されて長男が生まれた頃、やることがないからって家の前にジャンプランプを自作されたんです。僕はそれを横で見ていて、「オーリーってこうやってやるんだ」と教えてもらいながらスケートボードを始めました。そこから埼玉のストリートで本格的に滑るようになって、プロのスケーターたちとチームメイトとして活動するようになりました。一度スケートを辞めたタイミングでスノーボードが流行り始めて、僕も始めてメーカーからサポートされるまでになりました。でも腰を悪くしてしまって将来への不安もあったので、スノーボードを辞めるタイミングで社長に突然、「従業員募集してないですか?」って電話したんです。

YN: 本当に急に携帯に電話がかかってきて(笑)。当時はまだうちの会社は小さな規模だったんですが、川端が飛び込んできてくれました。僕自身、仕事を一生懸命やってきた理由のひとつには「横乗りのスポーツをもっとやりたい、自分の自由な時間を取りたい」という思いがあったんです。気づけばいい年になりましたが、今の若い世代を見渡したときの強い危機感が、今回のパーク建設につながっています。

番血気盛んな時期の子供たちが遊べる場所が、今の日本には本当に少ない
—永友義浩

VM: その危機感とは、具体的にどんなことだったのでしょうか?

YN: 僕らが子供の頃は、公園の鉄棒にしろ何にしろ、外で遊べる場所がたくさんありました。でも今はどんどん遊び場が規制されて、「外で遊ぶな。家でゲームをしていろ」というような状況になっている。僕は子供たちに外で遊んでほしいんです。遊びの中で、あえて少し危険なことを経験するからこそ、危険予知能力も身につく。「これは危ないな」と自分で判断しながら挑戦したり、身をもって学んだりする機会が必要だと思っています。特に小学校5、6年生から中学生、高校生くらいの一番血気盛んな時期の子供たちが遊べる場所が、今の日本には本当に少ない。大人の都合でオリンピックになれば「スケボーをやれ」と持ち上げるけれど、ブームが去れば「あそこでは滑るな」「これはダメだ」と排除する。サーフィンもスケートも同じです。ブームのときはちやほやされるけれど、一歩外れれば「何か悪いことをやっているんじゃないか」という目で見られる。それがずっと嫌だったんです。

VM: そこで工場の敷地を地域に開放しようと。

YN: そうです。「横乗りで遊んできたこと」は僕自身の原点ですし、会社が大きくなってもそれを忘れたくない。今回、将来の事業拡張も見据えて、埼玉に比べて土地が安価な茨城に非常に大きな土地を購入しました。当然、将来的には工場として使っていくための土地ですが、最初から全面を使うわけではありません。だったら、その使っていない土地を地域の方々や子供たちに開放して、自由に遊べる場所をつくれないかと考えました。その中のひとつがスケートパークです。遊びを通して、子供たちに文化やモラルを学んでほしい。それが地域に根付くきっかけになればいいなと思っています。

 

個人所有のパークとしては間違いなく日本最大規模ですし、規格外の挑戦だと思います
—木村將人

VM: 木村さんは最初にこの依頼を受けたとき、どう思いましたか?

木村將人(以下MBM): 最初の打ち合わせは現場近くで待ち合わせたんですが、普通の敷地だと思って行ったら、案内された広さを見て腰を抜かしました(笑)。「こっからあそこまで、この広大な土地を全部使う」と言われて、「嘘でしょ!? 行政から予算が少しでも出ているんですか?」と聞いたら、「完全自己資金です」と。それで最初は、「いや、絶対に考え直した方がいいです」って引き留めました(笑)。さらに驚いたのが、永友社長が「この広い土地を全部コンクリートで埋めて、夢のネバーランドをつくりたい」と、今の完成サイズより何倍も大きい構想を描いていたことです。

YN: 夢がでかすぎたね(笑)。

MBM: 「それはさすがにやりすぎです。段階的にブラッシュアップしながらつくっていきましょう」と。それが最初の打ち合わせでした(笑)。個人所有のパークとしては間違いなく日本最大規模ですし、それを完全に無料で開放するというんですから。規格外の挑戦だと思います。

 


 

VM: 今回のパークの設計で、最も特徴的なのはどこでしょうか?

MBM: 社長から最初に「真ん中に大きな山が欲しい」という強いリクエストがありました。そこで、その山の真ん中にボウルを入れようと考えたんです。ただ、この敷地は自然排水しかできず、水を汲み上げることができないため、ボウルを地盤より上につくらなければいけませんでした。そこから、サーファーやスケーターが楽しめる大きめのアールを逆算していった結果、2600Rというバーチカルに近い巨大なボウルになりました。

 

VM: 車で近づいても、遠くから「あ、山がある」とわかるくらいの存在感ですね(笑)。

MBM: そうなんです。でも、結果的にあれだけ大きな山になったことで、このパークのすごくいいシンボルになりました。ボウル自体は大きいですが、アールがゆったりしているので、サーファーは飛んだりグラインドしたりしなくてもカービングしているだけで波に乗っているような感覚を楽しめる。クイックに動く1800Rのようなスケーター向けの設計ではなく、サーフスケートでも気持ちよく遊べる大きめの設計にしています。

YN: すでに近くの浜にいるローカルサーファーたちの間でも噂になっていて、息子が海に行くと「あそこのパークの息子だろ? 滑りに行くからな!」って声をかけられるくらい、みんな楽しみにしてくれています。

VM: パーク全体はどのような構成になっていますか?

MBM: 全体の8割くらいは横乗りやサーフスケートを意識したスネークランやセクションで、後半にストリートのセクションを入れています。一番手前側のエリアは、うちの若いスタッフたちにデザインを任せました。

YN: 駐車場の隣には、フラットで自由に使えるエリアも設けています。ここはDIYエリアにして、みんなで木材などを持ってきて、レールやランプを自分たちでつくって置いて遊べるようにしたいんです。僕自身、ものづくりの人間なので、自分でつくる喜びを子供たちにも知ってほしい。金属加工に限らず、ものづくりの基本は同じだと思っています。完成したものをただ使うだけじゃなくて、地域のみんなでパークをつくり上げていく。その楽しさも共有できればと思っています。

 

VM: ステンレスアート共栄の本業であるものづくりと、スケートパークづくりには共通する部分もありそうですね。

YN: うちは航空機の部品から半導体部品、みなさんが食べるお菓子を焼く機械やピザ窯まで、非常に幅広い精密溶接・加工を手掛けています。また、舞浜にある某有名施設での複雑な立体構造を持つテーマドームやグローバル展開するキャラクターブランドの大型オフィシャルストア内の構造物の設計・製作など行いました。ものづくりもアクションスポーツも、基本は同じだと思うんです。自分の頭の中でイメージしていることを、手を動かして形にして、目で見て判断する。そういう感覚の鋭さは日本人が非常に長けている部分だと思いますし、世界に誇るべき技術だと思っています。

VM: パークを工場のすぐ隣につくったことにも意図があるのでしょうか?

YN: あります。工場の壁をガラス張りにして、パークで遊ぶ子供たちや地域の方々が、外からものづくりの様子を見られるように設計しました。例えば「溶接」と言っても、世の中にはそれがどういう仕事なのか知らない人がたくさんいます。でも、子供たちが遊びに来たときに工場の中を見て、「こういうかっこいい仕事があるんだ」と知ってもらえたら、将来の職業の選択肢がひとつ増えるかもしれない。少子高齢化が進む中で、そういうこともすごく大事だと思っています。さらに、パークを拠点にものづくりのワークショップも定期的に開催したいと考えています。例えば1週目に3Dモデリングを学んで、2週目にデータをつくり、3週目には実際に金属を加工して形にする。自分たちでランプをつくるDIYも含めて、遊びとものづくりが融合した、開かれた場所にしていきたいですね。

VM: 川端さんはこのプロジェクトをどう見ていますか?

YK: 社長が昔からスケートや横乗りをやっていたことを僕は知っているので、今回の話も突然出てきたものではないと思っています。自分たちが若い頃にやってきたことや経験してきたカルチャーが、会社の仕事や地域との関わりにつながっていく。そこはすごく面白いところだと思います。

VM: 木村さんから見て、このパークならではの強みはどこにありますか?

MBM: 何と言っても、完全無料で、受付もないという点ですね。日本の公共パークだと、アプリで事前登録をして、窓口で受付をして、さまざまなルールの中で滑るというケースが多い。でもアメリカのパークに行くと、フラッと来て、さっとプッシュして、自由に滑って帰っていく。それが普通なんです。「海に入ったけど波が良くないから、帰りにパークでサーフスケートをしていこう」と思ったときに、公共施設だと「もう受付時間が終わっています」となってしまうこともある。民間所有、それも個人所有だからこそ、もっと自由に行き来できる場所をつくれる。その点は、このパークの大きな魅力だと思います。

この場所に来た人たちが遊んだり、人と出会ったりしながら、自然に文化やモラルを身につけていってほしい
—永友義浩

VM: スケートパークをつくって終わりではなく、その先にあるコミュニティまで見据えているわけですね。

YN: そうですね。僕は、この場所に来た人たちが遊んだり、人と出会ったりしながら、自然に文化やモラルを身につけていってほしいと思っています。ゴミを当たり前に持ち帰る。誰かが転んでいたら「大丈夫?」と声をかける。知らない人同士でも挨拶する。そういう人として当たり前の優しさやルールって、誰かから一方的に教えられるものではなくて、遊びやコミュニティの中で自然と学んでいくものだと思います。

VM: 完成はいつ頃を予定していますか?

YN: 工場での製造自体は先に始めていきますが、パークや芝生のある公園エリアも含めた全体のお披露目は、緑がきれいに生え揃う来春を目指しています。完成したら、お年寄りも、男性も、女性も、子供も、誰の目も気にせずに集まって、みんなが笑顔になれる場所にしたい。かつて僕たちがアメリカのカルチャーやかっこいい大人たちに憧れてここまで歩んできたように、今度は僕たちが次の世代の子供たちに、その経験や場所を渡していきたいんです。パークをつくること自体がゴールではありません。ここから何かが生まれて、地域に根付いていく。そうなって初めて、このプロジェクトは成功したと言えるんじゃないかと思っています。

 



有限会社ステンレスアート共栄 @stainless_art_kyoei

埼玉県富士見市を拠点に、ステンレスを中心とした精密板金・溶接・研磨などを手掛ける金属加工会社。3D設計から加工、組み立てまで一貫して行い、食品機械、半導体関連、航空機内装部品など幅広い分野に携わる。2026年には茨城県常陸太田市に新工場を開設し、敷地内にスケートパークをはじめとする地域に開かれたスペースを整備している。

MBM Parkbuilders @mbm_parkbuilders

茨城を拠点に全国各地のスケートパークを手掛けるパークビルダー集団。有限会社マサケンを母体に、スケーターでもある職人たちがコンクリートパークを中心に設計・施工を行う。2000年頃に自ら運営するAXISのパークビルドからスタートし、公共施設からプライベートパークまで数多くの施工実績を持つ。

  • MBM Parkbuilders
  • スケートボードを学びながら高校を卒業する|Xeスポーツストリートスクール