PLANT初のフルレングス『仄暗』がついに完成。ディレクターの榎 匠馬が東京の夜明けを仲間たちと走り抜けた2年半の記録。仄かな光をまとう過程と想いを、本人の声で振り返る。
──TAKUMA ENOKI / 榎 匠馬

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Photos courtesy of Plant Griptape
VHSMAG(以下V): まず今回のビデオプロジェクトがスタートした経緯は?
榎 匠馬(以下T): ただの初期衝動ですね。たくさんのスケートビデオを観てきて海外のものからも影響は受けてるんですけど、特に日本のビデオに強く影響を受けていて。たとえば『43-26』とか『Skate Archives.』『Night Prowler』『LENZ II』とか…。いろんな作品から刺激をもらって、気づいたら「やっぱ日本のスケートシーンが一番かっこいいな」って思うようになってたんです。それで「自分たちもDVDを作りたいね」っていう話になって。最初はただのノリというか勢いだったんですけど、いつの間にか自然と動き出してて、それが気づいたらフルレングスの作品になってた感じです。
V: それが2年半くらい前ということだよね。制作を通して伝えたかったことや映像に込めたメッセージは?
T: メッセージとしては「作品を作る」っていうのがスケートの醍醐味のひとつだと思ってます。特にストリートで撮影して作品にしていくという行為。でも最近はその感覚が少し薄れてきてるような気がしていて。昔はビデオを出さないと誰にも見てもらえなかったから、みんな自然と作品作りに向かってたと思うんですよね。でも今はSNSとかで簡単に見せられる分、そういう動きが減ってるのかもしれない。でもだからこそ敢えてストリートで撮ってちゃんと形にしていくと、逆に新鮮に感じるみたいで。先輩たちからも「いいね」って言ってもらえるし、自分たちもやっててすごく楽しい。作品を残すっていうのはこれからもずっと続けていきたいと思ってます。10年後、20年後に僕らの後輩にあたる若い世代が出てきたときに僕らの作品を観て「ブランドやりたい」とか「ビデオ撮りたい」って思ってもらえるような影響力のある作品は残していきたいです。僕らが先輩のビデオ観て影響を受けたように。少数派になってきているから逆に仕掛けやすいですし、そんな想いを持った若手がひとりやふたりいないと今後の日本のスケートシーンは盛り上がっていきませんからね。
V: 作品の内容はポジティブだったけど「仄暗」というタイトルには暗いイメージがあるよね。タイトルに込めた思いは?
T: 最初はけっこう漠然としてたんですけど、日本語タイトルで勝負したいと思ってました。やっぱり日本のビデオだし、舞台も日本だし、まずは日本にリスペクトを送りたかった。スケートってもともと海外のカルチャーだから英語のタイトルをつければ自然とかっこよくなるんですけど、敢えてそこじゃないところで勝負したいなって。たとえば『東西南北』とか漢字四文字のタイトルだったり、鳥さんの『愛の鉄砲玉』とか。そういう「日本のスケートビデオ」って伝わってくる作品たちにすごく影響を受けて、自分もそういう方向でいきたいと思ってました。だから「日本語タイトルにしよう」っていう想いだけはあったんですけど、実は撮影を始めた時点ではまだタイトルが決まってなくて。結局、完成の1年くらい前までずっと未定で、「Plant Videoじゃなぁ…」とかいろいろ悩んでて。東京ってストリートの撮影が本当に厳しいんで、どうしても深夜から始発にかけて動くことが多くて。それで朝方に空が少し青ざめる時間帯があって、その時間って1時間くらいしか見られない光景で、空も地面も街も青ざめて妙にエモーショナルなんです。毎日のように朝まで撮影を繰り返してその時間が訪れると「今日も1日終わりだ…」って僕らにとって1日の終わりを告げる時間になっていました。撮影の締切も迫ってくるし、みんなプレッシャーも感じたり撮れない日もあるし。ピリついたシリアスな時間もたくさんありました。過酷な撮影の日々が続くにつれて「この動きいつまで続けられるんだろうね」ってよくみんなで撮影終わりの始発待ちで話してました。寝ないで仕事に行ったり、数時間だけ寝てまた集合して…。そういう生活はいつまでもできるもんじゃない。だけど、その無理してでも動いてる時間が、なんかすごくかけがえのないものに思えたんですよね。キツかったけど楽しかった。朝までスケートするって、ある意味すごく日本的というか、日本の独特なスケート文化だなって感じて。その朝方の空気感と光景にグッときました。初めてのフルレングスビデオだったので当初はみんなにどう思われるかしか頭になかったんですけど、いつしか「今しかないこの時間」や「楽しさ」を記録して伝えることも大事だと思うようになってたんです。それで、あるときふと『仄暗い水の底から』っていう映画を見返して…。
V: ホラー映画だよね。
T: 導かれたように改めて見返したんですよ。そしたらもう、日本の梅雨時期の閉塞感のある空気がすごく表現されてて、舞台もほぼ団地だけのワンロケーションなんですけど海外でもバズってて。日本の湿っぽくて、ちょっと陰のある感じがすごく伝わってきて…。全体的に薄暗くて、でもそれが妙にリアルで印象的だったんです。それで映画のタイトルに入ってる「仄暗い」って言葉が気になって意味を調べたんですよ。そしたら真っ暗ではないけど、少しだけ光があるような、薄暗い雰囲気を表す言葉で。漆黒じゃなくて、ほんのり明るさがある。その絶妙なニュアンスがすごく日本語らしくてグッときたんです。英語だと「dark」とか「dim」って訳されちゃうんですけど、それだともう少し強くて陰の深いイメージになる。でも「仄暗い」って、日本語にしかないような、曖昧でやさしい陰りがあって、それがこの作品のトーンにすごく合うなと思って。「今の世の中もなんか全体的にちょっと暗いし、でも光がまったくないわけじゃないし。仄暗いって、そういう今の空気感にも合ってる気がするよね」って話すこともあったんです。どこか閉塞感はあるけど、自分らはそこに希望というか、やる意味をちゃんと見出してるしインスピレーションとなった朝方の光景はまさに仄暗いって感じ。そういうニュアンスも全部込めて「仄暗でいこう!」って決めました。
V: エンドクレジットに「仄暗い空」っていうタイトルをつけてたよね。それは「夜明けとともに明るくなっていく」みたいなポジティブな意味合いを持たせてるの?
T: そうですね。エンディングは僕がお世話になってるスケーターの先輩が所属するバンドのOLEDICKFOGGYの“残夜の汀線”っていう曲を使ったんですけど、まさにあの明け方の空の雰囲気を歌ってるような内容なんですよ。この曲を聴いたときに「これは最後に流したい」と直感的に思って。だから今回のビデオはラストがすごく重要というか「仄暗い」っていうテーマやトーンがこの曲に自然と繋がっていく感じがあったんです。それもあってエンディングではスケートのフッテージをただ並べるんじゃなくて、みんながメイクしてテンションが上がってたり、ふざけて騒いでたり、ちょっとカオスだったりする瞬間をたくさん入れました。オープニングはすごく暗い印象にしてエンディングに向かってだんだん明るくなっていく作りにしました。
V: 今回使用した楽曲はオープニングでクレジットを出してるだけに思い入れが強いわけだよね?
T: 最初の段階では、よくあるスケートビデオみたいにブートで好きな曲を選んで当てはめていく感じで考えてたんですけど…。やっぱり途中から「音楽ももっとこだわろう」ってなっていって。日本のスケートビデオって、『On the Broad』とかEvisen、Tightboothもそうですけど、サウンドトラックにめちゃくちゃこだわってるじゃないですか。そこがすごく日本独特で自国をレップしてる感じでかっこいいなと思って。自分たちもそこは大事にしたいなって憧れとリスペクトからですね。スケートって音楽とすごく密接に繋がってる文化だと思うし、僕も音楽がすごく好きなんで今回は日本のアーティストに楽曲を依頼する形にしました。最終的には日本人アーティストだけで構成したサウンドトラックになってて、ディレクションは全部自分がやってます。だからイントロでクレジットを出したのはそこを強調したかったからです。これは作品のコンセプトとして強調すべき部分のひとつです。結果としてより一層、作品に箔がつきましたし、東京と神戸の試写会ではライブもしてもらって前代未聞の試写会イベントになりました。来場した多くのスケーターも演者さん側も刺激を受けたようでいい化学反応が起きました。やりたかったことのひとつだったんで、うれしかったです。使った楽曲のジャンルはめちゃくちゃ雑食で、日本のスケートビデオでここまで幅広いジャンルを入れてるのはあんまりないんじゃないかなって思います。OPSBみたいなインストバンドもいれば、ダブ、Hip-Hopもあったり(片方)遥くんや(吉田)良晴さんのビートやダンスミュージックも。ビートメーカーに頼むってパターンが多いなかで、僕らは本当にいろんなジャンルをミックスしてます。もともとスケートを始めた頃はパンクやニューウェーブとかばっかり聴いてたんですけど、友達やスケートビデオの影響でHip-Hopにもハマって、そこからレゲエにも入っていって。周りの仲間がテクノとかハウスが好きでそういう音が流れてるクラブにもよく一緒に行ったりして、いろんな音楽に自然と触れてきたんです。その自分の雑食性をうまく活かせば、他にない面白いビデオになるんじゃないかっていうのがあって。最近は、似たような音楽ばっかりビデオに使われがちだなって思うんです。でも別に「スケートビデオだからこの音楽使わなきゃいけない」って決まりがあるわけじゃない。もっといろんな側面があっていいはずだし、ありきたりになってきている部分をぶち壊して自分なりに引き出したかったというのがありました。音楽とスケートボードはつねにリンクしてて正解なんてない。みんな違ってていいわけですから。
V: 収録されたスケートについても聞きたいんだけど、某所のエスカレーターのクリップはヤバかったね。
T: あのスポットは誰もヒットしてなかったんですよ。あのエリアはスポットが密集してるじゃないですか。たまたま撮影が終わって駅に向かってたら、ふと目に入ったんですよ。「あれ、上走れんじゃね?」って。ちょうどその頃はみんながラストトリックを何にするかってざわざわしてた時期で、自然とセンサーがラストトリック向きのスポットを探すモードになってて。それで目に入ったエスカレーターのスポットで「テールドロップでもいけそうだな」って思って登ってみたら、まさかの「走れる」ってなって(笑)。それで写真を撮って守重リオに送ったんですよ。リオが狙ってたのは50-50。でも実際行ってみたら、手前に変なパーツがあって、しかも先端がちょっと出てるんです。それにノーズが引っかかって結構ガチで危なかった。リオも「もう集中できない、無理っス」ってなって、その日はボツになったんですよ。それでしばらくして(森下)瑛丈と別のスポットで撮影してるときに「ラストトリックどうする?」って話になって。そしたら「あのエスカレーターみたいなやつ、ボードスライドいけそう」って。まさかのリオがNG出したあの場所に食いついてて(笑)。めちゃくちゃ長いし高いし、着地も潰されそうな感じなんですよ。しかも瑛丈はそのスポットを写真でしか見てない。それで実物を見て、最初は「これ怖ぇっす」って(笑)。「テールドロップのほうが現実的かも」って言ってたんですけど、最終的に「1回ちょっと頑張ってみます」ってなって。1発目はビビってたんですけど、4、5発目くらいでメイクして。めちゃくちゃ早かったですね。自分らも半信半疑だったから、いい意味でぶっ飛ばされました。
V: ちなみにKojuntのグリッチョのシーンあったじゃない? 足を見て「これ骨だ」ってすぐに判断してたけど、どうなってたの?
T: あれはグリッチョじゃないってすぐわかりました。「足が動かない」って言い出して、見たら足首に対して足がズレてて。明らかにおかしくて。見た瞬間に「折れてるか脱臼してるわ」って。それですぐ救急車呼んで。それが皮肉にも最後のツアーで、行き先はみんながリベンジしたいスポットが多かった名古屋に決めたんです。Kojuntは途中から合流でその日は雨。それで夜にあそこに行ったんです。最初にやった180の50-50は余裕でメイクして、「バンクにスイッチで入ったらかっこいいんじゃない?」ってなって何回かトライしてたんです。でも何発目かでアレが起きたんですよ…。一緒に病院行ったら足がぐるぐる巻きで「神戸に戻って手術しないとダメです」って。しかも夜中だったから新幹線も動いてない。だから名古屋のCruisersっていうスケートショップに頼んで泊めさせてもらうことにして。みんなでKojuntを担いで上まで運んで、寝かして、「撮影してくるから朝までここで待ってて」って。朝に車に乗せて名古屋駅まで見送って…滞在時間、約6時間(笑)。
V: 早く治ってほしいね。ではラストの守重リオは? かなりパワフルだったよね。
T: リオはPlantに最初に入ったメンバーのひとりで付き合いも長いんです。初めて地方にスケートしに連れてってくれたのもリオです。いいヤツで、スケートもヤバくてかっこいいのにいつも金のない僕よりもボロボロの服とデッキ。そんなリオを見て、当時高校生のガキだった僕は矛盾を感じていました。「なんでこんな若手をもっと手厚くサポートしてやらないんだろう」って。グリップテープさえもらえずにいて、金もないからホームセンターの紙やすり貼ってたんですよ(笑)。僕がブランドをやったら真っ先にリオをサポートするって18歳の頃から思ってました。そういう意味でもすごく思い入れが強くて。だから今回、「リオのパートを自分が作る日が来るなんて」ってちょっと感慨深かったですね。彼は“超人"ですよ。とにかく妥協しないし絶対に諦めない。「乗る」って決めたら、どんな状況でもやり切る。暑かろうが寒かろうが、何時間でも平気でトライし続けるんです。一番ヤバかったのが高架下のレッジのライン。キックフリップノーズスライドでノーズグラインドに切り替えるラインがあるんですけど、それを撮った日は30分の休憩を1回だけ入れて、7時間ぶっ通しで回しました。でもその日は結局メイクできなかったんです。7時間回してノーメイク。でもリオは落ち込むどころか「次こそ行きます!」みたいな感じで。こっちも「じゃあオレも頑張るしかねぇな」って。それで次に行ったときは30分くらいでサクッとメイクして。リオの撮影は、何回も同じ場所にリベンジ行ったり、炎天下で何時間も撮ったり。本当にハードで、でもその分やっぱり撮れたときの感動は大きいです。もともと自分はフィルミングをあんまりやってなかったんです。今回のビデオもメインフィルマーのカズハが8割くらい撮ってて。でも動けないときがあったり、カズハ自身もパートを作るってなったから自然と撮らないといけない状況が出てきて。特にリオの撮影の後半は自分がメインで回してて、そのおかげで自分のフィルミングスキルもめっちゃ上がったんです。7時間回した日なんて、最初と最後じゃカメラの動きが全然違う(笑)。そこからフィルミングが楽しくなりました。次のビデオも撮り始めてるんですけど、今のところほとんど自分が撮ってます。リオのおかげで撮ることの楽しさも知れたし、技術的にもめちゃくちゃ成長できました。
V: では2年半の撮影期間で個人的に印象的だったことは?
T: 実はこのプロジェクトの途中で、5年間付き合ってた彼女に振られたんです。ちゃんと真剣に付き合ってたんで…。正直、かなり食らいました。しばらくはかなり落ち込んでて何をするのにも身が入らなくて。でもどこかで自分のなかに「このままヘコんでるだけじゃダセぇな」って気持ちもあって。ちょうどそのタイミングでこのビデオの制作があったんで「もう絶対いい作品作って見返してやる」って気持ちでのめり込んだところは大きかったです。「こんなことで負けてたまるかよ」って。振られて落ち込んでいる僕を見て気を遣ったり、よく知りもしないでイジってきたりするのにストレスを感じてたけど、Plantの連中がいつも通り変わらず接してくれたのがかえってリフレッシュになりました。みんな「ネクストっしょ! いいビデオ作るっしょ!」って感じで、すごく励みになりました。やっぱ、こんないいヤツらに恵まれてて、強い気持ちで付いてきてくれる仲間がいるのに、いつまでもナヨナヨしていたらダメだと思わせてくれましたね。この作品に全力で向き合えたのは、仲間のおかげでもあります。
V: では自分たちの作品は最近のスケートコミュニティでどう位置づけられると思う?
T: なんか最近のスケートビデオって、正直あんまり面白くないなって感じることが多いんです。ただとにかくヤバいトリックのフッテージが一気に流れるみたいな。もちろんそのヤバさはすごいし、そこに込められた努力やプロセスも理解できます。でもスケートビデオって、もっと人間的な部分とか、リアルな日常とか、ドラマ的な要素を引き出せるメディアだと個人的には思ってて。今はみんなトリックレポートばっかりになっちゃってる気がしてて。だから今回のビデオでは、ヤバさだけじゃなくて、ドキュメンタリー性とか仲間とのふざけあいとか、日常のカオスみたいな部分もちゃんと入れたかったんです。たとえば『Chomp On This』とか『Man Down』といったふざけたビデオも好きだし、Polarみたいなソリッドな雰囲気の作品も好き。いろんなテイストを吸収しつつ、間を取りたいというか。ただ酒飲んで笑ってたり、怪我して救急車に乗せられるようなリアルな映像も大事なんです。ああいう予想外の出来事も含めて、その場にいるような感覚を味わってほしいというか。最終的には、「この人たち楽しそうだな」「滑りに行きたくなった」って思ってもらえるのが一番うれしいですね。
V: 最近は文化や歴史に興味がない世代が増えたと聞くけど、それに対して思うことは?
T: 意味がわからないですね。「滑ることが楽しい」っていうのはもちろん大前提ですけど、音楽、アート、映像とかもスケートの醍醐味じゃないですか。スケートってそういう文化とすごく密接に関わってる。たとえば誰かのパートの曲がかっこよくて、それがきっかけでHip-Hopを聴くようになったり。自分もそうやっていろんなものに触れてきてスケートボードにのめり込んでいったんで。僕は絵も描くんですけど、やっぱりゴンズとかエド・テンプルトンみたいに、スケーターがアートと繋がってるのってめちゃくちゃかっこいいと思うし、そういう部分に惹かれてきたりしました。だから最近の若い子たちがそういうものに触れずに、ただインスタやTikTokに映像を上げて「いいね」やコメントをもらって終わりっていうのは違和感があります。「それ、別にスケボーじゃなくてもよくない?」って思っちゃいます。もちろん強制するつもりはないし、自由に楽しくやってればいいんだけど、もしそのカルチャーの側面を知ったら絶対に100倍楽しくなると思うんです。自分自身、スケートを始めた頃よりも今のほうがどんどん面白くなってるし。それはそういう文化的な部分に魅力を感じてきたからなんですよね。
V: ではオンライン公開ではなくDVDにした理由は?
T: やっぱりモノとして持っておきたいって感覚があるんです。自分は音楽が好きでレコードを集めてるんです。もちろんサブスクも使うし便利だと思ってるんですけど、やっぱり実物として持ってると、それが思い出になるんですよ。たとえば高校生のときにcolor communicationsの『TONE』の試写会が衝撃的だったんです。(村岡)洋樹くんとか今村昌良さんがめちゃくちゃかっこよくて、シビれたんですよね。DVDが出てから買って、擦り切れるほど観て、あのときの思い出や景色を思い出せるんです。そういう記憶が形として残ってるのって、やっぱ大事だと思うんです。今はすぐオンラインにビデオが上がる時代じゃないですか。それはそれで便利だし、世界中の人にすぐ見てもらえるし、コストもかからない。すごく今に合ってると思うんです。でも次の日には最新のビデオが上がって、どんどん埋もれてく。言ってみれば情報に殺されてる感じもあって。スマホで見て「ヤバっ」って思っても、上にスクロールしたら誰がどこで何やってたかとか、すぐ忘れちゃうんですよね。その点、わざわざDVDを買って、ディスクを入れて再生する手間があるからこそ、記憶に残るというか。しかもモノとして残るから、10年後、20年後に見返して「あの頃こうだったな」って振り返ることもできる。だからDVDにしました。仲間たちもみんな同じ気持ちで、「やっぱ棚にコレクションとして並べたいよね」って。
V: ちなみに通常のDVDだけじゃなくて、スペシャルな限定ボックスも販売してるんだよね?
T: 今回、本編のみのDVDと別で150個限定版のボックスも発売しました。内容は本編とスピンオフ作品『B面で恋をして』のDVD 2枚と80ページ以上あるヒストリーページとスケートフォト、オフショットで構成されたフォトブックとポストカード2枚がセットになったシリアルナンバー付きの限定版です。しかもボックスとスピンオフのジャケットのプリントは1枚1枚手刷りです(笑)。さっきも言ったように「物として持っておきたい」っていう少数派なニッチな人に向けた物ですね。DVDや印刷物なんて今の時代売れないのはもうわかり切ってるんです。けれどハンパな気持ちで作品は出したくなかったし、いい写真もめちゃくちゃ撮れたんで、それならとことんこだわってやっちゃおうぜってことでマニアック仕様も作りました。僕自身、スケートビデオもそうですけど、レコードや映画のパンフレットとかの収集癖があって、「限定版」とか「シリアルナンバー入り」とかゾクゾクしちゃうんです(笑)。作品に対する想いとかも知って欲しかったし、映画の制作秘話とか考察を読むのが好きなんで、ブックには各チャプターのヒストリーページを作りました。男梅こと奥出一弥の写真をメインに京都のフォトグラファーふたりが参加していて、見応えも読み応え抜群です。スピンオフDVDは制作期間2年半の厳選したフッテージを時系列順に並べた現場音のみのRawバージョンです。本編ではとことんかっこつけたんで、スピンオフはより一層、僕らの日常を感じられるラフな作品にしました。コンプラをフル無視のネットには絶対あげられないB面全開の作品に仕上がっているんで、気になる方は是非ゲットしてください(笑)。
V: さっきすでに次の作品に取り組んでるって言ってたけど、今後の予定は?
T: 今月末にビデオを出す予定です。短いやつですけど、自分のなかではどういう内容にするかってイメージは固まってて。ワクワクしてます。詰め込みすぎた感はあるけど、立ち止まるよりどんどん仕掛けていったほうが「あいつら、またなんかやってる」って思ってもらえる気がするんで。フルレングスを出して一息つくよりも、「このまま動き続けたほうがヤバいよね」っていうノリでやってる感じです。おもしろいことはつねにやり続けて盛り上げていきたいです!
仄暗 HONOGURA DVD & LIMITED BOX
www.vhsmag.com/products/plant-honogura-dvd-limited-box/
Takuma Enoki
@_morningboner @plantgriptape
2002年生まれ、東京都出身。都内を拠点に活動し、Plant Griptapeの初フルレングス作品『仄暗』のディレクションを担当。