ADIDAS SKATEBOARDING

シアトルの仲間内で始まったビデオプロジェクトから注目を集めるスケートブランドへと成長したGenesis。そのルーツ、ビデオプロジェクトからデッキカンパニーへの移行、LAへの移住、そして現在制作中のフルレングス『Genesis 4』について、ファウンダーのイアン・オストロウスキーに話を聞いた。
──IAN OSTROWSKI / イアン・オストロウスキー

2026.09.07

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photo_Ian Michna

VHSMAG(以下VM) : Genesisはビデオプロジェクトとして始まったんだよね。そもそもどんなアイデアから始まったの?

イアン・オストロウスキー(以下IO): 正直、スケートパークにいつも一緒にいる仲間がいたってだけなんだ。みんなシアトル出身で、ただ一緒に遊んでビデオを作りたかった。それが原点。Tシャツを何枚か作ったりもしたけど、一番の目的はみんなで滑って撮り続けることだった。

VM: Genesisを正式に始める前からスケートビデオを作ってたんだよね?

IO: そう。中学、高校の頃はBEACONTAGEっていうスケートパークのモンタージュシリーズを作ってた。そのうち何本かは今もネットに残ってる。おもしろいのが、12歳くらいのめちゃくちゃ若いトロイ・ギプソンとか、今のGenesisのビデオに出てる仲間がまだ子どもだった頃の姿が見られること。Genesisが本格的に始まったのは、「もうストリートだけ。ストリートでの撮影をちゃんとやろう」って決めた頃かな。あと大きかったのは、HMCのカメラ用にようやくXtremeレンズを手に入れたこと。それまではフィッシュアイのないDSLRしか持ってなかったから。あのレンズを手に入れた瞬間、「よし、ここからはもうちょっと本気でやろう」って感じになった。

VM: その後、3本のフルレングスをリリースしてるけど、作品を重ねるなかでクルーやプロジェクトはどう変化していった?

IO: 最初のビデオは本当に小さなグループだった。子どもの頃からの仲間とか、スケートパークで一緒に遊んでた連中とか。そこから自然にメンバーも変わっていった感じ。ビデオが1本変わるごとに半分くらいは残って、残りの半分はそれぞれ別のことを始めたりして、そこにまた新しい人が自然と入ってくる。1本目の後くらいから、特に中心となるクルーにフォーカスするようになった。トロイ・ギプソン、ザヴィエル・ホルテ、ジャスパー・ラヴィーン、バオ・グエン。最初のビデオの頃はみんな16〜17歳くらいで、トロイにはフルパートがあって、他の3人はモンタージュをシェアしてた。『Genesis 2』の頃には、そのメンバーが完全にビデオの中心になってたね。




 

VM: 彼らより少し年上だけど、自分では兄貴分みたいな存在だと思う?

IO: 完全に兄貴分って感じだね(笑)。オレはいま28歳で、みんなは20代前半。ジャスパーが23歳で、バオが24歳。でも最初のGenesisのビデオが9年前だから、もう10年以上一緒に滑って、撮って、遊んでることになる。みんなが成長していくのを見てこられたのは本当に最高だよ。今はそれぞれ自分のことをやってるし、みんな仕事もしてる。トロイなんてSupremeで世界中を飛び回ってる。それを見るのもすごくうれしい。でも今でもみんなちゃんと関わってるしGenesisの一員だよ。

VM: Genesisがビデオプロジェクトからデッキを作るようになって、実際のブランドになったのはいつ頃?

IO: そのアイデア自体は前から少しずつ試してたんだ。最初のビデオを出したときも、裏庭でシルクスクリーンしたTシャツを作ってたし。でも本当に少量で、年に1、2種類作るくらい。ちゃんとデッキを作って、シーズンごとに商品を出すようになったのは2022年の終わりか、2023年の半ばくらいかな。始まった経緯はかなりクレイジーなんだけど。仲間の何人かがDwindle傘下のMonarchっていうカンパニーのライダーだったんだ。2021年か2022年頃にDwindleがダメになって、傘下にあったいくつかのブランドもなくなった。オレはMonarchのプロジェクト用にかなり映像を撮ってたし、ツアーマネージャーもやって、1週間ずっとバンを運転したりしてた。撮影と仕事を合わせて2,000ドル以上のギャラになるはずだったんだけど、会社がなくなったから払ってもらえなかった。そしたらDwindleで働いてた仲間から連絡が来て、「倉庫にDwindleのブランクデッキが大量にあるから、支払いの代わりに180枚渡せる」って言われたんだ。ただし送料は出せないから、カリフォルニアのテメキュラまで取りに来てくれって。当時はまだシアトルに住んでたから、車2台に分かれてシアトルからテメキュラまで走った。もうほとんどメキシコ国境の近くだよ(笑)。17〜18時間くらいかかったかな。180枚全部シアトルに持って帰って、地元でプリントしてもらった。今考えると笑えるよね。今ならそのままカリフォルニアでプリントに出してる(笑)。でも、そうやって最初の200枚くらいのデッキをタダで手に入れたところから、どんどん広がっていった。

VM: そこまでのロングドライブをする価値はあった?

IO: もちろん。最高だったよ。途中でSF、LA、ポートランドとかに寄って撮影もしたからね。その旅を記録したショートビデオも作った。一応、目的はデッキを取りに行く「出張」だったんだけど、実際は仲間との楽しいスケートトリップって感じだった。

VM: デッキを作り始めて4年くらい経つけど、今のGenesisをどう捉えてる? 今でもビデオプロジェクト? それともスケートカンパニー?

IO: 根っこの部分では、これからもずっとビデオプロジェクトだと思う。実際、次のフルレングスの『Genesis 4』の制作も始めてるし。ブランドの中心にはつねにビデオがあってほしい。ただ『Genesis 4』はGenesisをちゃんとブランドとして確立する1本にしたいと思ってる。これまでのフルレングスでは、出てるスケーターが実際にGenesisのデッキに乗って、Genesisの服を着てるっていうことがなかった。でも今回はそこが違うし、特別な作品になると思う。チームも自然に広がってきた。もう地元の仲間だけじゃなくて、いろんな場所の若いスケーターがGenesisのデッキに乗って、このビデオのために撮影してるから。

VM: Genesisのビデオを観てると、本当に仲がいいんだなっていう空気感が伝わってくる。ブランドのアイデンティティにとって、友情はどれくらい重要?

IO: 一番重要だよ。ただビジネスとして大きくしていこうとすると、そのバランスは難しいよね。どこかで線を引かなきゃいけない。「オレたちは友達なのか、それともビジネスパートナーなのか?」って。もともとは仲間のグループとして始まったし、その精神はずっと残していきたい。あとGenesisには、ちょっと独特な考え方がある。普通スケートブランドはチームを辞めたらもうそのブランドのメンバーじゃなくなる。でもオレのなかでは、一度でもGenesisのビデオでパートを持ったことがあるなら、一生Genesisなんだ。今はenjoiのライダーのディラン・クラークみたいに、Genesisのデッキに乗ってなかったり、服を着てなかったりしても関係ない。ずっと仲間だし、ずっとこのグループの一員だよ。

VM: トロイとエリース・ヘッジはニューヨークに移って、トロイは今やVioletのプロ。エリースも自身のアートワークを使ったVentureのトラックを出してるよね。ふたりと撮影したり遊んだりしてた頃で、特に印象に残ってる思い出は?

IO: ありすぎるよ(笑)。『Genesis 2』の大部分を撮ったのがパンデミックの時期だったんだ。かなり奇妙で特別な時期だった。シアトルのダウンタウンから完全に人がいなくなって、何をやっても誰にも何も言われないような状態だった。街のど真ん中でサッカーボール蹴って遊んだりしてたくらい。あと、1年後までオレに黙ってた笑える事件があった。その日はオレが仕事だったから、ふたりにカメラを貸して「撮ってきていいよ」って言ったんだ。ふたりは学校のスポットに行って、途中で腹が減ったからランチを食べに行った。で、カメラをその場に完全に置き忘れた(笑)。1、2時間そのまま学校に置きっぱなし。気づいて慌てて戻ったらしい。でもコロナ中で誰も外にいなかったから、奇跡的にカメラはそのまま残ってた。それを1年後になって、「そういえば、あのときスポットにカメラを1時間くらい置きっぱなしにしたんだよね」って告白されたんだ。「おい、マジかよ!?」って(笑)。まあ、結果的には何もなくてよかったけど。

VM: 『Genesis 2』はいいビデオだったね。トロイのパートもヤバかった。シアトル育ちだけど、今はLAが拠点だよね。移住したきっかけは?

IO: シアトルは育つには本当にきれいで素晴らしい場所なんだけど、スケートする上で一番キツいのが天気なんだ。雨が多すぎて、実質1年の半分くらいしか滑れない。雨が降ってなくても路面が湿ってるし、秋冬は信じられないくらい早く暗くなる。できるなら毎日スケートを撮りたいと思ってたけど、シアトルにはそのチャンスがなかった。撮影してもギャラが出るわけでもないのに加えて、ずっと雨が降ってる。とにかく環境を変えたかった。2020年にトロイとエリースがニューヨークに引っ越して、引っ越しを手伝うために3週間くらいふたりのところに滞在した。でも3週間経った頃には「ニューヨークはオレには無理だな」ってわかった(笑)。重い機材を全部持って、汗だくになりながら毎日地下鉄に乗るのが耐えられなかった。それでシアトルに戻って、さらに1、2年住んで『Genesis 3』を完成させた。あれはアメリカ中を旅して撮ったけど、中心はシアトルとポートランドだった。その後、ちょうどLAに引っ越してたJenkemのイアンと話してたら、「こっちに来るなら手伝ってほしい仕事があるかもしれないし、映像の仕事も振れると思う」って言ってくれて。それを聞いて一気にテンションが上がったよ。ディラン、ジャスパーとクレイグスリストを見てたら、古い3ベッドルームのヴィクトリアンハウスを見つけたんだ。最初に申し込んだ物件だったんだけど、1ヵ月後には審査も通った。それで荷物をまとめて車でLAまで来て、そのまま一度も後ろを振り返ってない(笑)。2024年の頭だったから、もう2年半くらい経つね。今でもシアトルにはよく帰って遊んだり撮影したりしてるけど、LAは最高だよ。

VM: シアトルで育ったことは、自分のスケートや映像に対する考え方にも影響してると思う?

IO: 間違いなく。カリフォルニアに引っ越して気づいたんだけど、こっちの人はほとんど夜に滑らないんだ。たぶん「明日も晴れるし、その次の日も晴れる」ってわかってるから、焦る必要がないんだと思う。でもシアトルだと、明日から1週間ずっと雨かもしれない。だからつねにものすごいプレッシャーがあった。「このトリックは今メイクしなきゃ。カメラにライト付けて、まだやろう」みたいな感じ。ビデオを完成させたかったら、晴れた日は1日たりとも無駄にできなかった。1ヵ月に滑れる日が1、2日しかないことだってあるからね。その感覚が、オレの仕事に対する姿勢を作ったと思う。

VM: SNSですべてがものすごいスピードで消費される時代だけど、それでも昔ながらのフルレングスというフォーマットを大切にしてるわけだよね。今の若いスケーターも、まだビデオパートに価値を感じてると思う?

IO: Instagramが出てきて間違いなく変わったよね。フルパート自体に興味がないスケーターもいる。ハイライトだけSNSに載せたいとか、ベストクリップを3本だけ投稿できればいいっていうスケーターもいる。でも、だからこそ『Genesis 4』がすごく楽しみなんだ。今回はこれまで自分だけのちゃんとしたフルパートを持ったことがない3、4人のスケーターのパートを作ってる。それが彼らにとって、初めて大勢の人に名前を知ってもらう瞬間になる。数分間、ずっとそのスケーターだけを観てもらえるわけだから。ビデオパートはミュージシャンにとってのアルバムみたいなものだと思う。YouTubeで自分の名前を検索したときに、自分だけのフルパートがちゃんと出てきてほしい。それはすごく特別な節目なんだよ。本人たちは今の時点では、その大切さを完全にはわかってないかもしれない。でも公開されたときに、その意味を感じてもらえたらいいなと思ってる。

VM: 齋藤吟平がGenesisに関わるようになったきっかけは?

IO: ちょうどデッキを作り始めた頃だった。日本のBeacon Distributionから「Genesisを取り扱いたい」って連絡が来たんだ。それから1年間くらい、毎月のように吟平の映像をDMで送ってきた。まだ小さくて、バケットハットにPumaを履いてる頃の吟平ね。「この子見てよ、めちゃくちゃヤバいから」って。最初はちょっと迷ってたんだ。Genesisは仲のいい仲間のグループとして始まったものだから、実際に会ったこともない日本の子にただデッキを送るっていうのは、なんか違う気がしてた。だから、まず本人に会いたかった。そしたら偶然、吟平がDamn Amに出るためにアメリカに来ることになって、その後LAにも来た。それで兄貴の丈太郎と1週間くらいうちに泊まることになった。一緒にLAで滑って、Genesisのみんなとも遊んだ。その1週間が終わる頃には、もうわかってた。「こいつはオレたちの仲間だ」って。オレたちの空気感に完全にハマってたし、吟平をチームに入れることに100%違和感がなかった。

VM: 少し前に吟平も収録されてる“Rokunana(67)”っていうエディットを出したよね。あのタイトルにはどんな意味があるの?

IO: (笑)。吟平がLAに来てたとき、バオが5分おきくらいに「これ日本語でなんて言うの?」って、ずっといろんなことを聞いてたんだ。「おはようはなんて言うの?」とか、適当な汚い言葉とか(笑)。そのなかで突然、「67って日本語でなんて言うの?」って聞いて、吟平が「ロクナナ」って教えてくれたんだ。それでオレたちが「日本でも“ロクナナ”ってネタっぽく言ったりするの? それとも普通にシックスセブンって言うだけ?」みたいに聞いたら「普通にシックスセブン。日本も同じ」みたいな感じで。本当にくだらない瞬間なんだけど、スケートカルチャーとかミームとか、くだらないジョークって世界中どこでも同じなんだなって(笑)。だからあのタイトルは、オレたちの内輪ネタであり、そういうつながりへのちょっとしたオマージュでもあるということかな。


 

VM: ちなみに最近、日本にも初めて来たんだよね?

IO: そう。初めての日本だった。X Games ChibaのSNS用映像を撮る仕事で行ったんだ。イベントが終わって滞在を4日間延ばして東京に残った。そこで吟平と合流して、仲間たちがいろんなところに連れていってくれた。グループでアメリカ人はオレひとりだったんだけど、それが最高だったね。みんなスポットを知ってるし、移動の仕方もわかってるし、キックアウトされずに滑れる時間帯まで知ってる。住宅街のスポットとか、路地とか、公園とか、いろんなところで滑った。本当に最高の旅だったよ。

VM: いいね。あとInstagramで@reviewingnachosっていうアカウントを見つけたんだけど、あれはイアン?

IO: (笑)。そう、あれ全部オレ。もう5年くらいやってるかな。いろんな店に行ってナチョスを食べて、どこが良かったとか、ここはイマイチだったとか、かなり細かくレビューしてる。日本にいる間もナチョスのレビューをやりたかったんだけど、残念ながら見つける時間がなかった。次に行くときは日本のナチョスを食べることが間違いなく最優先事項だね(笑)。
 

Ian Ostrowski
@ianostrowski_ @genesis_video

シアトル出身。現在はLAを拠点に活動するフィルマー/映像作家。長年一緒に撮影してきた仲間たちとのビデオプロジェクトとしてスタートし、現在はスケートブランドへと発展したGenesisのファウンダー。Jenkemの映像制作にも携わりながら、Genesisの次作を撮影中。

  • MBM Parkbuilders
  • SWIM Skateboard Co.