10年以上にわたり股関節の痛みと向き合いながらスケートを続けてきたマルこと丸山晋太郎。しかし症状は悪化し、ついには歩行も困難な状態に。国内では前例の少ない人工股関節置換手術を受け、復帰への挑戦を決意。手術から復活までの道のり、そして諦めなかった想いを聞いた。
──SHINTARO MARUYAMA / 丸山晋太郎
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VHSMAG(以下V): まず何の手術をしたのかを説明お願いします。
丸山晋太郎(以下M): 今回やったのは股関節の手術。名前で言うと「人工股関節置換手術」っつって、再生不能になった、もう治る見込みのない股関節を全部除去してすべて機械に入れ替えるっていう。まあ、サイボーグ手術ですね。今、ここ全部(右股関節)鉄っす。メタルっす(笑)。
V: 人造人間やん。
M: いや、マジで人造人間なんすよ、リアルに。だから大腿骨は半分と、あと股関節の3分の1はもう骨がなくて、そこを全部機械で作ったロボット状態って感じです。
V: その手術する前はどういう状態だったの?
M: 事の発端はもう10年くらい前なんですけど、プッシュした後に股関節にちょっと痛みを感じたり、あぐらがかけなくなったりしだしたんですよ。あぐらをかいたときに右足だけが倒れない感じになっちゃって。でもまだ深刻には捉えてなかったんです。まあ、そんなもんかと思って。昔から身体を酷使してきたし、ずっとごまかしごまかしでやってきた感じですかね。それで一昨年の暮れに韓国に撮影ツアーに行ったんです。そのときにもう歩けないくらいの症状が出ちゃって。歩行困難みたいな感じになっちゃった。急に来たっすね。それまで何年も何年も、10年近くずっと違和感をごまかしながらやってこれたんですけど、急激に歩けなくなっちゃったみたいな感じですかね。もうなんか、隣のコンビニに行くだけで痛いとか。スケボーもできなくはないけど、ずっと痛い。スケボーするイコール痛いみたいな。それが当たり前になっちゃってた感じでしたね。
V: マルくんの中で決定的に「本格的に手術しよう」と思ったきっかけは?
M: 東洋医学系のところに行ったりとか、俗に言うゴッドハンドみたいな人にお願いしたりとかをずっとやってたけど一向に治らなくて。しかも歩行も困難になってきて。「もうこれはどうしようもないな」ってはなってたんですよ。そんなときにたまたまテレビで正月番組を観てたら、長嶋一茂が大手術をするみたいなドキュメンタリーをやってて。人工股関節置換手術をテレビで特集してるのを観て「すげぇ手術だな」と思って。「もうロボットやん」って感じで観てたんだけど、症状があまりにもオレと類似してたんで、「これ、もしかして…」と思って。それで初めてでっかい病院に行ったんです。それまでは病院とかは好きじゃないから接骨院だったりマッサージだったりトレーニングだったりとかっていうのはやってたんですけど、それを観た瞬間にピンと来ちゃって病院に行ってみたんですよね。そしたらもう、股関節と太ももの骨の結合部分の軟骨が全部なくなってぐちゃぐちゃになって、末期だって言われたんです。「スケートボードはおろか、もう歩行も厳しくなっていく」って告げられちゃったんですよね。
V: この手術で激しいスポーツに復帰した前例はあるの?
M: これは別にめずらしい手術ではないんですよ。よくある手術なんですけど、対象が60歳以上って言われてる手術で。だからお年寄りとかになって、人生の最後の方に軟骨をすり減らした状態の人向け。特に女性が多くて、高齢者でやってる人が結構いるんですよね。あとは大腿骨頭壊死症っていう病気があって、それは千原ジュニアがなってて。千原ジュニアのYouTubeでもだいぶ勉強したんですけど。そういう太ももの骨が壊死してる場合に手術をするっていうパターン。その2種類くらいしかないんですけど、それっていうのは一生もんじゃないんですよ。つまり耐久年数があって、長くても20年って今は言われてて。だから60歳くらいだったら、あと残りの20年そのロボの足で生きていくことはできるけど、オレぐらいの年でやると、たぶん生きてるうちにいずれダメになる日が来るんですよね。だから日本では若い人に推奨しない。「じゃあ、どうすればいいんですか?」って聞くと、「それしか手段がないけど、若い人には勧められない。薬物療法とかでごまかしていくしかない」って。とにかくもうロキソニンをサプリメントのように飲んで生きていくしかないみたいな。さらに「手術したとしても、たぶんスケートボードはもう二度と…できないだろう」と。だって昔なんか階段で足を踏み外して人工股関節が壊れちゃうとか、ちょっと前までは障害者認定されるような手術だったんです。だから医者はやりたがらないんですよ。「あなたが求めてるのはスポーツ復帰ですよね?」って。「うちでは日常生活の健康復帰までは請け負えるけど、そこまでは面倒見れない」って3ヵ所くらいでっかい病院で断られたっすね。
V: 手術してくれる主治医はどうやって見つけたの?
M: 何回も病院に足を運んだんですけど、長嶋一茂を手術した先生が日本の超トップの人なんです。プロレスラーの武藤敬司の手術もやってるんですよ。もう調べ上げたんで(笑)。でもその先生にお願いするって、一般の人間ではなかなか難しいんですよね。だから限りなくその人に近い人とか、弟子的な人とか、そういう人はいないかなと思ってずっと探してたんです。そしたら東北でトップの東北大学病院っていう病院があるんですけど、そこの先生がたまたま一茂をやったスーパードクターの愛弟子だったんです。年もオレの1個下で。それで自分の経歴とか、スケボーに対する熱い想いとかをすっごい伝えて。頭を下げて「どうにかやってください!」って。その先生も悩んだけど、「付き合います」って言ってくれたんです。それで手術することに決まった感じですかね。
V: 主治医が見つかりました。でもマルくんの中でもその先生の中でも、おそらくまだ「賭け」の段階よね。どうなるかまだやってみないとわかんないっていう。
M: そうですね。だから、ひとつの提案として「私が検体になります」と。「今後のそういう人たちのために、経過やデータを出して、学会だったりなんなりで使わせてもらいたい」って言われたから、「もう何でもいいんで、使ってください」と。今後、同じ悩みを持つスケーターにとって参考になればいいとも思ったし、先生もそれを条件にやってくれるって言ったんで。
V: 病室で「明日手術です」っていう投稿したでしょ。あのときの心境はどういう感じだったの?
M: 前日まで不安でしかなかったですね。だって大学病院のドクターが「ワンチャン」って言ってきたっすからね。「ヤバいな」って思ってたんですけど、希望を持てたのが…5Boroに昔いたダン・ペンシルって知らないですか? あいつ、サンフランシスコ時代に超マブだったんですよ。一緒に頑張ってきた同志なんですよね。アメリカから帰ってきてから一度も、10何年も全然連絡も取ってなくて疎遠だったんですけど。それであれを投稿した後に、ダン・ペンシルからDMが来たんです。「お、ダン・ペンシルだ」って思ってメッセージを開いたら、「絶対大丈夫だ。なぜかって言うと、オレは半年前に同じ手術をやったんだ」って。「You're gonna be stoked in two months(2ヵ月後には最高の気分だ)」って言われたんです。それで、もうめっちゃ自信ついて。なんかビビってたんですけど、ダン・ペンシルがそう言ってくれて、急になんかこう…安心ではないんですけど「挑戦してみよう」って気持ちになれたんですよね。だからダン・ペンシルに超感謝してるっす。
V: 手術からデッキに乗るまではどんな感じだったの?
M: 自分ちのミニランプで「カリっ」ってグラインドしたのが術後1ヵ月でした。まだ治ってはないけど、どうしようもない変な痛みはなくなってた。違和感とか痺れてたりとか変な感じはあったんですけど、まず術後1週間で普通に歩けるようになったっす。走ったりはできないけど、歩けるようになって。それからはトレーニングやリハビリをずっと言われた通りやって。2週間後くらいからランプで振り子みたいな感じで行ったり来たりできるようになって、1ヵ月で「カリっ」ってできたっすね(笑)。そのときに「あ、いけるかも」って思ったんですよね。
V: 思いのほか順調な感じだったのね。
M: そっからは本当にちょっとずつですけど、できる範囲がどんどん広がっていって。でもね、「もうノーズ系の技は無理かな」と思ったんです。ノーズブラントとかKグラ、ノーズグラインドとかノーズジャムとか。好きな技なんですけど、それをちょっとやってみたときに違和感があって、「あ、これはダメかも」って思って。だから自分の中で「残念だけどノーズ重心の技はもう諦めよう」って。だから「テール重心の技を極めていこう」っていう方に切り替えてたんです。ノーズ系の技もいけるかもって思ったのは半年後くらいですかね。
V: インスタに投稿したラインくらいから完全復活って感じだったの?
M: そうですね。とりあえず自分とこのパークは滑り慣れてるし。というか「転んじゃダメ」なんすよ。先生から「転んだらアウト」くらいに言われてた。だから「転ばないようにスケートボードを極めていく」っていう感じでやってたんです。でも、なんかあの日はめっちゃ高まっちゃって。それでめちゃくちゃスラムして…。実際、まだちょっと身体が痛いんですけど、あんなに派手に転けたのに、「あれ、足壊れてない」って気づいて。それで「あれ? これはもう、完全復活なんじゃねぇのかな?」って思ったっすね。それが手術から1年って感じです。
V: どんな心境だったの?
M: めっちゃうれしかったですよ。手術をやってよかったと思ったし、あとは自分も最善を尽くしてたんで。術後にリハビリを始めて以来、いまだに毎日筋トレしてるし。毎朝、今日もさっきもしてたし。自分の思いつくことは全部、手を抜かずやってきたんでその結果だなと思って。それがうれしかったですね。
V: 素晴らしい。この経験は多くのスケーターにとって貴重な話だと思うけど、これを読んでるスケーターにメッセージを送るとしたら?
M: 異常を感じたら「病院行け」って感じですね。接骨院とかマッサージを否定するつもりはゼロですけど、イメージとか、そういうのだけで医療を否定するともったいないことになる。オレももっと早く病院に行っておけば、ここまで大手術する必要がなかったのかもしんないし。だから、ちょっとでも違和感を感じたら、まず大きい病院に行ってちゃんと検査して、それから考えた方がいいと思うっす。素人判断は良くないですね。
V: では改めて今の気持ちを。
M: いやぁ、「諦めたら終わり」なんで。諦めなければ絶対大丈夫です。もっとオレより大変な人もいっぱいいるっすけどね。そこそこ大変で「もう無理かな」って諦めようとしてた自分もいたんですけど、やっぱ絶対に諦めたくなかったから。だから「ほぼほぼ無理だ」って言われても諦めなかった。諦めなくてよかったなって思います。だから今、身体が痛い人とか、「足おかしいな」って人は、悩んでる暇があったらすぐ病院に行って検査して、先生の言うこと聞いて、諦めないでほしいです。そうすれば、絶対いい日が来ると思うんで。
V: ありがとうございます。ちょっと…これカットするとこなさそうな感じ…。
M: いや、言いたいことはめっちゃあるっすけどね。日本と海外の医療の価値観の違いとかもすごい感じたし。とにかく日本のドクターは「いやぁ、厳しいです」って。実はあのインスタの投稿は結構バズって、スケーターじゃない人からも何百件ってメッセージが来たんです。日本の人たちは、なんか「もう奇跡を信じて」とか「諦めないで、応援してます」とかなんですけど、海外の人たちは「全然大丈夫だよ」とか「オレもやったよ」とか、プラスの意見がすごい多かったんです。あと、有名なスノーボードの…なんかRed Bullか何かで崖とかにヘリで行くようなスノーボーダーの人からもDMをもらって、「オレなんか両足やってっけど、こんなんやってっぞ」とか。その人は両足を手術したのに崖みたいなとこにヘリから降りたりしてて。「何なんだろう、この意見の違いは?」と思ってたら、やっぱ日本の医療のゴールって「健康」なんですよ。「現場復帰、スポーツ復帰」と「健康を取り戻す」っていうのは別問題なんですよね。日本の医療っていうのは、基本的に一般の人に対しては健康までがゴールとしか捉えないから。たぶんその先までは責任を負いたくないんじゃないですか。だからどこも断られたし、「スケボーすんなら無理だよ」って。でも海外の人はやっぱ違うんだなと思って。だって「20年後壊れること考えて、今スケボーを諦めなきゃいけない」なんて、オレの中ではその考えはないんで。価値観とか考えの違いですね、きっと。海外ではスポーツ選手とかの前例が結構あると思うんです。日本だとやっぱ…相当調べたけど、もうゴリゴリ実証してるのは武藤敬司くらいですね(笑)。武藤敬司なんて、両足人工股関節、両膝人工関節ですよ。50何歳で現場復帰して「ベストバウト」取ってんすよ。そっから60歳で、今度は股関節がダメになって両方手術して、そっから「3週間後、ラスベガスで仕事に行かなきゃいけねえからよ」とか言ってて。別にプロレス好きとかじゃないけど、あの人のおかげですね。勇気をくれたのは武藤敬司、千原ジュニア、ダン・ペンシル。
V: 一茂は入ってないの?
M: 一茂はきっかけをくれただけで。でも一茂もすげえ苦しんでたみたいですよ。あ、でも一茂は気づかせてくれたっすね。うん。でも、だからこそオレは自分の前例を残したいと思ったんです。彼らみたいなことを担えるように。オレにとっての武藤敬司、千原ジュニア、ダン・ペンシル。今後、悩んでる人を勇気づけられるじゃないですか。オレと同じ症状を抱えながらスケートしてるヤツ、いっぱいいると思うんで。自分自身もわかんなかったし、整骨院のプロですら「人工関節が必要だ」と言ってくれなかったから。何年も「なんでこんな痛いんだろう」っていう悩みがずっと続いてたから。この手術で救われる人が絶対いると思うんでバンバン晒してください(笑)。
V: 10年も痛みを抱えながら滑ってたのはマジで大変やったね。
M: なんかよくよく調べたら、初期症状から、初期・中期に至るまでは、じわじわ時間かかるらしいんすよね。それで、7年、8年、9年、10年とか、そういうスパンで徐々に悪くなって、末期に突入すると一気に来るみたいなんすよ。だから末期になってからは早かったっす。もうなんかスケボーとか考えらんなかったですね。「あ、もう寝たきりになんのかな」くらいの。釣りもできない、店の階段も登れない。「ああ、もうこれスケボー復帰とかそういう次元の話じゃねえわ」ってなっちゃって。靴下も履けない。地獄だったっすね、マジで。
V: 動くときのサポートとか身近でヘルプしてくれる人はいたの?
M: まぁ、自分で商売してるし。自分のペースで動けるから、そこまで人に迷惑はかけなかったですけど。でも、どんどん自分が畏縮してたのはわかるっす。釣りも好き、キャンプも好き、もう飲み歩くのも好きで…。行動派なんで。でも…痛いから「今日はいいや」とか。「今日すげぇ潮の流れいいから、絶対行ったらでけぇの釣れるぞ」と思っても、「いや、でも崖降りるとき痛いからやめとくか」とか。だんだん自分の行動を制限するようになってきて、鬱っぽくなってきちゃったんですよね。やりたいことができなくなって。もうなんだろう…考えられないですよ。今までだったら疲れてても、「いや、もう今日チャンスだから行く!」とかそういうタイプだったのに、「いや、やめとこう」とか…。どんどん行動力がなくなって、気持ちも落ち込んでいって。そっちに危機感を最初に感じたっすかね。なんか「自分が変わっていってしまう」っていう。
V: まだ何十年も人生あるのにね。一歩を踏み出さなかったら…でも手術もある意味賭けなわけやんか。精神的にキツいよね…。
M: やっぱスケボーが生業じゃないですか。プロスケーターとして、スケボー屋の店主として。他のことはしたことないし。もう人生全部スケボーにかけて生きてきたのに、そっからスケボーを取り上げられるっていうのは、もう「死んだも同然」じゃないですか。何していいかもわかんないし。ピアニストが腕を切られたら終わりじゃないですか。それに近かったです。心境はもう不安で不安で怖くて、「どうなっちゃうんだろう」って。家族もいて子どももいんのに。「参ったね、マジで」って。
V: いや、でもよく切り抜けたね、本当に。
M: 本当ギリギリだったっすけど。運が良かったです。先生も「一緒に頑張りましょう。任せてください」って言ってくれるんだったら頑張れるっすけど、「ワンチャン」って言われたから(笑)。
V: これまで生きてきた中で一番重いワンチャン(笑)。
M: でも、正直まだわかんないですよ。やっぱり「完全に元に戻った」とは言い切れないし。でも元気は取り戻したんで。笑えるようになったし、釣りにも行けるようになったし。「スケボー屋も頑張ろう」と思ったし。あと今後も「新しいことやってやろう」って企らんでるんで楽しみにしててください。
Shintaro Maruyama
@bridge149 @bridgesendai
1980年生まれ、仙台出身。ハイスピードかつアグレッシブなスタイルで注目を集める。2000年代には泣く子も黙るConsolidatedからプロモデルをリリース。現在はEvisenのプロ、Bridgeの店主として活動中。

















